第一章 二幕 7.決着
レナが腰を落とす。サクラがナイフを顔面目前に突き出した。
「終わりよ……完全に私の勝ち……あなたの、負け」
サクラは肩で息をしていた。所々土汚れはついたものの、血は流さずに終わった。
対するレナは傷だらけで既に疲労の極限に達していた。今彼女を動かしているのは精神だろう。肉体はもう動かないが、諦めないその気持ちだけがレナを動かし続けた。
だが人というもの、いつかは切れる。レナは遂に気持ちが切れ、電源が切れたかのように急に力尽きた。レナはもう動けもしないだろう。今度こそ完全に負けよ。あなたの。
※
体がだるい。全身が石化したみたいに動かない。今はサクラを見ることしかできない。その視界すらぼんやりしてよく見えない。気を失いかけているんだと思う。諦めたくない……けどもうダメかも。
「はは……サクラちゃん強いね」
レナが目を逸らす。サクラはそれを負け惜しみとして受け取り、体を震わせて声を荒げる。
「当然よ! わたしはあの日から、二度とあのようなことが繰り返されないように、メイジャーになって止めるために、今日まで頑張ってきたんだから! もちろんカイのように復讐心もあるけど……私はそれより、これ以上私みたいな人を増やしたくないの!」
「あの日って、村の?」
サクラがどきりとする。「なんで知ってるの……」
「聞いたの。ルギオさんに」
あの人、余計なこと教えて。サクラは苛立ったが、平然を装いさらに尋ねた。
「それで? 何が言いたいの」
「それが本当にサクラちゃんのやりたいことなの?」
「あなた、まだ喧嘩売ってるの」
サクラの目が開き、鬼の形相で怒鳴った。
「あなたには分からないでしょうね! 私がどれだけ打ちのめされたのか! 目の前で人が殺される瞬間を見た恐怖がどんなものだったのか! その後の生活が……どんなに苦しかったか……」
サクラは泣き出していた。
「サクラちゃ――」
「私は!」
怒鳴るサクラにレナは悲しくなった。どれだけ辛かったのか。いや、どれだけ辛いのか、本人の言葉だとよく心に響く。自分まで泣きたくなってしまいそうだった。
「私にはもう、楽しいが分からない。嬉しいも分からない。ただ辛い過去に取りつかれて生きる行為をしているだけ。感情なんかなくなった……記憶と共に。もう私には……楽しかった記憶なんて残ってないの……!」
声を掠れさせ、鼻をすすりながら訴えたサクラはやがて自分の感情に押し潰さた。ナイフを落とし、顔に手を当てて、その場にへたり込む。
泣き続けるサクラにレナはそっと寄り添い、優しく腕の中に包み込んだ。
「確かに記憶は失くなってしまったかもしれない……でも感情は綺麗に残ってるよ」
サクラが顔を上げる「なんで?」
サクラの顔をじっと見据えて笑った。
「だってこんなに涙出てるじゃん。感情が失くなっていたら、こんなに涙は流れないよ」
「……ありがとうレナ……」
サクラちゃんも女の子だった。私より強いけど、私より脆かった。時間が許すまで、レナはサクラを慰めていたかった。
「いるじゃん弱っちそうなのが」
「ホントだ、怖くてちびったんじゃねぇか?」
複数人の受験者が二人を囲む。
「ほぉ、近くで見るとなかなかのべっぴんさんじゃねえか?ちょいと俺たちとイイコトして――」
「近寄らないで」
直後男が宙を舞った。立ち上がったレナが受験者に怒鳴った。
「女子の気持ちも分からないなんて、男としてサイテーね。せめてその性格直してから出直して!」
鋭い剣幕に受験者、特に男はたじろいだ。
そのとき、あちこちから悲鳴が上がると共に体に切り傷が付く者が現れた。
「ああそうだ」
カイがレナの反対側に立った。「束でかかっても俺たちには到底勝てないだろう。出直せ」
「……カイ」
やがて受験者は散り散りになり、しぶとく攻撃の機会をうかがっていた最後の三人もようやく心が折れて去って行った。
「……大丈夫だったか。サクラ」
カイが振り向く。
「……うん」
「本当か?泣いた跡があるぞ」
「なんでもない、本当になんでもないの」
急に恥ずかしくなってサクラは顔を覆った。
「ねえカイくん」
「なん……カイくんだと?」
「あっごめん。呼び捨てはちょっとって思って」
「咎めはしないが……それよりなんだ」
「血……すごいよ」
「カイ、また怪我したの?」
顔を覆っていたサクラが瞬時に反応し、カイに駆け寄る。
「また無理したんでしょ。命の危険がない程度にって、いつも言ってるじゃん」
「いやほとんどの箇所止まったし、意識も大丈夫だ」
それより、とカイはサクラを覗き込む。
「サクラこそ急にどうした?」
「……あっ」
しばらく固まり、サクラが戸惑い始めた。「ごめん。二人で暮らしてたときと同じ感じで心配しちゃって」
「夫婦みたいね」
「は?」
レナの幸せがこもった言葉を、カイは一言で粉砕した。「逆に普通血だらけでここまで心配し合わないのか?」
「あー……うん。心配するね」
なるほどこの二人、恋愛感情自体が薄すぎる。
レナはその光景を、羨ましくももどかしくも感じた。
「あっそうだ」
レナが思い出す。「カイくんはちょっと離れてくれない?」
「なんで」
「乙女の会話ってやつ?男子は禁制」
「はあ」
乙女心に疎いカイはしばらく近くをうろうろしたが、サクラが説得するとすぐにどこかに行ってしまった。
レナが向き直る。「サクラちゃんの勝ちだったよね。はいこれ」
レナが五枚のバッヂを差し出した。
「え、そんな今更」
「約束は約束。それとも、まだ私が弱いって言う?」
サクラがこれまでの戦いを思い返すようにまぶたを閉じる。
「いいえ、あなたは強かった」
穏やかに笑ってバッヂを受け取った。「でも、レナはそれでいいの?」
「大丈夫」
とレナはもう一つのポケットを探る。ポケットから出てきたものを見た途端、サクラが素っ頓狂な声を上げた。
「えっ?これって……」
「うん。五枚のバッヂ。予備として余計に持っておいたの」
「なんだもう……早く言ってよ」
おかしく思えてきて二人は笑った。「全く、あなたの方が全然先を見通してた……なんて」
「えへへ」
レナが照れ臭く笑った。
「とにかく……これで二人共条件クリアね。カイ、戻っていいよ」
サクラが呼ぶと、しばらくしてカイが上から現れた。なぜ上から来たのか。レナが体をびくつかせたが、二人は気にもしないで会話を続ける。
「私たちもバッヂ五枚集め終わったよ」
「そうか」
とカイは立場を整える。「それなら、ここからは防衛戦だ。襲われたら逃げることを前提に戦う。まあ三人いれば、返り討ちにすることなんて容易いと思うが……無駄な体力の消費は控えろ」
「りょーかい」
二人が軽く返事をした。
「じゃ、行くぞ」
カイが人気が少ない場所に移動し始めたのを見て、二人もすぐに動き出した。
しかしそのときサクラは見た。
レナが恐ろしく暗く、冷たい顔をしたのを。
何かを捨ててでも強さを得たいと決心した目だった。
では何を捨てるの? ジン? それともこの仲間?
サクラはその表情を忘れられなかった。
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