5.君の王子様
男がレナに向かって伸ばした腕。それはジンによって寸前で掴まれ、抑えられていた。男はびくともしない腕に戸惑いを見せる。ジンが顔を上げた。
「この腕って、さっき折れたとか言っていた腕ではないですか?」
はっとしたような表情を浮かべ、男はジンの手を払い、右腕を体の後ろに隠した。
「もういいです。折れてなんかいませんよね」
ジンが穏やかに話し始める。「もうあなた達が嘘をついてることは、ここに居る全員が分かっています。諦めて謝ったらどうでしょうか」
男は口をもごもごさせながら、反論を試みた。
「いや、だって……こいつがぶつかってきたんだろ!」
「だからと言って嘘をつき、必要以上の謝罪を求めることもありません」
と、ジンは反論を一掃した。「それに」と、さらに声色が低くなる。
「あなた達は一度彼女を連れて行こうとした。もし連れて行っていたら、これは立派な誘拐、犯罪です。いや、連れて行こうとした時点で未遂ですね。とにかく、戯言を吐いて犯罪に手を染めようとした人たちには、謝る理由もありません」
ジンは断言した。親玉らしき男がジンの前に出る。
「確かに、小僧の意見も正解だ。だがな! 俺たちの国では迷惑を掛けたら謝る。常識だ。そして人とぶつかって謝らないことは重罪にあたり! 各々の判断で罰を与えていいんだぜ」
もちろんそんな法律はどこの国にもない。とカイは思った。仮にあったからと言って自国を出てまで他国の人に強要するものでもない。そう、ジンは思ったが、もう口での争いは諦めたかのようにため息をついた。
「分かりました……」
「ハッ。頭の良い小僧だ――」
「これ以上退かないなら、武力での解決に頼らざるを得ません。それでもいいんですね?」
まるでジンが、圧倒的有利な状況下のような口ぶりだった。男のこめかみに青筋が浮かぶ。
「威勢のいいガキじゃねえか」
と、言った後くるりと後ろに回り、他の二人に命令した。
「二人とも連れてけ」
親玉の命を聞き、二人の男はじりじりとジンに近づいた。ジンが口を開く。
「負けますよ? いいんですか?」
この言葉で、男たちの怒りは沸点に達した。
「舐めてんじゃねえぞガキャ!」
感情のままに男の一人がジンに向けてまっすぐ拳を打つ。すると、ジンはそれを軽く受け流す。しばし男の攻撃が続いたが、ジンはその全てを受け流した。焦った男がさらに右ストレートを繰り出すと、ジンはその男の腕を取り、男の体ごと捻って床に打ちつけた。捻られた痛みと打ち付けられた痛みで男が悶える。
もう一人の男は既にレナを抱え上げようとしていた。恐怖が頂点に達したレナが、逆に連れ去られまいと男をポカポカ殴って反撃する。
おかげでジンは連れ去られる前に間に合った。高く跳躍し、男の側頭部に蹴りを浴びせる。直後、男はレナを手放した。
「レナ、奥に逃げてて」
そう言われ、レナはルギオたち野次馬がいる方へと向かった。その間にも、男が体制を立て直す。
「さっきの蹴りのお返しをしてやるよ」
もはや怒りで目的を忘れたのか、男がナイフを取り出す。反射的にジンが身構えた。
「シュッ!」
男が突き出すナイフを避けつつ、ジンは隙を探していた。
もともとジンは山育ちである。ジンは、熊などと遭遇したことがあったし、猪と格闘したこともあった。そういった経験が、男の隙を見つけ出すこととなった。
ナイフがぶれた瞬間を狙い、ジンは男の肘に手刀を打つ、衝撃による痺れで男がナイフを手放す。男は一瞬悶え、そしてすぐにジンに襲い掛かる。激しい攻撃の数々をジンは受け止め、最終的に男と組み合う形になった。
そのとき、背後から先程床に打ちつけた男が、ナイフを突き出してジンの背に突進して行った。
「ジン危ない!」
悲鳴にも近い声でレナが叫ぶ。ジンは組み合っていてろくに体制を入れ替えられない。受けるしかないと、ジンが覚悟し、背中に力を込めたときだった。
閃光の如くルギオが飛び出し、男の頬を殴って吹き飛ばした。あまりにも突然の出来事に全員がぽかんとする。
「君! よく戦ったな。僕も加勢するから、君は目の前に集中しろ!」
そう言われてジンは再び男と取っ組み合った。全身に力を込め、力強く踏み込む。つかみあった腕は空中で小競り合いをしていたが、足の勝負では、男はずるずると後退し始めていた。
「このっ……ガキが歯向かうんじゃねえ!」
「少し……黙ってろ!」
ジンが吠えると同時に男の手を振りほどき、腹に一発、渾身の打撃を打ち込んで男を倒した。
後はあの親玉っぽい奴だけ。そう思ってジンは入り口側を見た。すると、ルギオが既にその男を床に沈めていた。特に息も上がってなく、どう倒したのかと、ジンは驚きで頭がいっぱいになった。
ここでようやく車掌が騒ぎに気づき、ラウンジにやって来た。即座に何人かの車掌をさらに呼び、男三人を縄で縛りつけた。
※
この騒ぎで、寝台列車は最寄りの駅で緊急停車した。事前の通報で駅には警官が待機しており、着くと同時に男たちは連行されていった。
警官に敬礼されながらホームを去る景色を、ジンはラウンジから見ていた。すると、不意に後ろから飛びつかれた。
「ありがとう。怖かった……」
消え入りそうな声でレナが言う。ジンは正面に向き直り、レナをきつく抱きしめた。
「良かった。無事でいて」
数秒間そのまま固まっているところに、ルギオが話しかけようとしてきた。
「……あの〜」
その声で二人はハッとした。公衆の面前で、何堂々とハグをしているのだ。恥ずかしくなり、二人は顔を真っ赤にして勢いよくルギオの方を向いた。
「とりあえず……危なかったな。あの三人は人身売買の常習犯だったらしい。君たちに何もなくて良かったよ」
そして、ルギオはジンの目を見る。
「そして、すごい身のこなしだったよ。名前は?」
急に名前を聞かれ、ジンは戸惑いながらも
「ジン・クロスと言います」
と答えた。
やっぱり、クロスの姓を持ってる。ジンはダンさんの子息。少なくとも直近の親戚ではあるな。と、ルギオが分析する。
「それにしても勇気あったね。ジン、君はいくつだい? まさかとは思うけど、僕より年上だったりするかい?」
「僕は十五です。レナも僕と同い年です」
戸惑いのあまり、ジンは余分な情報も教えていたような気がした。
「十五? じゃあ僕の一つ下じゃないか」
ルギオが目を丸くして驚く。ここで、サラも乱入した。
「私と似てる髪の色だね。名前はなんて言うの?」
「レナ・リースです」
若干安堵したレナが答えた。ここでルギオがまた話し始める。
「ちょうどよかった。こいつはサラ。年は僕と同じだ」
「サラ・ビアンテ。よろしく」
と、サラはレナに握手を求め、レナはそれを快く受け入れた。初対面早々、二人は仲良くなれそうだ。
「そして、僕はルギオ・ライト。下の名前で呼んで構わないよ」
「いえ、年上なので『さん』くらい付けさせてもらいます」
と、ジンももう平常心で答えた。
「そして、君たちはメイジャー試験の受験者だろう?」
「分かるんですか?」
「分かるも何も、この列車に子供だけで乗ってるなんてそれくらいしか考えられないしな」
完全に打ち解けて、二人は笑顔で話し合う。「そこでだ。一緒に合格を目指さないか? 僕は試験の経験者だし」
「そうなんですか? レナ、どうする?」
世間話でサラと盛り上がっていたレナが振り返る。「何が?」
「ルギオさんたちと合格を目指してみる?」
「サラさんも一緒だよね?」
「そうだよ」と、サラが答えたのを聞き、レナはオッケーサインを出した。
「一緒に行動させてもらいます。よろしくお願いします」
と、ジンはお辞儀した。
「そんな固くならなくていいよ。協力しあうんだから」
ジンは「はい」と元気に返事をした。
この会話を後ろで聞く余裕はなく、カイは先程のルギオの動きで、頭がいっぱいいっぱいだった。
まさに手刀一閃。男がナイフを取り出した瞬間、ルギオの姿が消え、いつの間にか後ろに回って首に手刀を打ち込んでいた。あの動きは並の人間ではない。メイジャー試験経験者だから身体能力がずば抜けているのか、カイはルギオの凄技に尊敬心すら感じた。
「――カイ?」
耳元で声が聞こえた。サクラだった。いつの間にかルギオたち四人が目の前に来ていた。周囲の状況が分からなくなるほど考え込んでいたらしい。
「この二人も一緒に合格を目指すことになった。と、言うことでこれから協力していくため、お互いに自己紹介をしてもらおうかな」
と、ルギオが促す。ジンたちとカイたちはそれぞれフルネームと年齢を言い合う。偶然なのか、カイたちの年齢はジンと同い年だった。
「これからよろしく、カイ」
「よろしく、ジン」
同い年の男子同士ということもあり、お互いはお互いを気に入ったようだった。
「サクラって言うの?よろしくね」
「私からも、もう一度よろしく」
自分とほぼ対照的な性格をしているのに、それでも何も指摘もせず、手を差し伸べてくるレナとサラに、サクラは不思議な感覚を覚えた。村がまだあったとき、こうやって村の子供たちと手を取り合っていたような気がした。
私は、友情というものを忘れていたのかもしれない。
そして今、友情というものを、少し取り戻せた気がした。
この人たちとなら、私の普通の日常も取り戻せるかもしれない。私の記憶にかかる霞も払ってくれるかもしれない。そんな希望の感情が、サクラの心の片隅で光っていた。
「よっよろしく」
サクラは詰まりながらも、よろしくの言葉を返した。「さて」とルギオが言ってみんなを集めた。
「ここからは団体行動だ。お互いに助け合うこと。話し合いをしたいときは僕に言ってくれ。いいな?」
「分かった」
みんながそれぞれ返事をする。
「じゃ……合格目指して、頑張ろう!」
ルギオは拳を突き上げた。後からみんなも拳を突き上げ、合格する決意を全員で固めた。
※
ルギオたちと別れ、ジンとレナは部屋に戻った。カイとサクラは、まだラウンジで話し合うことがあるらしい。二人がラウンジを去るときも、カイたちは何かを話し合っていた。
レナは先程のことを思い出しては、複雑な感情を抱いていた。あんなに寿命が縮まるようなことはなかった。森の中で熊に遭遇したときの方が、まだマシだった。地元から一歩離れただけでこんなに治安は違い、私の想像をはるかに超えてくる。それが試験となるとどうなってしまうんだろう。レナは少し不安になっていた。
逆に、ジンと一緒なら怖くない、という感情も湧き上がってきていた。あのとき私はジンがいなきゃ連れ去られていた。ジンが助けてくれた、そしてこれからも、私の身に何かあれば、助けに来てくれるだろう。こんなことを妄想する柄ではないが、助けてくれたときのジンは、童話のお姫様を助ける王子様にも見えた。
「……ありがとう」
その言葉は、レナの意思に反して漏れ出た。
「……どうした? 急にありがとうなんて」
ジンの返事を聞き、レナは今、自分が知らない内に感謝の言葉を言っていたことを知った。
「あ、いや、助けてくれて、ありがとう」
「ああ。もう大丈夫か?」
それに対する返事は詰まって出てこなかった。改めて鮮明に思い出すと、涙が出てきそうになった。
涙を堪え切れず、レナはジンに近づき、ジンの背に顔を
「……もう大丈夫だよ」
ジンが優しく寄り添う。また体を正面に向け、レナを包み込んだ。右手でレナの背中を、ぽんぽんと叩く。「どんなときでも、決して離れない」
自分の願望通りの返答をされ、レナは赤面すると同時に思い出した。試験についていくときにそう言ったのはレナの方だった。自分で言っておいて自分が忘れるなんて、情けない。レナは笑った。
「……ありがとう」
今度の『ありがとう』には、もう恐怖は消え、いつものレナの調子が戻っていた。
「さ、そろそろ夕食でも食べよう。お腹減っただろ」
「うん!」
ジンに促され、レナは大きな笑顔でうなずいて、ジンの後についていった。
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