第一章 三幕 10.闘神魔術憑臨ノ儀
――五月四日、早朝――
「……完璧だ」
目を見開いたナリタがかろうじて伝える。視線の向こうにいるジン。その右拳に込められているのは、紛れもなく全霊拳だった。
特訓を開始して以来、ジンの成長スピードは目を見張るどころではなかった。初日で翔と陣を覚えたかと思えば、霊拳まで成功させた。これもカイを助けたい一心からだろうか。その後比較的簡単な瞬迎と壁を二日目の昼までにまでに習得し、今日まで全霊拳の修行を行っていた。しかし、ジンはとうとう全ての行法を習得した。僅か三日間でのことだった。
オーラの持続力も申し分ない。ジンは瞬く間にメイジャーとして急速に成長していった。
「行法について何か指導することはないよ。素晴らしい」
「いえ、ナリタさんの教えが上手かったからです」
謙虚にジンが答え、次はオーラ持続の鍛錬を始める。しかしナリタにはもう一つ考えていることがあった。
相伝魔術、エンフェント族の気弾を習得させてもいいだろう。行法を全て覚えたジンにはその資格が充分にある。もし習得させることができれば大きな戦力となる。ナリタはそっとその場を離れ、電話をかけた。
「おはようございます、ナリタです……はい。その件で、今日の昼頃にお伺いしたいのですが……」
※
今日の昼ごはんは、ユカさんが作ったらしい。『和食』と呼ばれるものだ。豊富な具材量ながら質素な印象がある。味はオムライスなどと比べるとインパクトに欠けるが、まさに家庭的な味だ。
「和食に関してはユカに敵わないな」
「なんでか和食に関しては半人前だよね。まあ日常生活でナリタに勝てる要素がこれだけってのも腹立つけど……」
ぶつぶつ言いながら、ユカは豚肉の生姜焼きを口に入れる。テロリストに宣戦布告されているというのに、すごく呑気な空気であるとも思える。
それに気づいたナリタは、ムッと見ていたジンに言う。
「まあまあ、食事のときくらい気持ちを緩めようよ。ずっと張り詰めてるとガス欠起こすぞ」
「そうですけど……」
ジンは膨れっ面で俯いた。たくさんの人の命が危険に晒されている中、作戦も立てずに僕たちは何をしているんだろう。
「焦ってはいけない。時間の猶予は充分にある。じっくり考え、対策し、万全の準備を経て臨む。少なくとも、僕は生半可にやってるつもりはない」
ナリタは白米を頬張りながら言う。「それとも、早く一人前のメイジャーになりたいのか?」
少しだけ体を震わせる。それだけで理解するのは容易かった。ナリタは口の中の米を飲み込み、さらに続ける。
「焦ってはいけないと言った矢先に……でもそれも悪くない」
「え?」
予想外の返事に戸惑う。焦らず地道に進むべきだとか、そういうのを覚悟していた。実際、ジンもそれが正しいと少しだけ思う部分があったのだ。
「もうですか? まだ三日しか修行はしてません」
「大事なのは日数じゃない、成果だ。ジンはもう全霊拳まで覚えた。だったら後は魔術を覚えるだけだ。必要なのはは自分自身の意思のみ。その顔を見た感じ、意欲が伝わってくるから頃合いかなってね」
そして昼食を平らげ、流しに皿を片付けてから振り向いて付け加える。「あ、食べ終わったら協会に行くよ」
「僕……ですか?」
「うん、ジンに魔術を覚えさせるため、ある人に会いに行く」
その言葉を聞いた途端。ジンの感情は不安や焦りよりも好奇心に傾いた。
いよいよ明らかになる自分の魔術。これまではなんとなくで使えていたものが、やっと使いこなせるようになるかもしれない。
「分かりました! すぐに準備します!」
自ずと食べるスピードが上がった。
※
そしてやはり、いつ見上げても協会ビルは大きい。このビル全てが協会のものと聞くと、その並外れた規模に震え上がってしまう。
でもなんかなあ……とジンには思うところがあった。やはり初日の緊迫感はどこへやら、今は通常業務を淡々とこなしているようにしか見えない。特に平時と変わりない雰囲気だった。
「やっぱりどこか抜けてる気がしますが」
そうナリタに尋ねてみる。
「それも仕方ないかもね。僕たちが奇襲を仕掛けようとしている情報を漏らさないよう。一応情報統制されている。基本作戦は実行する人とその指揮統制を行う人の間でしか知らされないから、今回のは一部の上層部も知らないはずだ」
「へえ……」
つまりほとんどの人たちはあれ以降何も音沙汰なく、事態がなにも進展していないと思っているということになるのか。自分だけ知っているという優越感は微塵もなかったが、掃討部隊のメンバーであることをしっかり認められている気がした。
「さ、急ごう。あまり待たせてはいけない」
ナリタが再び進み始め、ジンもその後を追った。受付のカウンターでメイジャーライセンスと生体情報の照合を行う。
「……確認されました。ナリタ様、五十階の会長室にて会長がお待ちです」
え? いま、会長って言ったよね? 僕はこれから会長に会いに行くの?
「分かった」
当のナリタはいつも通りの態度だ。世界規模の組織のトップにこれから会いに行くというのに……ジンはもう緊張し始めていた。
「固くならないでいい。すぐに親しくなれる」
そうアドバイスされたものの、緊張が解ける訳がなかった。ガチガチになりながらエレベーターに乗る。五十階は途方もない高さだと思ったが、なぜか着くのが早く感じる。
エレベーターのドアが開き、ちょっと豪華なホテルのような雰囲気となる。鮮やかな赤色に金の刺繍があるカーペットが敷いてあり、壁や天井、照明にも装飾が多くなっている。上層部の部屋がたくさんあるのか分からないが、さっきと別領域であることは確かだ。
そして前方には、観音開きの扉。上には木の板に黒い文字で、
『会長室』
そう書かれている。お構いなしにナリタは会長室の前まで歩く。まだ準備ができてない……と心の中で嘆くも、ナリタがそれを視ている気配は微塵もなかった。
コンコンコン、三回ノックする。
「失礼します」
返事を聞かずに扉を開ける。ナリタがスッと中に入ってしまったので、慌ててジンも会長室の中に入った。
来賓用らしき革張りのソファ、さながら校長室のような内装。横の壁には、歴代のメイジャー協会会長と思われし肖像がずらりと並んでいた。
そして中央に座るは、大長老と言うキャラクターを体現したかのような老いた男性が、威厳たっぷりに座っていた。
「おお、来たかナリタ君。そして……」
ナリタの姿を視認するや、その老人の気配は途端に穏やかになり、優しい目でジンを見てくる。しかしその裏に秘められた底なしの雄々しさを、ジンは鋭く探知した。
「ジン……クロスです……よろしくお願いします」
上手く口が動かない。見定めされているようで、緊張が解けなかった。
しばらく遊びとは思えない睨めっこが続き、ふとその老人はニコッと微笑んだ。
「うむ。良い心の持っているようじゃの。既に目から正義感が溢れてきておる。流石はダンの息子じゃ」
「は……あ、いや、ありがとうございます」
敬語敬語敬語……と心の中で唱える。続いてナリタが口を開いた。
「ジン、この方が現メイジャー協会会長、ドン・クロスさんだ」
その名前に、ジンはハッとする。
「クロス……もしかして、僕の祖父にあたる方で――」
「すまんが、ハズレじゃ」
だよなあ。クロスなんて他にもいそうだし……
「ワシから見ればお前さんは……来孫にあたるかのう?」
「らいそん?」
「えーっとね、確か子の子の子の子の子。孫の孫の子供。ドンさんが初代なら君は六代目」
「…………は?」
つまりかなり遠くのご先祖様ということ……なのか?
「失礼ですが、今何歳ですか?」
「今年で……百五十三かのう」
「ひゃくっ……」
ご長寿どころじゃなく、ジンは絶句した。人の寿命、そんないくものなの?
「まあいろいろと人間辞めてそうな人だが、ちゃんとした会長様だ」
と、ナリタが補足した。「ところで会長、準備はできていますか?」
「おおそうだったの。準備は万端じゃ。さ、おいで」
ドンは立ち上がり、老いを感じさせぬしっかりとした歩みで後ろのドアを開ける。「さ、こっちじゃ」
戸惑っているところを、大丈夫と、ナリタが背中を叩く。ジンはそれで少し勇気をもらい、ドンの後を追った。
※
「ここは……」
地上五十階なのに地下空間を彷彿とさせる明るさ。窓に限らず、四方を黒い幕に覆われ、光源はどこから持ってきたのか、八つの
特別目を引くのはその部屋の中央。白い塗料で、大きく、それでいて緻密で複雑な魔法陣が描かれている。そしてその中央に佇む不気味な物体。
「頭蓋骨……?」
「そうじゃ。クロス一族の始祖。ゼン・クロスの遺言に従い残された、本人の頭蓋骨じゃ」
初めて見る人の頭蓋骨だったが、ジンはどことなく親近感を感じ、恐怖という感情は微塵も浮かばなかった。それどころか好奇心に駆られ、頭蓋骨に近づく。
「ふむ。やはりお主も惹かれるか」
そう言ったのはドンであった。
「お主も、とは?」
「ワシも、ワシの子も、ワシの父も、みんなその頭蓋骨に惹かれ、みんなメイジャーとなった。ゼン・クロスの頭蓋骨に惹かれる者は、例外なく一流の魔術師になっておる。お主もそれに選ばれたということじゃの」
「な……るほど?」
少しきな臭い気がして、腑に落ちるとまではいかなかった。しかし自分がこの頭蓋骨に興味を示していることは事実であり、なれるものなら一流になってみたいという欲も湧いていた。
「それで、これで何をするんですか?」
「闘神魔術憑臨ノ儀じゃ」
「……すいません、もう一度お願いします」
「闘神魔術憑臨ノ儀じゃ」
二度聞いても内容が全く分からなかった。
「それじゃ、僕から軽く」
沈黙を保っていたナリタが、いきなり話し始める。「闘神魔術憑臨ノ儀。僕も文献で少し見たくらいだけど、要はエンフェント族相伝の魔術を闘神ゼン・クロスから継ぐための儀式だ。過去のエンフェント族のメイジャーは、みんなこの儀式をやってきたはずだよ」
「そんなに重要なものなんですか」
「重要もなにも、これをやらないと魔術を極めることが難しいからね」
「なるほど……それで、今からやるんですか?」
「うむ、お主の意思次第ですぐに始めよう」
「……やります。お願いします」
「うん。それじゃあ早速儀式を始めよう。ナリタ君は少し下がってなさい」
「分かりました」
ナリタが数歩引く。
「ジンは……その頭蓋骨の目の前に座っておくれ。座り方は自由じゃ」
「はい」
ジンは頭蓋骨の目の前であぐらをかいた。近くで見るとあまり特色がないようにも見える。目が入っていたであろう部分が異様に暗く、闇に吸い込まれそう……なんてこともない。
「それではこれにて、闘神魔術憑臨ノ儀を始める。祭司はクロス家二百四代目、ドン・クロスが務めて参ります」
ドンが正面の篝火の前に立つ。
――ひとつ、我ら闘神の血を継ぎ、エンフェントの名を冠する――
一つ目の火が青く染まる。ドンは魔法陣の周りを反時計に回り始めた。
――ふたつ、此処は
また一つ、篝火が青く染まる。詠唱が一節終わるたび、篝火が青くなっていくようだ。
――みっつ、貴殿を追い、神秘にこの身を投げ入れん――
――よっつ、その目に宿すは守護の意志、その目に映るは常世の暗闇――
――いつつ、貴殿の頭蓋を手向け、
――むっつ、賜るは反抗の力、意志を象る弾丸なり――
――ななつ、我ら裏より出ずる神秘に立ち向かう者なり――
――やっつ、そして貴殿は此の世に希望を与える者なり――
篝火が全て青く染まった。ドンはしゃがみ、魔法陣の線に手をつく。そこから輝く水が水路を這って満たすように、魔法陣が黄色く光り出す。
「その場は作られ、憑臨の時来たれり。闘神ゼン・クロス、今こそ運命の申し子に応えよ――」
青い火が落ち、魔法陣の線をなぞるように広がる。動く間も声を出す間も与えず、ジンは青い日に飲み込まれ、意識を失った。
※
次に目が覚めたのは、一面真っ白な空間だった。自分はあぐらをかいたまま、どこかにテレポートしたかのような気分だった。
「お目覚めか」
どこからか、正確に言うと、誰もいない正面から声が聞こえた。戸惑ったジンは辺りを見る。
すると突然、誰もいなかった正面に男が現れた。長くボサボサしか髪、鷹のように鋭い目、細身で引き締まった肉体。
一目で分かった。多分これがゼン・クロスだと。少し姿は僕たちと違う。こんなに戦いに特化した身体ではない。
「お前が今回の被憑臨者か? また随分と若いというか……幼い」
「僕は十五ですが、若いですか」
「比較的若い。と言っても、前の奴の方が若かったな。確か……」
「ダン」
ジンが思い出させる前に答える。「僕の父さんです」
「あーそうそう。あいつもなかなかに素晴らしい才能の持ち主だった。それこそ俺と遜色ないくらいにな」
実物を目の当たりにしてみると、父の偉大さがより一層凄さを増す。
「ゼン……様と同じくらい」
「堅苦しいのは苦手だ、呼び捨てかさん付けでいい」
「分かりました。ゼンさん」
「うん。では、本題に入ろう」
ゼンも目の前であぐらをかいた。
「ジン・クロス、そなたはなぜ力を欲す。俺の力で何を成し遂げる」
その言葉に、すぐに返せる返答はなかった。ジンの目が泳ぎ、首を傾げる所作も伺える。苦心して答えを捻出しようとしているのが手に取るように分かった。
「……僕は」
ゆっくりとジンが口を開ける。「一流の魔術師とかそう言うものを全部すっ飛ばして、今僕が一番やりたいことは、友達を助けたいです」
「友達か……その友達は今、どんな状況なんだ?」
「テロリストに……拉致されてます」
「テロとは、またも物騒な」
呆れたような顔をして呟く。「そして、お前は俺の力を継ぐことで助けられるのか?」
「分からない……でも助けられなかった未来は想像したくない。助けられなかったから次は助けるじゃない。初めから全て救いたい」
「到底叶えられぬ妄言だな。身の程をわきまえぬか……」
ゼンはその顔を見て驚いた。ジンは妄想を謳っているわけではなかった。黒く澄んだ大きな瞳が、揺らがずにこちらを見つめていふ。口元はきゅっと引き締まり、凛々しい表情で決意を露わにしている。
「はは……お前、そういうことか」
「僕は本気で――」
「いや分かっておる。俺が言いたいのはお前の性格だ。人のために力を使い、その信念を貫く姿勢……それでは正義の申し子の方がしっくりくる」
「正義の……」
「ああ、お前は生粋の正義の味方だ。正義に生まれ、正義のために戦う人間だ。そのため、その妄言のような初心を忘れるな」
ジンが満面の笑みを見せようとしたとき、「だが」と言って念を押す。
「正義が必ず正しいとは限らない。条理も、道徳も、たまには道を踏み外す。それでも正義の味方はそれら『義』を背負い、戦うことになる。それでもいいか? お前は正義に従えるか?」
悩むのは一瞬、答えるのにそう時間はかからなかった。
「僕はそうする。正義を信じて、誰もが幸せになれる権利を持つこの世界を、護りたい」
「――よくぞ言った」
ゼンは腰を浮かし、腕を伸ばし、ジンの頭に手を置いた。
「その信念、決して曲げるでないぞ――」
ゼンに頭を撫でられる。意識が急激に遠のく中、その優しさを受け取ったジンは幼子のように笑った――
※
長らくジンを覆っていた青い炎が解け、あぐらをかいて目を閉じたジンが再び現れる。
「……上手くいったようですね」
「そのようじゃの」
その声を聞いてジンがゆっくり目を開ける。魔力も、魔術も、今までとは比にならないくらい自分で理解できる。そうか、僕の魔術はこんなにも大切なものだったのか。
記憶が流れ込んだ。生涯忘れることない、エンフェントの魔術師としての記憶。
どう使うかも全て分かった。後は使いこなすために鍛錬を続けよう。
「魔術を覚えたようじゃの」
暗幕を外し終えたドンが話しかける。「ワシが直々に魔術の訓練をしよう。ついてこれるかの?」
「はい!」
ジンは自信たっぷりに返事した。
「気持ちのよい返事じゃ。それでは――」
特訓を受ける光景を見たナリタは、静かにその場を離れる。貴重な親戚との時間、僕は邪魔にならないように。そして――
会長室を後にし、エレベーターで二十階まで降りる。この前とは違う、小さなドアを勢いよく開けた。
「さて、僕らは僕らの仕事を始めよう」
ユカとコタローが同時にナリタを見た。
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