第一章 三幕 4.傍観はできない

 「つ」


 二人は同時に床に寝そべる。「疲れたぁ〜」


 初めは出来たことに喜び、余裕だと思っていた。だがナリタに、それをずっと続けろと命令されてから、楽々ハッピールートは狂い始めた。持続していくとどんどん疲労が溜まり、一時間もすればへとへとになっていた。


「一時間と三分強……初めてにしてはいい方だな。二人とも魔力をずっと放出していることには慣れていないらしい」


 言われてみれば極力オーラは使ったことがない。そうカイは思い出した。


「ま、これは慣れと鍛錬だな。一週間もやってればなんとかなるだろう」


「一週間……」


 短いようで長い一週間。これから先この疲弊が毎日続くと思うと、ほんの少し眩暈がしてくる。


「さ、疲れただろ?そろそろ夕食にするか?それとも寝るか」


「……ちょっと寝ます」


「ご飯食べます……」


 カイが転がり、ジンは腹の音を鳴らしながらだらんと立ち上がる。いつの間に外に出ていたのか、ユカが部屋に戻ってきて、気絶するように眠ったカイに毛布を掛けた。


「歩けるかい?」


 ナリタがジンに手を差し伸べる。ジンはその手を取り、よろよろと歩いて去っていった。ユカもその後に続く。一応と電気を消し、扉を閉めた。


 ※


 「おお……」


 ジンが食卓のテーブルで見たもの。それはオムライスとミネストローネであった。しかしそれらは目からでも美味しさが伝わりそうな見た目であった。つるりとした黄色い玉子のベールは眩しく光を弾き、ミネストローネはバランス良く具材が散りばめられ、鮮やかに映っている。空腹でなくとも食べたくなってしまいそうだ。


「すこーしだけ、腕によりをかけて作ってみたんだ。どうかな?」


「いや……もう」


 ジンはそれ以上の言葉が出なかった。この料理の魅力を説明するためには、自分の語彙力ではとうに足りないと悟ってしまった。

 ふと横を見ると、しっかりカイの分まで用意されている。改めてナリタの優しさを知るとともに、疑ってしまった自分が恥ずかしくもなってしまった。


「さて、カイは寝てるし先に食べてしまおう」


 そう言われて三人は席に着く。目で充分味わったら、あとは食べるだけだ。濃い目の味で仕上げられたチキンライスは、疲れた体が欲しがる塩梅であり、トロトロの玉子で五感がさらにかき立てられる。温かいミネストローネは染み渡り、疲れに疲れた身体を芯からほぐしてくれる。完食する頃には、ジンはほぼ全快とも言える状態だった。


「やっぱり、ナリタの腕は天才的すぎる」


 ユカがため息をつく。「メイジャーより料理人の方が向いてたんじゃない」


「そうでもないさ、僕は高級レストランとかで出される、あのよく分からない料理は作れない。家庭的な料理しかできないから料理人にはなれないよ」


「十分よ。私を見たら分かるでしょうに」


 ユカは嫉妬しているのか、膨れっ面をしてナリタを見る。当のナリタはそれを見て、ジンに囁いた。


「ごめんな、いつもはこんなことないんだが……ちょっと無愛想になってるかもしれない。なんせユカはツンデレだからな」


「違うって!」


 赤面したユカがテーブルを叩いて立ち上がる。その顔を見て、ほらとナリタが指差す。恥ずかしくなったユカは真っ赤になって顔を押さえ、静かに着席した。それを見てナリタはジンに共感を求めながら笑い、ジンは愛想笑いで応えるほかなかった。


 ※


 「そういえば、カイはまだ寝ているのか?」


ユカが食器を下げたとき、ふとナリタが聞いてきた。そういえば夕飯に参加していないどころか、動いた気配すらない。疲弊しきっているから、数時間も寝てしまうのだろうか。毛布を掛けず、野ざらしでほっといた方が良かったかもしれないと、ユカは今更のように悩む。


「……ユカ?」


「あっごめん……様子見てきたほうがいいかな」


「そうだね、あまりの疲労でぽっくりいかれても困る」


 冗談だとわかっていても、どこか冗談とは思えない空気が漂っていた。「そうね……ジン、一緒に来て」


「は、はい」


 飛び起きたように慌てて、ジンがユカの後についていく。ナリタが一度、首を傾げてうなった。


 ユカはお構いなしにトレーニング室の扉を開ける。室内は暗闇に包まれていたが、既にユカは勘づいていた。


 ――カイの気配が、ない――


 躊躇なく明かりをつける。案の定、そこにカイの姿はなく、毛布のみがひっそりと佇んでいた。横ではジンが、目を見開いて周りを見回している。忽然とカイは、足音ひとつ立てずに姿を消してしまったのだ。


「――そういうことと」


 緊急招集されたナリタが現場を見て頷く。その姿はさながら刑事のようであった。


「僅かながら魔力の痕跡があるね。どれ、僕の能力を使ってみよう」


 ――追憶の眼オモイデ――


 ナリタの視界に映るは、途切れ途切れの過去の情景。10分前、まだいる。15分前、まだいる……いや、何か映ったかもしれない。


15分前程度に集中して視る。忽然と姿を消すカイ。素人でも分かる。魔術師が魔術を行使して連れ去ったのだろう。


「ナリタさん!」


切羽詰まるようなジンの呼びかけで能力は終了する。「どうした?」


「テレビ……」


 ジンがリビングの方を指差し、落ち着いてナリタが向かう。ユカがテレビを見ていたので、ナリタも画面を見る。


 臨時ニュースがやっていた。内容は、テロ組織によるメイジャー協会への犯行声明だった。


 今日午後八時十分頃、突如動画サイトに上がった犯行声明。出したのは「アジュシェニュ」というテロ組織だった。世界を股にかけるとまではいかないが、この地域ではそこそこ有名な組織であり、過去にメイジャー協会による掃討作戦が行われていた。


 犯行声明に出した動画では、一人の男性を目隠しして拘束し、それを銃殺するというもの。その後同じようなメイジャーの人質を何人も持っていると言い、三日以内に身代金などの用意をしないと全員殺すと告げた。


 『人質開放の条件』

 一、身代金と掃討作戦の賠償金など、総額十六億ペンドの要求


 二、メイジャー協会は今後アジュシェニュに干渉しないこと


 三、メイジャー協会調査団の解体

 

「いったい誰がこんな要求を飲むと言うんですか」


 ナリタが電話越しにそう言い放つ。


『俺もこの要求を飲む気はない。しかし奴らの言っていることは事実だ。殺された男性は二級のメイジャーだ』


 電話の向こうにいる男性はそう断言した。


「……盗聴の可能性もあるので、今から協会に向かいます。そこで会議をしましょう」


『分かった』


 電話を切り、心配するように見ていたユカに振り向く。


「恐らくだが、カイもその組織に拉致された気がする……時間がない、ユカも協会に――」


「それはいいけど、ジンを一人にしたら危ない」


「……そうだった。ジンも来るといい。協会の方が警備がよっぽど厳重だ」


「……はい」


 有無を言わさぬ緊迫感、仕事の顔をしていたナリタの前では、ジンはその命令に従うほかなかった。


 ※


 数時間振りの協会本部ビル。しかし雰囲気は初めて入った建物のようだった。あちらこちらで人が急ぎに急いでいる。かなり切迫しているのか、カウンターの電話が鳴り止まない。それとは他に、どこかの軍隊が揃って出向きに来ていたりと、メイジャー協会は世界的にも重要な機関だと改めて考えさせられた。


「悪いが、ジンはここで待っていてくれ」


 一階ロビーでそう告げられ、ジンは近くの椅子に座った。何もない虚無感より、何もできない無力感がジンを襲う。ナリタさんやユカさんならカイを助けられる……でも、まだ僕には……できないのだろうか。

 まだ数日しか知り合ってない。それなのにも関わらず、お互いに強い信頼と友情で結ばれた。僕はそれをわざわざ手放したくない。自分から見捨てるなんてごめんだ。危険だろうがカイを助けたい。ではどうすれば?


 そこまで考えたところで、隣に誰か座る。


「また会いましたね」


 冷たい声色で冷静な口調、コタローさんだ。


「……カイが攫われました。でも自分じゃどうにもできません……僕はカイを助けたい、じゃあどうすればいいですか」


 絞るような声でジンは尋ねた。こんなこと聞いても無駄だと分かっている。コタローさんなら何もできないと、バッサリ切り捨てる。


「私に聞くとは、否定されたいのですか?」


 思いがけない返事がやってくる。否定?どう言うことだ。コタローの話はまだ続く。


「私は贔屓をしない。なのであなたが助けようとしても無力だと断言します。しかし今の君は……助けられないより、助けたくないと思ってはいませんか?」


「何を言ってるんですか。僕はそんな――」


「自分の心の底は、自分でも盲目になります。あなたは私に不可能と批判されることで、むしろ助けないといけないという重たい使命感から逃れようとしてはいませんか?」


 何も言い返せなかった。その言葉は真っ向から否定したかった。なのに口が動かなかった。図星だったから。どこかでそう思ってたから。ジンは自分に呆れた。カイを見捨てていいと、そう思っている自分がいることが許せなかった。


「助けられないと分かっているなら、他の人に任せてもいいのですよ」


 コタローの忠言に惑わされそうになる。だが、ジンの根幹に強く根づく思いは引き抜けない。


「助けられなくてもそれでも……僕はカイを助けたいです。例え何も力になれなくとも、その気持ちだけは誰にも負けたくない」


「……よく、そちらに舵を取れましたね。常人ならば楽な方向に逃げるものを……君は」


 そう言ってコタローは立ち上がった。「事前情報によると、再びアジュシェニュ掃討部隊が召集されるそうです。志願制、その後審査し、担当を割り当てられる。是非、あなたの師匠に打診してみてはいかがでしょうか」


「コタローさん……ありがとうございます」


 小さくなっていくコタローの背中に、ジンは深くお辞儀をした。戦闘じゃなくとも貢献できる部分はある。僕はそれでもいいから、カイの救出をサポートしたい。拳は強く握られた。


 ※


 「それで……司令すら急用で来れなかったと?」


「国際警察所属の人もいる。大方そちらに出向いているのだろう」


「だとしても、帥が四人しか集まらないのはどう言うことなんですか。代理として帥ではない人が招集される始末とはね」


「まあいいんじゃないでしょうか……次世代の帥を担うと考えれば」


「今の帥はそうそう変わらないだろ。俺たちはただの後詰めってことだ……」


「もう話を始めましょう。僕たちが呼ばれたのは、あのテロ組織のことで間違いないですね」


「師匠が来てないが……あちらも軍の会議が先か。よし、始めよう」


「と言っても、話す内容なんてほぼ決まってますよね」


「うーんそうだね。要求を飲む姿勢を見せながら裏で掃討部隊を結成し、アジトを叩く。そして人質を救出次第、協会と軍による世界各地のアジュシェニュ徹底討伐作戦が行われる手筈だ」


「部隊は何人必要になるでしょうか……?」


「最低二十人?百は越えないで欲しい。私の能力が限界になる」


「二十……三十といったところかな。すぐに動ける人を集めよう」


「当然と言ってはなんだが、ここにいるメンバーはもちろん参加するよな?」


「異論ない」


「質問なんだけど、僕はこの任務に必要とは思えないかな……僕の能力は隠密作戦には向かない」


「いや、カナタの能力は撹乱に使える。陽動部隊として活躍しろ」


「コタローさんがそう言うなら、行きましょう」


「あとは適当……ではダメか。遊撃部隊と救出部隊に分けて編成する。オッケー?」


 声を上げるものはいない。


「分かった。詳細な作戦についてはアジトの地図が入り次第決めよう。解散」


 ※


 暇を持て余したジンが行き着いたのは、身体中のオーラを鍛えることだった。

 身体中を血のように駆け巡るオーラの流れ、せせらぐようにしながら、全体を加速していく。身体の血が滾り、熱をもつ感覚がある。だんだん鮮明になる力の流れ。氾濫しないように穏やかに、されど小川になっては力及ばず。慎重に、その中間で流れを安定させる。

 速く穏やかに、敏捷かつ柔軟に、巡る流れを加速させながら抑えるんだ。遅ければ顕れず、速過ぎれば留まらず。

 じわじわと力が湧いてくる感覚。一気に膨張させてはいけない。気は遠くなりそうだが、ゆっくりじっくり力を引き出していく。


 しかしこれはジンの脳内時間でのこと。現実時間から見れば一瞬のことでしかない。周りの目から見れば、その魔力の流れは非常に違和感がなく、自然と揺らいでいる。


「ジン」


 呼び止められ、ジンは顔を上げた。それでもオーラは淀みなく絶えず纏われている。それを見たナリタは、少しの間声が出なかった。まだ初めて一日も経っていないはずだ。なのにここまで基本の流れを掴んでいる。反応しても変化なく、なだらかでいて力強い。


「……推測だが、カイもアジュシェニュに捕まったものと考えていい。だから――」


「ナリタさん」


 ジンが立ち上がる。「……掃討部隊、作られるんですよね」


「……そうだ」


「僕を……掃討部隊に入れてください」


「……ダメだ」


 ナリタが静かに告げる。「これは非常に危険で重要な任務だ。そのメンバーも精鋭が集められる……と言っても、寄せ集めの精鋭だがな。それでもジンには無理だ、断言できる。今は命を大切にしろ。僕たちに任せるんだ」


「でも……僕はカイを助けたいです」


 一段とそのオーラは力強さを増し、密度が濃くなる。「黙って傍観はできない。カイが死んでしまったら、参加できなかった僕は一生後悔することになる。そんなことにはなりたくないです」


 その雰囲気にナリタが一瞬たじろいだ。


「一週間」


 後ろにいたユカが突然口を開く。「一週間で全霊拳まで覚えなさい。それができたら掃討部隊に入れてあげる」


「ユカ……」


「本人がそこまで強い決意を持っているの。私たちもそれを呆気なく捨て去る訳にもいかないでしょ」


「確かにそうだが……一週間でそこまで覚えられるか?」


「できるかじゃない、やります」


 きっとナリタを睨み、ジンが断言する。最終的にナリタが根負けしたような状況になり、


「……分かった。一週間だからな」


 ため息をついてそう言った。「そうとなったらすぐに修行を始めよう。行くぞジン、ユカ」


「……は、はい!」


 一筋の希望を見出した。時間は残されてない。全力でやるしかないのだ。ジンのその一歩は、決意を叶えるための第一歩となった。

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