第一章 二幕 4.獣と怪者<けもの>

 邪魔だ。

 カイは目の前に立ち塞がる大男を殴り倒し、バッヂを奪ってその場を去った。バッヂも必要だが、今はサクラ優先だ。またさっきみたいになったら今度はただじゃ済まない。

 ふと、カイはバッヂの数を見た。これで三枚目。あと二枚。そしてヴィッテの言葉を思い出した。


 ―焦ってるだろ―


 俺が焦るわけない。俺はいつも冷静を保つよう努力してきた。子供のような理由で平静を乱すようなことはしない。


 でも、とカイは思考の海に沈む。確かにジンの技は凄かった。事実、ルギオでさえ目を奪われていた。あれが魔術か? だとしたらジンは魔術を使えることになる。メイジャーでもないのに? どうやって? メイジャーであることが条件じゃないのか? でもあのとき出てたオーラは俺のとそっくりだった。俺もオーラは使えるのか? じゃあなんで、俺は魔術を使えない。


 知りたい。ジンの技を、魔術の真相を。


 そしてカイは気づいた。これが焦りか。もっと知りたい欲求。対等になりたい欲求。その欲求が絡み渦巻き、無自覚ながら俺を急かした。深い思考に落ちることで解決できることはたくさんある。相変わらずだ。

 それにしてもサクラの奴、どこに行ったんだ。全っ然行方が掴めない。焦りと苛立ちが思考を鈍らせ足を速めたとき、カイは視線を感じて止まった。


 見られてる。獲物を狙う獣のような目つきで。


 直ちにカイはその視線の出どころを探った。相手は完全に俺を狙っている。いつ来るか分からない。早く、どんなやつか見定めなければ。

 首も目もぐるぐる回して、ようやく一人の少年と目が合った。俺と同じくらいの少年だ。そして俺と同じような存在。

 野生で生きている人間だ。じゃないとこんな視線飛ばさない。

 今、俺はただの獲物として見られている。ここでサクラを探しに行っても後ろからやられるだけだ。片付けないとろくに探せない。


 獅子に狙われてるなら、こちらも獅子ということを見せるまで。


 カイは鷹のように鋭い目で少年を睨み返し、獲物ではないことを少年に知らしめた。察知した少年が思わず身構えるのが見えた。俺は獲物なんかではなく、これは一方的な捕食行為ではない。百獣の王の決定戦である。

 その空間だけ、荒野の真剣勝負を呈したような空気になった。飛び交う乱闘音も叫びも、二人の耳には届かない。ただひたすらに牙をむき、爪を光らせ、どちらかがくたばるまで終わらない、闘いの幕開けを見計らっていた。


 間から人が消えた瞬間、二人は示し合わせたかのように走り出した。横切る人の間を縫い、二人は激突する。


 初撃の拳がぶつかり合った。お互いの拳が鈍い音を立てる。風圧が顔にぶつかる。怯むな、攻めろ。

 すかさず第二撃として腹に膝蹴りを喰らわせる。当たったと思った瞬間、少年はカイの視界から消えた。


 下かっ……! ――下からの攻撃の対応を取ろうとしたが遅かった。突き上がって来た少年の靴底がカイの顎に命中した。顎の衝撃は直接脳を揺らし、カイがぐらつく。視界が湾曲している。

 さらに少年は続けざまに連続で腹部に拳を叩き込む。容赦無く腹に拳の追撃が刺さり、あまりの気持ち悪さにカイは胃液を吐いた。口が酸味を越えた苦味でいっぱいになる。

 その後も少年は慈悲のかけらもない攻撃を繰り返した。もともとくたばるまで終わらない闘い。そうなれば手加減の必要も何もないからだ。そうしてくたばりかけたカイには防ぐ術もなく、ただ相手のされるがままになっていた。

 つかみどころのない、変幻自在で自由な戦闘スタイルの相手。俺がどんなやつに相性が悪いのかようやく分かった。こんなに苦戦して追い詰められたことなんてなかった。口の中に血の味がする。まともに相手を見ることすらままならない。


「バカスカ殴りやがって」


 怒りのままにカイが拳を振るう。ろくに相手を見ていない状態で撃ったパンチはやすやすとかわされた。少年は最後に思い切り腹を蹴り、後ろに跳ぶ。カイは衝撃で後ずさった。二、三度血を吐いた。視界がぼやっと曇ったようだったが、時間が経つにつれて焦点が徐々に合いはじめる。カイはようやく、自分の血がへばりつく地面を見つめることができた。その後よろよろと少年の方を見る。


「終わりか? 味気ないな」


 よく通る声で煽りながら、少年が手をクイクイと動かす。かかってこいよ。いくらでもくたばらせてやる、と。


 この野郎、散々やりやがって。目にもの見せてやる。


 屈辱的な状況が、逆にカイを酷く落ち着かせた。まずはくたばったふりをし、相手がとどめを刺すチャンスをつくる。


 カイはわざと咳き込み、膝を崩してかがみ込む。隙ありと、予想通り少年が襲いかかる。頃合いを見て、カイは右手に隠し持った小石をぶん投げる。気づいた少年は寸前でかわしたが、その隙にカイが視界から消えた。

 すぐにカイがいたところを見るが、そこにいたカイは風のように消え、床だけが視界に映った。少年は動揺したかのように、何度も辺りを見回す。何度見てもカイが視界に映ることはなかった。


 視界の端に動く黒い影があった。慌てて振り向く、その影は残像すら残さずに消え去った。今度は左、そして右、何度も視界の端だけに現れては消える幽霊のような影に少年は苛立ちを隠せなくなってきた。

 また右で何かが動いた。少年は躍起になってその方向へ走り出した。


 そのとき背後にカイが現れた。振り向く前に首筋に手刀を打ち込んだ。倒れている間にカイが言う。


「俺の手刀は熊さえ気絶させる。おやすみ」


 少年は前のめりに倒れ込んだ。


 不意のトラブルは片付けた。負傷した状態で無理のある動きをしたから、疲労が溜まりに溜まりまくっている。それでもサクラを探さないと。ダメージと疲労で震える脚を叩き、カイは再び歩き出す。


 耳元、いや、頭の中から鈍い音がした。カイの視界が急に暗くなる。後頭部に重たい痛みが走った。

 何が起きた。カイは意識が朦朧として倒れかけたが、倒れたら相手の思うままに死ぬと本能的に呼び止められる。


「あれ?タフだね〜君〜」


 嘲笑うような声がする。カイは後ろを見た。確かに大きなハンマーを持った人の影が見えたが、視界が赤く染まって見えづらい。頭から流血しているようだった。失血で意識も飛びかけている。


「やる気なら、こっちだって」


 視界が見えづらいまま、カイは短刀を取り出した。短刀にしてはやけにゴツい見た目をしていたが、刃だけは薄く、滑らかに光を弾いていた。

 男が再びハンマーを振るった。カイが避けようとしたとき、足元に何かが巻き付いた。


「なっ……」


 目を凝らして見る。輪っか状の物体を繋ぎ合わせた武器が金属音を立てる……鎖か! いや鎖で動きを封じられたのか。やられた。


「武器は一つだけとは、誰も言ってないよな〜」


 うろたえるカイに、ハンマーが再び命中する。重みのある攻撃にカイは吹っ飛ぶ。そして地面に激突すると共に、カイは意識を失ってしまった。


「やっぱり脆いね〜子供は」


 男はケラケラと笑いながら、意識を失ったカイに近づいた。「辛いよね。今、楽にしてあげるよ」


 男が無慈悲にもハンマーを振り下ろす――


 黒い影が一瞬視界を横切ったかと思ったら、ハンマーに人間の手応えは全く感じず、そこからカイは消えていた。


 突然の出来事に男はうろたえた。完全に意識を失っていたはずだ。誰かが手助けしたに違いない。男は周囲を確認する。


 完っ全に見失っちまった……!


 男が焦り始め、その場で何度も吼えたのを、カイは誰かの背中越しに聞いた。


 ああ、きっと逃げられたんだな。あいつは動きは鈍いから、すばしっこい奴にはすぐ逃げられる。でも誰が逃げたんだろう。さっきまで俺が戦ってたのに。しかも俺は今誰かにおぶさってもらっていて……


 ……ちょっと待てよ。


「おい、誰だ」


 カイはようやく今の状況を把握した。今自分は見ず知らずの人におぶさってもらっている状況だということを。「俺をおぶさってるのは誰だ」


「目が覚めたか」


 カイを助けた本人がよく通る声で返す。よく見れば俺と同じくらいの体格と年頃だ。何でこんなところに?

 少し走って、その少年は止まり、カイを下ろした。


「もうそこまで回復したのか?」


 顔を見るなりカイは驚いた。さっき熾烈な争いを繰り広げ、最後にカイが手刀を叩き込んで気絶させた奴だった。


「お前……もう目が覚めたのか……やるな」


 カイは感嘆の息を漏らしながら言う。「俺の手刀で気絶しなかったのはお前が初めてだよ」


「マジ? じゃお前の初めてゲットじゃん」


 その言い方だと意味が違って聞こえる。とカイは突っ込みたかった。当然、そんなのに体力を使うくらいなら回復に徹したいので黙っておく。


「でも……うん、なかなかしんどかったぜ」


 少年は頰を掻きながら答えた。「ところでさ、」


 言いながら少年はバッヂを差し出した。


「何でバッヂ、奪わんかったの」


「……普通に忘れてた」


 目の前に出されたバッヂを見ながら、カイは朦朧としたまま答えた。


「……んなだけか」


 闘志が空回りしたのか、燃え尽きたように少年はその場に座る。「オレ、カムイって言う」


「ん……ああ、名前?」


 急な自己紹介にカイは戸惑う。「そうか、カムイって言うのか」


「あんたの名前は?」


「……俺はカイ。頼むからもうちょっと会話はまってくれないか」


 まだまだ意識が朦朧としている。「また気絶しそうだ」


「連戦連戦でズタボロっぽいもんな」


わかってるならしゃべるな。カイは心の底から苛立った。頭に血が昇ることで、段々意識がはっきりしてくる気がした。「ああ、そういえば」と、カイは口を開く。


「何で俺なんかを助けたんだ。さっきまで敵同士だったろ」


「別に特に理由はないかな」


 カムイは屈託なく笑った。「ただオレをぶっ倒した奴なんだ。こんなところで死なれても困るって部分はあるかな。昨日の敵は今日の友って言葉もあるし、敵味方なんて言ってられるかよ」


 こいつ、自分に相当の自信を持ってやがるな。とカイは推測した。それでいてカムイの思想には敵意がない、自分より弱いか、強いかで判断し、それによって態度を変えているようだった。弱ければ襲い、強ければ挑むか助け合う。本当に野生だな。


「ああそれで、回復したらもう行くからな」


 カムイがふと付け加えた。意味が分からず、しばらくしてカイが尋ねた。


「行くって?」


 答え合わせの前からどこに行くかは何となく勘づいていた。カムイは一瞬真剣な表情になり、そして薄い笑みを浮かべた。


「どこって、さっきの男を倒すんだよ」

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