第一章 三幕 7.正義の葛藤

 ――だからさ、人間がコントロールすればいいと思うの――


 隣で彼女は言った。


――今だって人間がコントロールしているじゃないか?――


――ううん、そういうのじゃない。世界全体を誰かがコントロールするの。今月はこれだけ木を切り倒して、これだけ植林しよう。でもここは伐採しちゃダメって――


――なんだそれ、めんどくさいな――


――めんどくさいから今まで誰もやらなかったの。だから叶えたいと思うの――


――だから、このデモに?――


――うん!――


 ※


 彼女は俺と同じ、ピファニズムだ。


 デモ集会で知り合って、仲良くなって、一緒にデモに参加した。


 でも、彼女は捕まった。


 名前も聞いていないまま、彼女は投獄され、過酷な拷問を受け、


 ……死んだらしい


 俺たちの思想はどうして弾圧されなきゃいけないのか。


 声を届けることすらできない。


 ペンは剣より強い?そんなわけなかった。


 言葉で理解されないなら、武力でわからせるしかない。


「おい、ぼーっとすんな」


 横の仲間に声をかけられ、男の意識は現実に戻される。


「ああ、すまない」


「我々の復活を賭けた大一番の勝負だ。心ここに在らずでは成功できぬ」


「は、申し訳ありませんボス」


 残党アジュシェニュ一派のトップ、その屈強な男の名は知らない。ここでは名前は意味を持たない。みんながコードネームで呼ばれるのだ。


「まもなく作戦が実行され、人質が入ってくる。君たちは変わらず防衛体制を敷いておけ」


「イェッサー」


 返事が揃う。士気は上々だ。各自が持ち場につき、自動小銃を構える。あとはそれをずっとやっていればいい。


 もうすぐで成就のための一歩を踏み出せるんだ。空から見てるか、名も知らぬ君は。


「そうだホープ」


 ホープ、それが俺のコードネーム。初めに言ったときは笑われた。だが今はこのコードネームを誇りに思っている。


「どうした」


 すぐ横の見張り台に立つ仲間、コードネーム『ブラッド』に問い返す。


「お前ってさ、元何?」


「元って……俺は一般人だったよ。テロ組織みたいな武力行使を嫌ってて、デモ活動に参加していた一人さ」


「ふーん。でもさ、それ今のお前と真反対じゃね?」


「うん……真逆さ」


 俺は静かに語った。「よくデモ活動って弾圧されるじゃん。それで友達が拘束されて、拷問受けて死んだらしいのよ。それで気づいたんだ。言葉じゃ掻き消されるって」


 そう、特別な友達をたった一人殺された。俺は絶望と憤慨を同時に覚えた。心に空いた穴に喪失感が溜まり、すぐに怒りがドバッと流れてきたようだった。


 思いを叫ぶためだけに命を奪われる。そんな蛮行は許されないのだ。


「なーるほどな」


 ブラッドは欄干に寄りかかる。「確かにその知らせはよく届くよ。でも向こうは俺たちの思想を悪と認識している。だから政府も隠すし、メディアも良かれと思ってそれに乗る。おかしいだろそんなの」


「ああ、おかしい」


「だろうなあ」


 そして俺たちは僅かに笑い合った。よくもまあおかしい世の中で生きていられるものだ。


「俺は元からアジュシェニュ構成員なんだ」


「あ、そうなんですか」


 ブラッドもお返しと言わんばかりに、過去を語り始めた。「俺たちの思想の詳細も聞かず毛嫌いする世界に一泡吹かせてやりたかったんだ。でも物量に押し切られた」


「二年前の掃討作戦ですか」


「そうだな。あのとき俺は一般人のふりをして、街に食料を調達しに行ってた。丁度テレビ中継が始まって、俺たちのアジトが炎に飲み込まれるのを見た。テレビに飛びつきかけた俺を、一緒にいた仲間が止めてくれた。しきりに首を振っている仲間の周りを見た。既に周りの視線が痛かったよ」


 その胸の苦しさはよく似ていた。何か大切なものが一瞬で粉々にされていく。しかしそれを阻止するにはあまりにも酷く、自分では無力であり、ただ駆け寄りたくなる衝動を堪えながら、崩れ去るのを見ているだけ。あのとき自分が動けたら、状況を変えれる力があればと、何度も何日も後悔した。


「俺たちは逃げた。警官から怪しい目で見られた。一緒にいた仲間と森まで逃げた。隠れ家に着いたときには、これからどうしようという気持ちすら起きなかった。でも何日か経って、頭の中でようやく整理されたんだ」


 ブラッドは再び立ち上がった。「だったらこの世界ぶっ壊して、俺たちを正しくするしか方法はない。だから今回の召集に応じた。ここから俺たちの思想を広めていくんだ。俺たちこそ正義だと世界に伝えるんだ。その責任の重さも半端じゃない。分かるか」


 改めて知ると、その重圧に体が押し負けそうになる。しかしそれを知っての参加である。今更弱気になってもどうしようもない。


「分かる。だからこそ共に頑張ろう」


 俺は拳を突き出す。ブラッドも笑顔を見せて、拳を打ちつけた。


「ああ!人間世界に永久とわなる繁栄を」


「人間世界に……永久なる繁栄を!」


 ※


 夜勤担当に交代する直前、数台のトラックが戻ってきた。基地前で止まると、待ち構えていた構成員がぞろぞろと周りに寄ってくる。彼らは犯行声明のビデオに映る予定だ。俺たちが映ることは叶わない。なんかちょっと悔しいのか、隣の夜勤担当の人がウズウズしていた。


 やがてぞろぞろとトラックから運び出されたのは、眠らされた人質の団体様だ。目を凝らせば顔は見えた。しかし誰であるとかは正直どうでも良い。俺たちはこれを盾に思想を押し付けるのだ――今まで世界がそうしてきたように。


 やられたらやり返す。そうしなくては気がすまない。一方的に虐げられる社会にはうんざりだ。今度は俺たちが虐げる番なんだ。


 幹部たちが用意されたカメラの前に立ち、拘束された男を一人連れてきた。そしてリーダーがゆっくりと口を開ける。


「ごきげんよう、思考を諦めたウジ虫ども」


 リーダーの冷たい声がマイク越しに響く。「二年前、我々は世界に屈辱を浴びせられた。我々はその復讐をするため、ここにアジュシェニュ復活を宣言する」


 冷たく淡々と話しているのになぜか高揚してくる。うおおお! と叫び出すのを堪えながら耳を澄ませる。


「同時に二年前の落とし前をつける。そのため我々は大量の人質を取った――」


 脅迫に近い要望が淡々と告げられる。


「そしてこれを拒否、及び三週間以内に返答がなかった場合は……」


 ノールックでピストルを構え、男のこめかみに照準を合わせる。一秒と経たないうちに乾いた発砲音が聞こえ、男はそのまま血を流して倒れた。


「人質全員をこうする」


 リーダーの声がより冷えた気がした。「これを踏まえてもう一度通告する。我々は総額十六億ペンドの賠償金、メイジャー協会の武力介入の恒久的禁止、メイジャー協会調査団の解体を要求する。これらの要求を拒否及び、三週間以内に返答がなかった場合は人質全員を殺害する。どう動くのが最適か、空っぽの頭で考えてくれ」


 その言葉で締めくくられた。幹部がカメラを止め、男の死体を手早く回収する。リーダーは護衛に挟まれながらアジトに戻った。


「……すごかったな」


 ブラッドが頬を紅潮されて言った。他のメンバーも興奮しながらこれからについて語る。


「ホープ、お前はどうだった?」


「お、俺? まーなんか? 覚悟ってものをビビッと感じたわ」


「だよな! いやしびれるわ〜」


 なんでこの人たちは心から笑っていられる? 喜んでいられる?


 人がひとり死んだ。殺された。


 無作為に選ばれ、報復の一例として何も状況を理解しないまま、あっという間に殺された。


 何食わぬ顔でみんなはそれを見ていた。死体を回収した人たちの手つきも慣れたもので、同情もない淡々とした作業に見えた。


 そして誰もそれには触れず、先ほどのリーダーの発言やこれからの行動についての話で持ちきりだ。


 テロ組織という特殊な立場、常に最前線で人の死を見てきたからこその反応であろうが、


 ……俺には到底理解し難かった。


 一般人にとって、生命とは尊いものだ。誰もがそう考えて、大切にしたがるはずだ。人が死ねば多くの者が悲しみ、弔う。俺の常識はそうだった。


 しかしこれからはこれが普通になる。そう考えれば大差はない。なのに……どうしてだ。



 俺はなぜ受け入れようとしない……?



 ※



 見張りを夜勤担当に引き継ぎ、自分は寝所へ移動する。既に多くの構成員が雑魚寝をしていてあまり場所がない。俺は足を上げて、寝ている人を蹴り飛ばさないよう隙間を縫って進み、大部屋の隅で小さく丸まって横になった。


 ……そうだ。俺はテロリストだ。聞こえは悪いが、俺たちからすれば世界がテロリストだ。


 武力には武力で対抗する。その為には人を殺めることさえ厭わないのがテロリストだ。俺もそれを分かっている。


 だが実戦経験がないからか、人の死というものは非現実的すぎた。


 テロリスト、知ってるさ。各地の事件も知ってる。世界中で多くの人を殺している。アジュシェニュだって例外じゃない。そんなことは嫌ほど分かってる。だが幸いにも、そのような場に居合わせたことはない。



 ――人間がコントロールして、世界は平和になる!――



 本当かよ、なあ。


 俺は平和を感じない。感じられない。


 やっぱり人は死んでいくばかりだ。


 俺は殺したいわけではない。壊したかったんだ。


 俺たちを弾圧する世界を変えたかっただけなんだ。


 そのために、政府高官を消すことは致し方ないと思っていた。


 しかし、現に政治と関係ない人が殺された。


 俺が望んでいるやり方は到底無理なのかもしれない。



 葛藤が頭を圧迫し、俺は足をジタバタさせた。



 間違っているのか? 俺たちの思想は間違っているのか?


 君が言ったことも、世界では不正解になるのか?


 やってみないと分からないのに、どうして拒否されるんだ。



 ……俺は気づいた。



 あいつらはまだ俺たちの思想を試した訳ではない。


 人類が頂点に立ち、地球の資源や生態系をコントロールする。


 失敗例は聞いたことがない。成功例も。


 ……ハハッ。なんだ、そんなもんか。



 無理矢理でもいい、思考は修正された。


 あいつらは俺たちの考えを実践した上で否定している訳じゃない。


 ただ自分たちの地位を守るため、頭ごなしに否定しているだけだった。


 保身か、保身保身保身保身保身……


 うんざりだそんな世界。


 ぶっ壊してやる、そんな世の中。


 俺たちはそう言った目的でも動いてる。


 そいつらを擁護する奴らは許さない。


 メイジャーは擁護した存在だから殺されて当然。


 ごく自然のことであり、当然の報いである。


 ……なんて思ってないと、今回の出来事は到底受け入れられない。



「これがテロリストかあ……」



 半ば諦めに近い口調で呟く。もう遅い。これからはこれが日常になるのだ。


 人を殺す世界に入った俺はもう戻れない。


 仰向けになり、一枚の写真を胸ポケットから出す。


 写されていたのは、俺と彼女のツーショット。しかし俺は俺自身を切り取り、彼女だけにした。


 堕ちた俺を隣に置くなんて、彼女まで汚れてしまう。


「……叶うさ、きっと」


 少しの間見つめてから、写真をしまう。そのまま俺は眠りについた。明日も早いし、ちゃんと休めないと、いつ襲撃が来るか分からないし……

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