第一章 二幕 9.止まらぬ可能性

 バッヂに手が触れた。その刹那にコタローの腕が動いた。バッヂは空を切り、ジンの手からすり抜ける。コタローはジンに触れられたその感触で、反射的にバッヂを取られる事態を回避したのだ。


 少し遅れてコタローは振り向いた。視界にはまだ成人もしていないような少年……いや、年齢は青年に近いか。私が、この子にバッヂを取られかけただと?


 動揺でコタローの動きが固まり、その途端に残像が全て消滅した。


「消えちゃった……?」


「コタローが残像を出すのをやめたんだろう……でも、なぜこのタイミングで?」


 絞っても絞っても答えに行き着かない残像の配置ができるあいつなら、試験終了まで維持することも容易だろう。まさか、見破られた?


 どっと受験者がなだれ込み、怒号が行き交う場所が一か所だけあった。きっとあそこにコタローがいる。


「……見に行くか?」


「もちろん。強い人の動きは見ておきたい」


「レナも?」


「二人が行きたいなら、私もついていくよ」


「よし、気をつけて行こう」


 三人は集団へと忍び寄った。


 ※


 子供だと思って動揺してしまった。追撃を回避することはできたが、全員に見つかってしまった。

 コタローは、再び襲いかかってくる受験者を素早くかわしていた。あまり動かない訳は、あの少年について考えていたからだ。


 確かに私は気配を殺していた。受験者と言えど、そこまで気を抜いたつもりはないが、持続させるために少し手を緩めた部分はあった。しかし、そこをすかさず察知し、なおかつ私が反応する前に迫っていたとは。


 あのとき感じた探るような気配、瞬間的に反応してしまった。まさかとは思うが、あの少年が出したものなのだろうか。少年はどうやって私を見抜いた? 少年があの気配を出していたのなら、既に『陣』が使えるということになるのか?


 今思えば、あのバリアは少年が出したもの。無意識なのか意図的なのか。ひとまず術を使えることは確かだ。しかも似た技を見たことがある。もしやあの子は……


 やはり気が動揺している。落ち着かせなければ。コタローは受験者から距離を取った。


「その動揺具合。気づきましたか」


「ああ……君が見込んだだけあるな。ましてや、私に報告していない重大な情報もあるだろう?」


「へえ、どんなのか想像つきますか?」


「馬鹿にしないでもらいたい。遺伝だろう」


「やっぱり、コタローさんなら気づきますか」


「ダン先輩……先輩と呼ぶには歳は離れ過ぎているか。まあ、大方先輩の親族か息子ってことだろう」


「さすが」


「では、私はまた鬼ごっこを続けるぞ。そっちは……今は何もないか」


「ええ」


 少年はにこりと笑った。「頑張ってください」


「応援されなくとも」


 そう言い捨て、コタローはまた飛んだ。


 銃声が右から聞こえた。刀で弾く。今度は後ろから。空中で回転して弾く。


「今だ!」


 だれかの号令と共に、右、左、下、後ろから銃弾が一発ずつ飛んでくる。


 コタローは気配で四発の銃弾を察知し、大きく目を見開いた。その瞬間だけ時が止まったように、コタローは思考を深めた。


 そして一秒にも満たない間に、コタローは右の銃弾を弾いた。その勢いで後ろの銃弾も弾き、残りの二発は体をひねり、寸前でかわした。

 着地には成功したものの、目の前には多くの受験者。多すぎて全てをかわし切るのは困難。飛べば再び先程のような攻撃が襲いかかる。


 幸いにも、集まってくれたおかげで向こうに受験者はほとんどいない。そこまで駆け抜ければいいだけだ。


 数秒にも満たない内にコタローは走り出した。立ちはだかる受験者を次々と避ける。剣が道を阻む。コタローは回転しながら低く跳んで剣をかわす。次は頭を狙って来たので下をスライディングで通り抜ける。四方八方から狙ってくる矢や銃弾は刀で弾くのが普通。時にかわして、ただ駆け抜ける。

 コタローは受験者の群れを抜けた。そこを狙い、ジンが飛び出した。


 先程の少年っ……!


 コタローはジンの疾さを警戒し、さらにスピードを上げた。ジンはそれについてくる。流石のコタローも、これには驚きを隠せず、感情が表情に表れた。


 馬鹿な。『翔』を使っていても喰らいついてくるとは――


 癪だが、を使うしかない!


 ジンはそのとき確かに見た。コタローの体の周りを稲妻が駆け巡り、電気のようなものを帯びていたこと。


 目で追えないコタローの速度に、ジンはさっきまで心を満たしていた自信を、一気に崩された気がした。これがメイジャーの実力、格の違いか。


 でも今一度考え直せ。ジンは諦めなかった。コタローさんはきっと全力を出した。つまりあれが限界。あれに勝てたら、まだ勝機はある。

 でも真っ向から向かって勝てる気はない。またバッヂを取るチャンスを狙うんだ。今回は自分の力だけでは不可能だ。周りを使うんだ。


 もう引き下がれない。次で決着をつけてやる。



 ※



 右往左往する受験者の後方に、コタローは姿を現した。即座に、受験者が反応して飛びかかってくる。再びコタローは稲妻を纏って目の前から消える。


「ネズミみたいにチョロチョロ動きやがって!」


 男が横から、コタローを追いかけるように機銃を乱射する。背後から機銃の雨が迫ってくる。コタローはしばらく逃げ回った後、急に止まって上に跳び上がった。その下を機銃の雨が通過していく。コタローはさらに受験者を翻弄するために、会場を駆け回った。ほとんどの者はコタローを視認するだけで手一杯だった。


 バッヂを奪われることは、メイジャーの卵に現職のメイジャーが負けるということ。それは私の沽券に関わることだ。なんとしてでも避けたい。


 その固い決意がコタローの動きによりキレを出した。攻撃を出される前に、感知して回避するという芸当を見せたり、至近距離の銃弾を刀で弾き返し、しまいには端から端まで一気に移動してみたりと、人間離れしたその動きは受験者の精神を確実に折っていった。諦めて周りの受験者のバッヂを狙い、内紛状態に入っている集団も見受けられた。


 そんな集団を横目に見ながら安堵したときだった。


 コタローの進路を予測したように、視界の先に少年が立ちはだかっているのが見えた。先ほどの少年ではないことは分かった。だが私の行方を見破る限り、ただ者ではなさそうだ。


 少年がナイフを逆手持ちで構えるのが見えた。ナイフを使った近接戦の合間にバッヂを奪おうっていうのか。やれる者ならやってみろ。


 コタローは堂々と立ち向かい、スピードを上げた。しかし少年はしっかりとコタローの姿を捕捉しているようだった。やたらと目が合う。なかなかやるじゃないかと、コタローは感嘆した。感嘆していたあまり、気づくのが遅くなった。


 少年のナイフの柄の先が光った。金属製ならともかく、光が滑るような光り方ではなかった。奥のものが一瞬光を弾き返すような光り方。コタローは怪訝に思って柄の先に目を凝らし、目を丸くした。


 ――銃口……! あれはナイフの形をした銃か! ――


 気づいて回避行動を取り始めた矢先、銃弾が発射された。回避だけでは間に合わない。そう計算したコタローは刀を抜き、弾を弾く。


 それを待っていたと言わんばかりに、少年が距離を詰めてくる。初撃は体をよじって回避、追撃にはすでに体制を立て直し、しっかり刀で受けた。そのままその場で何度も打ち合う。ナイフと刀ではナイフの方が不利だ。しかし少年のナイフには銃が仕込んである。安易に気は抜けない。先程の私を捕捉していたことから、恐らく離脱しても確実に撃ってくるだろう。よってここは退けない。

 なるべく銃口を向けられないよう、慎重に受ける。受け流せば撃たれる確率は上がる。そう踏んだコタローは全ての攻撃を受け止め、防戦に徹していた。そのため、少しでも機会をつくりたいカイは決定打を得られなかった。


 この試験官と来たら化け物だ。どれだけ振る方向と速度を変えても対応し、更に完全に脅威が無くなるようにナイフの向きを固定してくる。お陰で銃口を向けられない。

 膠着状態が続くと睨んだカイはすぐさま予定を変えた。逆手持ちをやめ、コタローを刺しにかかる。


 焦りで血迷ったと思ったコタローはやすやすとそれをかわす。ナイフを受けるよりよっぽど簡単だった。


「今だ」


 少年の一言で背後に誰かが現れた。まさか仲間がいたとは。だが充分に回避できる。回避直後に隙を作る程、私は弱くない。


 問題は少年だ。銃口は……既にこちらに向けられている。血迷ったわけではなかった。私の早とちりだったか。さて、前に銃、後ろに仲間であろう何者か。回避する方向はもう決まっている。


 コタローは力強く踏み込み、飛び上がった。しかし見くびられたな、とカイは思う。空中でも捕捉できるさ。速度が落ちたとき、それが絶好のチャンス。サクラも既に後を追っている。どっちが先に襲いかかっても、待つのは俺たちの勝利だ。


 勝機は十分。お前の敗因は、子供の受験者だからと俺たちを見くびったからだ。カイは笑みをこぼした。


 ……だとでも思っているんだろう。コタローはカイの表情から読み取った。確かに照準は合わせられている。背後にいた少女も真下にいる。だが、私は別に君たちを見くびってないさ。


 コタローの速度は衰えず、遂に天井に達した。そのまま天井に足を着き、すぐさま斜め下に勢いよく飛び出した。


「なに?」


 カイは目を見張った。そうかここは地下空間。高いから気にしていなかったが天井がある。それを活かして急な方向転換で危機を脱するとは、追い詰めたように見せて全く追い詰めていなかった。カイは自分の詰めの甘さを痛感した。


「どうする?」


 サクラが近くに着地する。


「……方針変更だ」


 とカイ。「打撃は与えられずともバッヂは奪ってやる」


 ※


 着地したはいいものの、コタローは再び襲撃に遭っていた。相手は金髪の少女。速度こそ遅いものの、アクロバットで予測不可能な攻撃、そして異常な威力を持った平手があってか慎重だった。

 初撃の平手が最も強烈。離れていても風圧を感じるので、当たれば怯むことは確定。加えてアクロバットで多角的な攻撃な先程の二人より予測は不可能。だが速度はそこでもない。かわし続けていればいつか疲弊するだろう。

 少女は間髪入れずに攻撃を入れ続けた。突進するふりをして背後に潜り、下から拳を突き上げる。コタローは後ろに下がってそれを避ける。少女は流れるように、繋げて平手を繰り出す。コタローは大げさに距離を取って風もやり過ごす。


「追いついた」


 声の直後に銃声がした。コタローはかわしつつも撃った張本人を確認する。先程の仕込み銃ナイフの少年か。彼が来てるということは短髪の少女も近くにいるだろう。三人相手は流石に厳しいか。戦うだけならまだしも、私はバッヂを守らなければならない。即離脱が望ましいが、ナイフ少年と金髪少女が阻止するに違いない。よって持久戦が最も面倒だが安全だ。最優先で警戒すべきはナイフ少年、次に短髪少女の不意打ち。金髪少女も警戒すべきだが、速度が遅い分二人よりは警戒しなくとも良い。


 コタローは先程と同様、カイの攻撃を全て受ける。やはり銃口は合わせてくれない。サクラがカイの背後から飛びかかる。コタローはすぐさま後ろに下がった。やり損ねたサクラが着地すると同時に頭上を銃弾が掠め、コタローに向かって行く。刀では受けず、横に避ける。予測通り詰めてきたカイの攻撃に備えてだった。刀でしっかりナイフを受ける。数十回打ち合い、ナイフが弾かれてカイが後ずさる。同時にレナが下から脚を蹴り出してくる。今度は上に跳んでやり過ごす。着地したときには、カイが迫っていた。


 コタローが刀を構えて迎え撃つ。しかし出てきたのは拳だった。予想外の攻撃だったが、身体を傾けて避ける。その後もカイは体術を繰り出してきた。コタローは刀をしまい、両腕で全ての攻撃を受け流す。


 しかしここでコタローはある疑問を抱いた。なぜこいつはナイフを使わない。今、私は刀を構えていない。撃つのには絶好の機会のはずだ。拳にこだわる理由など無いはずだが……


 そして背後に現れたサクラ。その手には、カイが持っていたはずのナイフが握られていた。


 武器を渡していたか! 私が空中にいる間に素早く手渡すとは!


 ナイフがまっすぐコタローの背に迫る。上に逃げたいところだが、カイが迫ってきている。よって横しか手はない。


 コタローは間一髪で右に移動して双方の攻撃をかわす。しかしそれを見越したかのように、銃口はコタローを向いていた。


 間髪入れない銃撃はコタローが刀を抜く時間を与えなかった。コタローは苦し紛れに身体を捻る。銃弾がコタローの下を通っていった。しかし捻りという動きをしたことで、バッヂがポケットからこぼれ落ちてきた。


 早く取り戻さねば……!


 しかしコタローは今宙を舞っている。着地してからでないと取り戻せない。急いで周りを確認すると、先程の二人ははまだ体制を立て直している。金髪少女が迫ってはいるが、あの速度なら充分間に合う。


「やああッ!」


 レナが大きく腕を振る。全然届かない距離での平手。コタローが疑問に思ったとき、顔面にとてつもない風が吹いた。

 そうだった。あまり警戒していなかったので忘れてしまっていた! この少女の平手は威力が桁違い!


 驚いた後、すぐにコタローはさらに重要なことに気づいた。


 まずい! この強さだとバッヂが……


 コタローの視界の先で、バッヂが風に吹かれて高く舞った。一瞬で天井まであと半分くらいの高さまで上がる。


 取り戻せる! そう読んだコタローは、今まで以上に力強く跳んだ。


 ※


 バッヂまでの距離をどんどん縮めていく。でも間に合うはずだ。


 もっと速く走れ高く跳べ! コタローさんを超えろ!


 壁を超えろ!


 音速を超えろ!


 加速をつけたジンは音を置いて駆ける。飛び上がる瞬間、衝撃波が地面を走った。衝撃波を何度も蹴ってジンは空中を駆け上がる。バッヂは目前に迫っていた。


「届けー‼︎」

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