8.いざ試験会場
列車に乗って三日後の朝。ジンは目を覚ました。今日は五月一日、試験の日だ。今日でこの列車の旅も終わりだ。ようやくレナと二人きりの部屋で、常時神経をすり減らすような生活も終わりだ。シャワー上がりのレナ、久しぶりに見る寝巻きの姿、寝起きの無防備な寝ぼけ方……って何考えてんだ僕は。変態野郎か。
全てが新鮮で、僕の理性をこれでもかと攻撃してきた。幾度と理性を崩さないように耐えてきた。でも僕も男だ。少しは……せめてレナと添い寝くらいはしたかったな。そんなことを考えながら、一人で残念そうに笑う。
そろそろ起きるか。そう思い、ジンが寝返りを打ったところでジンの思考は止まった。
レナが隣で寝ていた。ジンはその光景を、願望が見せた甘い幻覚としか思えなかった。しかしいくら頬をつねっても夢から覚める気配はない。これは現実だった。
そのままレナの寝顔を見つめていると、レナが声を上げた。
「うーん……」
そのまま目を開ける。初めに見えたのはジンが自分をじっとみている姿だった。寝ぼけた眼をこすって数秒、ようやく今の状況に気づき、顔を真っ赤にして、勢いよくシーツを被った――ついでにジンを巻き込んで。
「あのー……僕も巻き込まれたんだけど」
ジンが恥ずかしそうに言う。レナの咄嗟の行動は、かえって状況を悪くしていた。「とりあえずなんで僕のベッドにいるんだ?」
心を氷雪に浸してジンが聞くと、しどろもどろなレナの言葉が返ってきた。
「いやあの……あっあれだ。と、トイレに行ったの。真夜中に。寝ぼけてたから、多分間違えてジンの方のベッドに入っちゃったのかな〜……」
ただ添い寝がしたくてこっそりジンの方に移動したなんて、死んでも言えない。
対するジンはレナの言葉をなんの疑いもなく信じた。その上で「レナ」と呼ぶ。
「はいっ何か……」
次の瞬間、ジンはレナを勢いよく引き寄せた。シーツの中は薄暗いが、近いとレナの赤く染まった顔がちゃんと映る。レナは目を丸くしてジンを見ている。
「まだ駅に着かないし、もう少しこうして寝てようか」
レナは思いがけない言葉にドキッとし、同時に凄く照れくさくなった。頬の赤みが顔全体に回る。「い、いいよ……」
どうせこの試験で死んだら二度とこんなことできない。これくらい甘えたってまあいいだろう。
「もう少し……ほんの少しだけ……」
二人は甘い眠りについた。
※
「どうした? 二人共顔赤いぞ」
「いや……部屋が暑くて……」
遅れて朝食に到着した二人は、既に食べ終わって席を立とうとしたルギオに顔の赤さを指摘され、顔をさらに赤らめた。一緒に二度寝したなんて、死んでも言えない。
「そうか」
ルギオは特に詮索することなく、席を立ち上がった。
「にしてもサラの奴遅いな。いつまで寝てるんだ」
「サラさん、来てないんですか」
「僕が呼びに行ったときは、なんの反応もなかったね」
「あれ、カイ達は?」
「あの二人はもう食べ終わって、自分の部屋で準備してるよ。さて、サラも呼ばなくちゃ……」
「私呼んできますか?」
「あ、なら頼むよ」
ちょうど火照った頭を冷やしたいところだった。ルギオに頼まれ、レナは十一号車に向かった。
※
「ちょっとサラさーん」
レナはサラの部屋のドアをノックした。しばらく経ったが返事はなく、レナはドアに耳を当てた。かすかにだが、物音が聞こえた。
「サラさん。もう少しで来れますか?」
もう少し声のボリュームを上げて呼んでみる。やはり返事はない。物音も消えた。寝てしまったかとレナは思った。
「何してるの?」
突然背後から声がする。サラが怪訝そうな表情でレナを見ていた。「私ならもう出てるけど?」
「え……じゃあ、さっきの物音は?」
「物音? 泥棒でも入ったかな……」
サラがカードキーで解錠した。同時にレナが先に部屋に入る。
部屋の中には誰もいなかった。荒らされた形跡もない。ますます意味が分からなくなり、レナは頭を掻く。
「誰も居ないね。きっと聞き間違いだよ。それより多分ルギオが呼んでたでしょ?早く行かなきゃ」
そう言ってサラはさっさと歩き出した。レナの頭の中には未だに何かが浮遊していたが、そんなものは放っといてサラの後に続いた。
「遅いぞサラ。早く食べないと駅に着いちゃうぞ」
「ごめんごめん」
サラは笑って席に着いた。若干焦っているのか、特に考えもしないでモーニングセットを頼む。
「あの、駅にはいつ着きますか?」
ジンがルギオに尋ねた。
「今、景色は森だろ? 次のトンネルを抜けたらフェルナが見える。そしたら、後二、三十分くらいかな」
ちょうど車内が薄暗くなった。トンネルに入ったのだ。
「……トンネル」
サラがつぶやいた。
「よーし急いだ方が身のためだぞ〜」
ルギオが言うと、ジンとレナは急いで食べ始めた。サラは早く来ないかと辺りを見回している。そして二人と同様に、メニューが来た途端急いで食べ始めた。
トンネルが長いのか、食べる速度が尋常じゃないのか、とりあえず通り抜けない間に、三人とも食べ終わることができた。
「よし、それぞれの部屋で準備」
ルギオが言い、みんなは足早に食堂車を去った。
※
それからというもの、ジンとレナの部屋はやけに慌ただしかった。
「ねえ荷物入らないんだけど」
「もうちょっと服とかを畳んでくれ。あと僕の腕時計知らないか?」
「知らない。あっねえ部屋の片付けはどうするの?」
「そこにマニュアルがある」
「じゃあやっといて」
「えっ」
「分担作業だよ。私荷物の整理やるから、ジンは部屋の掃除お願い」
「そういうことか……分かった」
慣れないことだらけの中、二人は懸命に準備を進める。レナは服を畳んでは仕舞っているが、まだたくさんの荷物が残っている。ジンはゴミが落ちていないか、ベッドの下を確認した。
「あっ腕時計」
手を伸ばして、ベッドの下に転がっていた腕時計を掴み取る。ジンはしばし、腕時計を見つけた自身の功績に浸っていたが、レナに肩を叩かれて意識を取り戻した。ジンは跳ね起きたままの布団を静かに戻し、ゴミをゴミ箱に入れた。バスルームを確認しようとドアに手をかけたとき、窓の外の視界が開けた。
一軒家が立ち並ぶ住宅街を横に見据えて列車は走る。向こうにはまだ畑や雑木林が多く見える風景のさらに向こう側、空高く柱がいくつもそびえ立つ、銀色の島が浮かんでいた。二人は窓に貼り付いて、その島をもっとよく見ようと目を凝らした。
銀色の島に見えたのは。フェルナの高層ビル街だった。太陽の光を反射して輝く高層ビル群が森の様に茂っており、二人にとってはSF映画の、宇宙人が住んでいる都市のようにも見えた。
「すっごい……」
レナが完全に意識を取られる。ジンもレナの後ろから、都市をもっとよく見ようと身を乗り出す。
「ちょっとジン……」
急にジンが乗っかってきて、レナは苦しいと声を上げた。
「あっごめん」
ジンが咄嗟に謝った。ついでに本来やるべきことを思い出す。「……ってそれより、準備やらなきゃ」
ジンが窓から離れ、ついでにレナの意識も取り戻す。
「……そうだった」
レナはまた慌ただしく準備の続きを始めた。しかし、相変わらず作業は遅々として進まなかった。
※
列車はフェルナのビル街の合間を縫って進み、大きい箱型の建物に入っていった。フェルナ駅に着いたのだ。
「うそ? もう着いたの?」
「そうっぽい」
ジンたちは、ようやく片付けと降りる準備が終わったところだった。「早く降りよう」
「サラさんたちと合流できるかな……」
二人は急いで部屋を出て、最も近い出口から降りた。
二人にとっては、目も眩むような数の人々が、たくさんあるホームを行き交っていた。いくつかのホームには形は違えど、同じように列車が停まっている。天井は高く、複数のアナウンスが入り混じってこだましている。未曾有の光景に、二人はすっかり混乱した。どっちに行けばいいのか、もう分からない。二人がその場で右往左往同点周回しているところに、カイがひょこりとやって来た。
「二人共、こっちだ」
二人はカイに連れられるがままに進んだ。どこを進んだのかもよく分からず、気づけばホームを出て、気づけばルギオたち三人の元に着いていた。
「案外都会慣れしてるんだね」
と、ルギオがカイを褒める。
「何度か都会には出てますから。でもここまでの人混みは初めてです」
と、カイ。適応力があるんだな、とルギオは感心した。
「さ、行くぞ」
ルギオに連れられ、六人は駅を出た。しばらく歩いたところで、ジンはある疑問を呈した。
「ルギオさん。試験会場ってどこか分かるんですか?」
「え、分かるけど?」
「何か、暗号でも解いたんですか? それとも、案内人のところに向かってるとか」
「何の漫画の話だよ」
ルギオが吹き出すように笑う。「試験会場は毎年同じ所だよ。な、カイ」
「はい。試験会場はメイジャー協会本部の特設会場です。会場の形が違うだけで場所は毎年同じですし、なんなら駅からのシャトルバスも出てるくらいですし」
咄嗟にだが、カイが答える。
「ということで、メイジャー試験は別に隠されている訳じゃない。むしろ大々的にやるべきものなんだ」
「そっか……」
ジンが淡く落胆した。「あれ、でも僕らはバス乗らないんですね」
「まあ、別にそれほど遠くもないし……」
「単純に忘れてただけですよね。もうバス行っちゃったから歩いた方が早いって算段ですよね」
カイが小声で耳打ちする。
「それを言うな」
ルギオが速攻で話題を変える。「それより、女子達の姿が見えないが」
「ああ、それならみんな後ろに居ます」
ジンに言われて、二人は後ろを振り返った。レナが中心となって、三人がおしゃべりをしている。そのせいで男子陣より歩くスピードが遅く、二十メートルほど後ろにいた。
「おーい三人とも早くしろー」
三人が反応する。「気づいてんなら早く呼んどけよ」と、カイがジンを小突いた。後ろの女子陣は、ルギオの呼びかけにすぐに反応した。
「ごめんなさい。すぐ行きます」
サクラが謝り、「ほら、二人共」と、焦って二人を促す。家を去る時とは、人格がまるで大違いだな。と、カイは思った。少なくとも、心の暗さが少し消えている気がする。前は見なかったような表情をする。無表情ではなく、戸惑ったような表情。やっぱり、人と交わることで人間って変われるものなんだな。
そんなカイを見て、こっそりジンが微笑んだ。
※
「ねえ遠くない?」
会場前に着いたレナが愚痴った。
「女性にとっては遠かったか?」
カイが嫌味っぽく言う。そんなんでは試験には受からないぞという意味も込めたが、当然そんな愚痴のような忠告に気づくことはない。その言葉に反応し、レナが牙をむいた。
「何その態度。言ってくれんじゃん」
「二人共、ちょっと」
一触即発の状況をジンが止めた。「もう試験なんだから、仲良くしようよ」
言いながらも、絶対仲良くできなさそうだなとジンは思った。
「もう茶番は済んだか?」
冷たく澄んだルギオの声が響いた。さっきまでのルギオとは比べ物にならない、冷徹な顔をしていた。横では、サラが真剣な表情になっている。
「ここからは遊びじゃないぞ。殺しあり、痛めつけあり、策略あり、何でもありの場だ。もう気持ちを入れ替えろ」
ルギオの静かな迫力の前では、全員が有無を言わさず、気持ちを入れ替えるしか無かった。
「……なーんてな」
突然ルギオがおどけた笑顔になった。「そこまで強要することでもないけど、これくらいの喝は必要かなと思って。ま、君たちならなんとかなるだろうし」
「……びっくりしました」
ジンが小学生地味た感想を述べる。「そんな冷徹になるとは思いませんでした」
「ごめんよ驚かして。さ、行こうか」
ルギオは五人を急かした。安堵した表情でジンが進む。やや遅れて他の四人が進み出した。
「……ルギオさん」
サクラが足を止めて呼ぶ。
「どした?」
ルギオも足を止めた。相変わらずの笑顔が崩れないことにに戸惑ったが、勇気を出して尋ねる。
「さっきの、本当に冗談……ですか?」
その言葉を聞いた途端、ルギオが真剣な表情になり、空気が明らかに変わった。「全く本気だ」
「え……?」
「実際試験はなんでもアリの場だ。特に僕たちみたいな子供みたいな存在は、弱いと思われて真っ先に狙われがちだ。大体が大人、そして様々な分野のスペシャリストだしな。生き残れるかと言ったらな……全員は厳しい」
「そ、そんな……」
サクラの目が震え、絶望した表情になる。「じゃあ、なんで冗談だなんて」
「賭けだよ」
ルギオが不敵な笑みを浮かべる。「戦略、協力、火事場の馬鹿力。そう言うのできっと突破してくれるさ。サクラもそうだろ?」
そう言われるとあんまり自信が無かったが、弱気になるのもまた気に食わない。
「……やってみせます」
サクラは顔を上げ、ルギオの目をしっかり見ながら、強気で言葉を返し、前に進み始めた。
「みんなの士気もそうやって上がればいいな」
楽しみでたまらない、と言いたげなルギオもまた、前に進み出した。
※
公共施設でよくあるようなエントランスに着き、それぞれが受付を済ませる。
「ルギオさん。このバッヂ何ですか?」
ジンが尋ねる。
「参加者ということを示すバッヂさ。その数字が、何人目の受験者かを表している」
「え? じゃあ、僕で六百三十七ってことは……」
「ジンで六百三十七人目の受験者。今年は少し多めかな」
六人はその後奥に進んだ。すると、すぐに人だかりが見えた。
「珍しい……今年は地下でやるっぽいな」
カイが遠目で見る先には、エレベーターの乗り口が三つ、そしてその前に長蛇の列ができていた。六人は、見た感じ一番列が短い左側に並んだ。
「なんでエレベーターになんかしたのよ……」
レナがぼやく。
「我慢比べ……精神力でも試されてるのかな」
と、適当なのか真面目なのかジンが分析する。
「精神力の試験ではないと思うが……周りには気をつけろよ」
ルギオが付け加えた。「いつ狙われてもおかしくないからな」
そしてルギオは、鬼神のような目つきで後ろを睨んだ。その圧倒的な威圧から目を背けるように、つられて他の五人も後ろを見る。
目線の先には、どこにでも居そうな、いかにもギャンブルをやっているような中年男性。そして、その手にはナイフが握られ、その凶刃は、サクラに迫っているところだった。
男はルギオに睨まれ、顔の血がさっと引いていき、震える手でナイフを胸ポケットに隠した。
「……な?」
ルギオが四人に対して笑った。
「ルギオさんなかなか怖い……」
「奇遇だな。俺も同じだ」
レナとカイが背筋を震わせた。
ようやく順番が来て、六人は他の数人と一緒にエレベーターに乗り込んだ。ルギオ除く五人は辺りを警戒していたが、誰も何かしようとする素振りすらしなかった。先程のやりとりを見て手を出さないのか、ハナから気にするつもりがないのか、とにかく、五人の警戒体制は全くの空振りに終わってしまった。
「ここぞというときに何もないんですね」
「対策しているときに来てくれたら、どんなに楽だろうな」
カイとルギオが、そんな他愛もない会話をしていたとき、エレベーターの速度が落ち、到着のチャイムが鳴った。
「さ、遂に試験会場のお出ましだ。みんな準備はいいか?」
ルギオが振り向いて声を掛ける。全員が無言で頷いた。ルギオはその緊張感を読み取り、何も言わずにまた前を向いた。
やがてエレベーターがゆっくりと止まり、ドアが開いた。
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