第一章 二幕 5.コンプレックス
サクラは戦場を駆け回っていた。無駄な争いは避けたい。これ以上無駄なバッヂの取り合いはしたくなかった。
メイジャー試験とはこんなものかと、サクラは拍子抜けした。見るからに強そうな巨躯の男も、武器をたくさん持った殺人鬼のような人も、化けの皮を剥がせば所詮木偶の坊。この感じだと森の猛獣たちの方が、木偶数人分強い。
入ったときに感じた威圧が嘘のようだ。どいつもこいつもなんの面白みもなく、戦いにおいてなにか素晴らしいということもなく、それだけだった。あの威圧は少数の強者と試験官のもの。今となってはそうとしか考えられない。
私ってこんな強かったんだなと、サクラは自分に感心した。でも、
そんなに強いなら、なんで村を守れなかったんだろう。
こんなに強くなれるなら、もっと前から強くありたかった。
そんなことを思ってももう無駄だよ。そう自分に言い聞かせる。あのときはそんな予兆を捉えることなど不可能だった。突然。そう、あまりにも突然の出来事だった。考えたところで今更……
考えごとの最中に襲われるのが一番腹立つ。向かってきた女性はナイフを突きつけてきた。わざと体制を崩したように避け、あえてバッヂを一枚落とす。
餌に釣られる魚のように食いついた。バッヂに気を取られた隙に逃げ出す。一枚減ってしまったが、また後で奪えばいい話だろう。
ちょうど目の前に男がいる。私を見つけて襲いかかる気満々のようだ。なんか変態の目をしてるし、バッヂ以外にも何か企んでいるに違いない。私はカイのように肉弾戦はできない。だから潰すのは一回、そして一瞬で。
男が荒い息とともに抱きついてきたところをするりと抜け出し、手刀で側頭部を叩いた。脳を振動させ、強制的に気絶させる。
倒したはいいが、この変態のどこにも触りたくない。サクラは心の底から思った。
「……サクラちゃん?」
前から呼びかけられ、サクラは視線を上げた。レナが立っていた。
「レナ……さん」
呼び捨てに抵抗を覚え、小さく「さん」付けをした。当の本人は全くと言っていいほど気にしていなかったが。
「今この人倒したの?」
「ああ……はい」
「バッヂは?」
「まだ取ってない。どこにあるかまだ分からない」
「手伝うよ」
咄嗟の嘘を嘘と思わず、レナは快く手伝った。本当は胸ポケットの中にあるのに。
「はい」
渡されたバッヂに手を触れることなく、サクラは言う。
「レナが取ってていいよ」
レナが困惑した表情になる。「私は取るの簡単だから――」
「サクラちゃんまで弱いもの扱いして」
レナの冷えた呟きが、サクラの表情を凍らせた。
レナが手を差し出した。手には五枚のバッヂが乗っている。土埃で汚れたものや血がこびりついたものもある。
「なんでみんな私が弱いと思っているの?私がただついてきただけだとも思ってるの?特に目的もなく来たことがそんなに弱い証?何もしてない証?」
サクラは何かを言いかけてやめた。全て図星だった。レナはジンについてきただけ。何も対策もしてないただの女の子。そうとだけ思っていた。
でも今の目を見れば分かる。自分の志にひたすら一途な目。レナは目標を見つけたらしかった。
ただそれが強さにすぐ変化することはない。
どんなモチベーションも一種のバフに過ぎない。根本的に力がかけ離れていれば、モチベーションも意味を成さない。レナはまだモチベーションと言う光ににすがっている状態。
サクラはバッヂを全て取り出し、明後日の方向に放り投げた。レナが目を丸くした。
「サクラちゃん?なにやってるの?」
「試すの」
サクラは平然と言った。「私は今からあなたのバッヂを奪うためにあなたを殺す。殺すつもりで戦う。だからあなたは、私を返り討ちにしてみて」
サクラは構えた。「できるはず。レナは強いんでしょ?」
「それは私が逃げても取るってことでしょ」
レナが身構えた。「それじゃあ、望み通りに……!」
レナ、あなたは私の心に光をもたらしてくれた。今もあなたの心は光り輝いている。でも知っていてほしい。心には闇も必要なのだ。光だけを持っているままでは、いつか滅ぶ。
何もかも吸い込む闇の前では、光は全くと言っていいほど無力なのだから。
サクラが素早く地を蹴った。レナはサクラの動きを目で追い、繰り出された拳を受け止めようとした。
だが拳は囮。本命は腹部への膝蹴り。強い圧力にレナが声を上げた。
「がっ……」
そして側頭部を軽く叩き、不快感を与える。さらに両手を後頭部に思い切り振り下ろす。硬い音が響いた。レナは多分気絶、もしくは戦闘不能なほどダメージを負ったはず。
視界の左端に影を捉えた。顔をのけぞらせて回避する。レナの平手が目を前を横切った。次の瞬間、風圧がサクラの顔面を襲う。
目を開けていられない……!
サクラは危機を察知し、大きく飛び退いた。レナにはまだまだ反撃できる気力が残っていた。
「予想外ね」
「舐めないでよ」
レナは口から出た血を拭った。サクラはさらに真剣な表情になる。あの平手、まともに受けたらまずい。
近場にあった石を拾う。思いっきりレナに投げつける。石といえど、この速度で当たるとかなり痛いし、頭に当たったら本当にダウンする。そう悟ったレナは石をかわす。視界にサクラを捉えたままだった。
サクラは続けざまに石を投げ続ける。レナは先読みするかのように、全て避けてサクラに近づく。やはり大自然での暮らしが染み込んだ身のこなし。この程度はたやすいか。
レナの平手が再び襲いかかる。今度はしゃがむような形で避けた。
しかしそれを予期したかのごとく、レナのげんこつがサクラの頭上に命中した。サクラの顔が、地面に勢いよくぶつかった。
サクラの体が宙に浮いた。レナが足を持ってサクラを振り回しているのだ。
「ふんぬー!」
レナはサクラを投げ飛ばした。サクラが大きく空中に投げ出される。
「……っ!」
サクラは空中で静止した後、受験者の集団の中に落っこちた。激しい落下音と共に、大量の土煙が舞い上がった。
「……よし!」
レナがガッツポーズをした。サクラと言えども、大量の受験者に襲われたらひとたまりもないはずだ。
予想通り受験者が落下地点に群がるのが見える。後は受験者がサクラを消耗させてくれれば……
地を轟かす大きな衝撃音が聞こえた。同時に群がっていた受験者が一気に吹き飛ばされるのが視界に入る。
「えっ……?」
レナが呆然とする目前に、土煙の中からサクラが現れた。その目はさらに闇を帯び、気配は虎のそれをはるかに超越している。
虎はその気配で相手を震え上がらせ、動けなくする。レナは今、サクラに同じ感覚を覚えていた。経験以上の気配に震えあがり、全身の筋肉が硬直した。
う……動けない……
すくんだままのレナにサクラが近づく。
「強いけど、対応はできない。それが今のあなたの弱さ」
お返しだよ。そう言ってサクラは拳を振り上げ、レナを吹っ飛ばした。その勢いで地面に激突したレナは大きく咳き込んだ。
そろそろ限界なんじゃないか。サクラは考える。腹への初撃、頭部への二回の打撃、空中へ投げ出した渾身のパンチ。落下の当たりどころ次第で気絶もありえる総ダメージ量。これならもう……
だがレナは立ち上がった。なんてタフネス。これだけ力の差を見せつけられてなお、その目はまっすぐ光っている。
だが立ち上がったレナはよろよろだった。サクラは無情に容赦無く攻撃を続ける。
「なんで、勝負はほとんどついた。なんでまだ立ち向かってくるの」
「……諦めてないからだよ」
そう、私は諦めが悪い。どれだけ負けていようと、形勢を逆転させようと最後まで粘る。それ故、命の危機が多々あった。ジンにたくさん迷惑かけたこともあった。
「諦めが悪すぎるよ」なんて何度言われたことか。私はそれを自分の欠点だと思ってきた。
でも今は私の長所!
諦めないで、サクラの体力を削ればいつかは勝機が見える。
レナは走り出した。サクラが構えるのが確認できた。
もっと速く、意表を突く動きを。動け、アクロバットに!
レナはサクラの目前でスライディングした。正面から迎撃する気だったサクラは、さっきまでする素振りすら見せなかった行動に意表を突かれ、冷静な思考を奪われた。
すれ違いざまに脚を取ってサクラを転倒させる。サクラの視界が急に地べたに覆われる。レナは立ち上がり、空中へ舞い上がった。
「喰らえ!」
獅子の咆哮にも聞こえたその叫びは、拳を加速させた。レナの鉄拳がサクラの背中にめり込む。衝撃でサクラは唸り、周りの地面に亀裂が走った。
「この……!」
サクラは腕を振るった。空中にいたレナはろくに方向転換もできずにその打撃をもろに受けた。吹き飛ばされるのをとどめて立ち上がったとき、サクラも既に体制を整えていた。
一瞬睨み合い、二人は駆け出した。周りの目では到底追いきれない攻防が繰り広げられる。拳がぶつかり合い、一瞬にして場所と位置が入れ替わる。レナが跳べばサクラも跳び、サクラが跳び退けばレナがそれを追う。その速さと場の雰囲気から、周りの受験者は自然と二人を避けて戦うようになっていった。
レナの三連続パンチ。サクラが一発だけ受け止め、他の二発をかわす。それでほんの少しだけ、体制が狂った。
レナは身をかがめ、サクラにタックルした。二人もろとも地面に倒れ込む。しかしレナはサクラをマットに前転し、素早く体制を戻した。
「これで……とどめ!」
倒れたサクラの頬に強烈な平手と痛みが走った。サクラは顔から向こうに吹っ飛び、動かなくなった。
……まさか死んじゃった?
全く動かないサクラを見て、レナは動転し始めた。
「えーっと……サクラちゃんが死んじゃうと私は人殺しになっちゃう……いやでも、サクラちゃんがこの程度で死ぬわけないし……いや、でも…」
ブツブツと独り言を言っていたレナはやがて混乱し、わしゃわしゃと髪を掻き出した。
後ろから風が強く吹いた。
背筋が凍るような殺気を感じたのはその直後だった。
蛇とも言えない、ナメクジとも言えない、ぬるりとしたまとわりつくような殺気。全身に絡みつかれ、私の喉元に刃物を突き立てられている感覚。締め付けられるように強く、覆いかぶさられたように重い。脚ががくがく震える。
逃げたい。でも逃げることを許してくれない。逃げれば死と感じる。一歩を踏み出した瞬間に、喉元の刃物が突き刺さる気がする。締め付けられて身体が破裂する気がする。重みに押しつぶされる気がする。
それでもレナは前にいるサクラを見据えた。サクラから黒いオーラがみなぎっている。
「どうも、レナには本気を出す必要があるみたい。これで決着をつけるよ」
「……これが、本気?」
レナが無理矢理に笑う。笑って恐怖を誤魔化しているようにも見えた。
「強がってるようだけど、あなた今動けないでしょ、恐怖で。いい加減もう諦めてよ。こんな不毛な戦い」
ぶっちゃけ本当に諦めて欲しいとサクラは思った。同士討ちなど何の得にもならない。レナ一人に時間をかけるならその辺の人からバッヂ奪った方が早いし楽だ。
もう十分でしょ。諦めなさい。
※
確かにもう諦めどきなのかもしれない。こんなにもサクラの圧倒的な覇気に気圧され、現に体は動かない。恐怖も全く消えない。私は全力だった。でもサクラはまだ余力を残していた。勝ち目は到底ない。バッヂ五枚……渡せば、楽になれる?
「そうだけどそうじゃない!」
レナは一人で吠えた。目から涙が溢れてきていた。「本当は逃げたいし、もう諦めたいよ! でもさ……ここで諦めたら、この先ずっと諦めて逃げちゃいそうだよ……だから、だから私は、今のままでどれだけサクラちゃんに太刀打ちできるか試してやる! どれだけ打ちのめされても! どれだけ精神を削られようと! 私はこれからも諦めない!」
一度目を閉じた後、ゆっくりと開けてサクラが言った。
「……その精神、言葉通りね?」
「そうよ。嘘偽りない!」
レナが殺気の呪縛を振り解き、身構えた。その目に曇りはなかった。
「最後よ……完膚なきまでに思い知らせてあげる!」
サクラは震えた。今、私はこれまでになく熱中してる。私は今……とても集中している! 今までになく研ぎ澄まされたゾーン状態に入っている! こんな経験は本当に久しぶりで新鮮だ。
ありがとうレナ。感謝の印に、あなたの気が済むまで付き合ってあげる!
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