第一章 二幕 10.魔術戦
手一つ分。それほどの距離だった。
コタローの手が届く前に、ジンはバッヂを掴み取る。
「なっ……」
その一瞬だけ、二人だけの世界になった。お互いの目が合う中、コタローの声が響いた。
そして時は動き出し、周囲の喧騒がまた聞こえ始める。ジンが速いスピードのまま着地し、少しスライディングして止まった。遅れてコタローがゆっくりと降りてくる。
コタローが驚きに満ちた表情でジンを見つめる。ジンはしばらく同じような表情でバッヂを見つめていたが、コタローの視線に気づき顔を上げた。再び目が合い、コタローは思い出したようにジンに歩み寄った。
「失礼……受験番号は」
騒ぎを聞きつけて集まった受験者を無視し、コタローはジンに尋ねる。
「受験番号……あっ」
はっとしたようにジンはバッヂを探したが、随分前に他のバッヂと共に捨ててしまったので当然持っているわけがない。
「……ありません」
「では、名前を」
「ジン・クロスです」
クロス――ダン先輩と同じ名字……予想通りと言ったところか。半覚醒ながら、素晴らしい身のこなしだった。
「ジン・クロス……現時刻をもって試験合格とします。おめでとうございます」
ジンは一瞬何を言われたのか分からず、呆然としていた。
「ジンやったね!」
レナが駆け寄って思いっきり抱きつかれたところで、ジンはようやく理解した。
「……僕、合格したんだ」
「ああ、そうだよ」
少し不機嫌そうにカイがやってくる。「まったく、漁夫と言ってはあれだが……いいところだけ持っていきやがって」
「別にあのままやってても、私たちじゃ取れなかったでしょ」
とサクラが指摘する。
「まあ……そうだな」
しぶしぶカイはその意見を認めた。気づけば、周りに受験者が集まっていた。拍手や歓声を送る者も居れば、悔しそうな表情をしている者、自分でも取れたとふてくされる者もいた。だが圧倒的に称賛の声が多く、ジンは今更のように恥ずかしくなった。
「ちょっと待たんか!」
急に怒声を上げた者がいた。屈強な大男が数人、ジンの前に出てくる。
「こんな小僧で取れるなら、俺にだって取れたぞ! きっと試験官と手を組んでいたに違いない! 俺と勝負しろ。お前が負けたらバッヂを渡してもらおうか!」
「血の気が多いこった」
カイがぼそりと呟いた。対するジンはその男たちを見据え、はっきりと言った。
「別に渡しても構いませんが、もう僕の合格は決まってますし、もうあなたが手に入れてもそれはなんの意味もないと思いますよ」
ですよね? とジンはコタローの方を振り向く。
「……その通りです」
ちょっと間を置いて、コタローが一切表情を変えずに答える。「赤いバッヂを取ったものはその時点で合格ですので、もう試験を続ける義務もありません。そしてそのルールによる合格者が既に出ているので、それ以上は無効扱いになります」
「何だと、一人だけとは言っていなかったじゃないか!」
「失礼、それは説明が足りなかったようですね。しかし考えれば常識的なこと。もし一人だけという制限がなければ、そのバッヂを回していくだけで全員合格になり得ますから」
「ぐっ……」
男はしばしコタローに圧倒されていた。しかし一度この場に出てしまったからには引き下がれない。彼のプライドがそう判断したのだろう。
「もういい! バッヂの一つに数えられるのなら奪ってやるよ!」
と、ジンに襲いかかった。カイは既に見抜いていた。速度も威力も、ジンの方が勝っている。ジンもそう読んでるだろう。迎撃の構えを見せるジンをカイが確認したときだった。
ほんの一瞬でコタローが前に出た。男の拳を、鞘がついたままの刀で受け止める。
驚いた男はすぐに引き下がり、我に返ったところでコタローを怒鳴りつける。
「てめえ……やっぱグルだったのか……!」
「いいえ」
冷静にコタローが返す。「私は試験官の立場、よって受験者に肩入れすることなどもっての外。しかし、今は仮と言えど、この少年は既にメイジャーです。同業者を助けるのは当然のことでしょう……もう分かりましたね」
そう言ってコタローは刀を抜く。「これ以上この少年に危害を加えるようなら、私が相手になります」
その言葉と共に発せられた威圧は、同じ思いを持つ全員をひるませた。ジンはその姿を見て心の何かが震えていた。誰かのために自分を投げ出せる。それはどんな人であろうとも変わらない。メイジャーとはそう言う人たちなんだと。
そして大男は悶えていた。挑戦するだけでも価値はある。しかし一歩を踏み出したいのに踏み出せない。そんな感覚が大男を追い詰めた。
「ぐっ……うう……ああこのー!」
大男は苦しく吠えた。そのときだった。
「見苦しいよ」
嘲笑するような声がした。同時に、大男のこめかみにナイフが刺さる。悲鳴の一つも上げられないまま、大男は後ろに倒れた。
「クックック……この実力で試験官に挑もうとしていたのか……頭が空っぽなんだな」
その大男を踏みつけ、一人の男がコタローの目の前に迫ってきた。白色で統一された、奇抜な服装。それに相まってか、肌も妙に白い。黒いのは長く伸びたさらさらの髪と、手に持っているステッキのような物のみで、その男だけ見るとモノクロ写真を見ているようだった。
「……どなたですか」
警戒しながらコタローが聞く。
「ボクはカオス・ゼノ。ただの
そう言ってカオスはステッキで左手を叩く。すると手の中に黒いシルクハットが現れた。周りの受験者がどよめく一方、コタローは冷静に相手の力量を推し測っていた。
「先程の一件も手品の一つだよ」
カオスはステッキでシルクハットを叩き続ける。不思議なことに、叩くたびに白いハトが中から出てくる。これにはコタローも、少し怪訝そうな表情をした。その間にもカオスは話を続けている。
「ボクたち
言い終わったところでコタローは察知した。先程のハトが全てまっすぐこちらに向かってきている。幸いそこまで速くない。余裕を持って避けることができそうだ。
コタローがその場を離れた瞬間、ジンも異常を察知してカイたちのもとまで退がった。その数秒後、ハトが次々とコタローのいた所に刺さった。通常ありえない光景にジンは開いた口が塞がらなかったが、本当の衝撃はこれからだった。
突如ハトが内側から膨らみ、破裂した。ハトの形をした爆弾かとコタローは推測したが、周囲に散らばった赤い肉片と未だ蠢く内臓、そして血溜まりが本物であったことを物語っていた。一瞬にして辺りが凄惨な光景になり、人々は飛ぶように離れていった。さらに近くで見ていたカイたちも離れるが、途中でサクラがふらついたため、その場にとどまることを選ぶしかなかった。
「なんて奴だよ……あいつ」
とカイが呟く。カオスはこの中で唯一、快楽に近い笑みを浮かべていた。
「うっ」
サクラが少し吐く。凄惨な光景であることが脳裏のトラウマと結びついたらしかった。カイが急いで介抱に回る。その音を聞きつけ、カオスの顔がぐるりとこちらに向く。
「……いい反応をする」
笑みが一段と邪悪を増した気がした。その表情のままこちらに近づいてくる。シルクハットはいつの間にか消え、抜き取ったのか先程のナイフを持っている。
「その反応……もっと欲しいね。そうだな、悲鳴と絶望感もつけてくれると嬉しいかな」
完全に殺す気でいる。それはサクラを含む全員が感じ取っていた。浴びせられる容赦無い殺気はさらにサクラのトラウマを呼び起こした。
「やめて……こないで……こないで! こないで!」
絶叫に近い声を上げて後ずさるが、既に腰が抜けている上にパニック状態を起こしていてまともでない。
「おい! 落ち着けサクラ!」
カイが必死に呼び起こす。今、サクラの目には何が映っているのか定かではなかった。カオスの姿が過去の惨劇の瞬間とリンクし、幻覚に近いものを見ているのかもしれない。現にサクラは未だパニック状態で尋常じゃなく震えている。それを見てカオスは更に喜んでいた。
「ちょっと! いい加減にしてよ……サクラちゃんはもう限界でしょ!」
「それがいいんだよ。恐怖の絶頂の中で更に恐怖を与え、完全に心が壊れた人間が一番殺っていて心地良い……」
レナが怒鳴ってもカオスは歩みを止めない。今までで一番緊迫している。この狂い具合、そして殺気から感じ取れる強さ。
苦し紛れにジンとカイが間に立ちはだかった。
「どうだ? 勝てそうか?」
カイが尋ねる。ジンも声を震わせながら答えた。
「確実に分かる……ヴィッテより全然強い。下手したら……一瞬でみんな殺されるかも」
「やっぱりか」
カイが諦めたように目を閉じた。しかし次目を開けたときには既にオーラが立ち昇っていた。「でもやるっきゃない。全力で止めるぞ」
「やってやる」
ジンは見た目こそ変わらないが、しっかり臨戦体制を取る。冷や汗が二人のこめかみを伝った。
「いいね。この緊張感。ますます盛り上がる」
カオスは短刀を左手に持ち、くるくると自由自在に回しては構える。
「そうだな、まずは……」
少し立ち止まり、首を傾げて呟いた瞬間だった。
ジンとカイの間を、風が通り過ぎた。
「キミから殺ってみようか」
ジンの耳元で囁く。鋭い刃がジンの首に迫った。
それを認識したコタローは飛び出し、一瞬で刀を抜いて刃と首の間に挟む。
高らかに金属音が鳴った。ジンの首筋にひんやりとした鉄が触れる。コタローの刀の峰だった。カチャカチャと音を立てて震えている。そしてすぐそばに、カオスが振るった短刀がコタローの刀と打ち合っていた。自分の喉の寸前で行われた命の攻防にジンは震えた。コタローさんがいなければ間違いなく首を斬られていた。
打ち合ったままコタローが踏み込み、カオスを巻き込んで飛び出した。その速度のまま壁に激突する。
激突した数秒後にコタローが飛び退いて体制を整える。煙を払ってカオスが出てきた。
「試験官自ら出向いてくるとは……」
「あの少年はすでに私たちメイジャーの一員です。彼に刃を向けるなら、私がまず相手になりましょう」
「刃だけじゃない。牙でもハトでも、なんでも向けてやろう」
カオスはまたシルクハットを出現させ、その中からピストルを取り出した。そしてコタローに一瞬で至近距離まで迫った。
「お前を殺してからな!」
そのまま脳天に銃口を当てて引き金を引いた。しかしコタローは刀を回し、銃身を叩き斬る。中から弾丸が真っ二つになって、それぞれの切り口から出てきた。
「素晴らしい」
カオスがゾクゾクと震えた。今度はシルクハットを地面に置き、剣をゆっくり取り出した。シルクハットの何倍もありそうな大きさの剣が出てきたことに周囲の人々は唖然とした。
「少し真剣に闘おうじゃないか」
「いいでしょう」
コタローが刀をまっすぐ構えた。「私に剣で挑むとは、余程の自信家のようですね」
「勿論。今まで負けたことなんて一度もないから」
言ったそばから二人は走り始めていた。初撃はしっかりと打ち合った。しかし、そこから先は完全にコタローのペースだった。変幻自在に繰り出される攻撃はたちまちカオスを防戦一方に追い詰めた。カオスは剣一本で防ぐ余裕もなく、両手に持ってもまだ苦しそうだった。
しかしコタローが疑問に思ったことがあった。それはずっとカオスが笑っていることだ。追い詰められているのはカオスのはずだが、ずっと楽しそうだ。戦闘狂の中でも特に狂っているのか、全く表情を変えなかった。
「いやー真っ向勝負だと勝てないね」
カオスが笑う。「だから少しズルをすることにしたよ」
「妥当な判断ですね。まあ、ズルをしてでも私は――」
「飛べ」
コタローが言い切る前にカオスが一言唱えた。すると両手に持っていた剣が浮き上がり、勝手に動くようになった。相変わらず剣は攻撃を捌くので手一杯だが、カオスの両手が完全に自由になった。
「ほら、剣だけに夢中にならないでね」
カオスは短刀を再び持ち、コタローに斬りかかる。コタローは浮いている剣の相手で手一杯。そう思われた。
「ズルとは、その程度で?」
コタローのけなすような声が聞こえた。そして刀に炎が宿り、より力強さを増した。
「なに?」
「ハァッ!」
加速をつけたコタローの刀は、浮いている剣を溶かしながら斬り飛ばし、返す刀でカオスの短刀をも蒸発させた。
「……驚いた」
溶かされた短刀の破片を持ち、カオスは目を見張った。「キミのそれはどういった魔術かい?」
「……なるべく見せたくはありませんでした」
コタローは残念そうに呟く。「魔術を見せると言うことは手の内を晒すこと。格下にはなるべく見せたくありませんでした。だが、あなたは魔術を使ってでも戦う価値があるので」
「なるほど、やばかったからじゃないの?」
「魔術を使うと使わないとでは大きく力が違います。先程までは魔力すら使っていません」
「じゃ、これからが本番ってこと?」
「いいえ」
と言ってコタローは刀を横に構えた。「ここからは、全て私の反撃です」
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