1-1 定められた邂逅

1.少年ジン

 そして百年が過ぎた春。レトン王国の北東に位置するデトラ共和国。その外れにある森を、少年は歩いていた。やや短めの、ところどころにハネ癖がある黒髪、身長は高いとも低いとも言い難い。若干細めの体格ではあったが、その黒く澄んだ瞳から弱々しさは感じない。少年は村に帰る途中らしく、慣れた動きで足場の悪い獣道をスイスイ進んでいく。


 ふと少年が立ち止まった、足元には怪我をしたのか、右の翼を赤く染めた小鳥が悶えるように鳴いていた。


「枝にでもぶつかったのかな」


 村に戻って手当てしてもらうため、少年は鳴き続ける小鳥をそっと持ち上げた。すると、手のひらから緑色の球体が出てきて小鳥を覆った。


「うわっ! また?」


 小鳥の羽の傷口が段々と閉じていく。ぐったりしていた小鳥は、傷口が閉じた瞬間から元気になっているのが見て取れた。少年が安堵の表情を見せた途端、球体が消えると共に小鳥が羽ばたいていった。


「治したいときにアレ出るのかな〜」


 球体の発動条件はなんとなく推察できたが、仕組みは少年にもさっぱり理解出来てないようだった。しばらく少年は腕組みをして考えていたが、やがて考えること自体が無駄な行為だと気づき、村への道を急いだ。自分に神秘の力が眠っているのならば、それは喜ばしいことでもある。だが必要以上に詮索すれば、それは身を滅ぼすことに繋がりうる。だったらそっとしておくのが一番いい。

 森を抜け、山の麓にある村に着く。


「ジンおかえり。早かったね」


「シイラさん。母さんはどこに居ますか?」


「んー、家じゃない?」


「ありがとう」


 そう言ってジンは、母、祖母、祖父と暮らしている家に向かった。家のドアを開け、中に入る。


「母さんただいま」


 すると、居間からドタバタと走る音が聞こえ、母が玄関に飛び出して来た。息を切らしながらも、素早く時計を確認する。


「家を出てから四十七分……」


「一時間以内に山頂まで登って降りて来たらメイジャー試験に行かせるって言ったのは、母さんだよね」


 と言ってジンはメイジャー試験受験票を差し出した。母は悔しい表情を浮かべ、受験票には頑なに手を出さなかった。


「いいじゃないのメアリ」


 居間から祖母が呼びかける。「アタシだって、ダンを行かせるときに一時間半で同じことをさせたんだから」


「お義母さん……」


「あの子は一時間ぴったしで帰って来た。あの子は、今もメイジャーとしてやっているんだろ?それなら、ジンだってなれるわよ」


 祖母に説得されたのか、メアリは受験票を取り、保護者の欄にサインを書いた。


「……いいよ」


「ありがとう!」


 ジンの顔がパッと明るくなり、受験票を持って駆け出して行った。

 リビングに戻ったメアリは、ひとつため息をついてソファに座った。


「きっと遺伝なんだろうな」


 と、祖父がつぶやいた。「ダンの父親も祖父も、メイジャーだったって聞いたよ」


「だとしたら、ジンがメイジャーになりたがるのも当然なのかもしれない……それでも……」


 メアリが根負けしたように言った。しばし沈んだ空気が流れ、祖母が立ち上がった。


「ウィルソンさん、お茶にしましょうよ。ほら、メアリさんも」


「アンネさんそれはありがたいねえ。メアリ。ほら、お茶にしよう。その話はジンが帰ってからにしようじゃないか」


 メアリは気分を入れ替え、お菓子が入っている棚を開けた。



 ジンは村の西にある丘に登り、夕日を見つめていた。拳を日の前に突き出す。その拳は夕日を隠し、その姿を影に染めていた。

 あの日からずっと目指し続けていた目標。ようやくそのスタートを切った。まだまだ道のりは遠い。でも諦めたくない。やっと掴んだチャンス、無駄にはしない。


「また一歩近づけたよ。父さん」


 だから待っててよ、僕は父さんに絶対会いに行くから。ジンは日が沈むまで、そこに座り続けていた。



 その夜の夕飯の時間に、ジンは明後日の朝に出発することを三人に告げた。


「本当に、行くのね?」


「うん」


 メアリが詰め寄っても、ジンはメイジャー試験に行く姿勢を崩さなかった。瞳はまっすぐ母を見つめ、微塵の揺らぎも浮かばなかった。


「……そう。なら」


 と、メアリがニ階に上がり、何かを持って降りてきた。木を彫った作ったキーホルダーのようなもの。人の形をしているが、足が異様に大きい。この地域に伝わる大地の神そっくりだった。


「これ、合格祈願のお守り」


「うん。ありがとう」


「生きて帰ってくるんだよ」


 と、祖母が天に祈りながら言った。横では、祖父がうんうんと頷いていた。


「必ず合格してみせるよ!」


 ジンはますます意気込んだ。横でメアリが、やれやれと言わんばかりに、笑顔で首を振った。



 次の日、ジンは朝の内に荷造りを終え、昼からはずっとあの丘付近で過ごしていた。


「やっぱりここに居た」


 ジンが丘の頂上に座っていると、背後から声が聞こえた。


「レナ」


 振り向いたジンが名前を呼ぶ。レナはジンと同い年であり、恋仲でもあった。レナはカスタードクリームのような色の髪を、肩のやや下まで伸ばしていた。


「ジンが家に居ないときは、大体ここに居るもんね」


 と、レナはジンの隣に座った。


「家に一回行ったんだ」


「そりゃあんなこと耳にしちゃったらね」


 と、レナはジンに聞いた「メイジャー試験。受けるんだって?」


「うん。父さんに会いたいから」


「……寂しくなりそうだなぁ」


 レナはまるで独り言の様に呟いたが、しっかりとジンの耳に届く声の大きさだった。わざとだって分かっている。


「心配しないで。一通り終わったらまた戻ってくるよ」


 ジンは穏やかな声でレナを励ます。


「でも、明日からいないことに変わりないでしょ」


 と、レナはジンの隣に座った。「だから居ない分、今日はずっと一緒に居させて!」


 と、ジンにぴったり密着する位に詰め寄り、ジンの肩に頭を乗せて笑った。


「うん……!」


 ジンもつられて笑顔が弾けた。その後、二人は日が暮れるまでその丘で一緒に過ごした。お互いの話題で笑い合った。お互い話題が尽きても、二人はずっと景色を見続けていた。


「初めてかも。こんな長く二人で過ごしたこと」


 と、ジンは別れ際に言った。夕陽が、ジンの髪を紅く染めようとしていた。


「悔いは無さそう?」


「うん。今日はありがとう。じゃ」


 ジンは感謝を伝え、後ろを向いて丘を下ろうとした。そのとき、レナがジンを引っ張った。若干ジンがレナに寄りかかるような体制になったところで、レナは一瞬、ジンの頬にキスをした。唖然とするジンからスッと離れ、手を振った。


「合格してよ! 約束だからね!」


 レナは頬を赤く染めて笑っていた。ジンは唖然としたまま、つられて手を振っていた。レナが丘の向こうに消えたところで、ジンは今、自分が何をされたかに気づき、顔を赤くしてその場にしゃがみ込んだ。


「ほんと、心臓に悪いよ……」


 誰も居ないのに顔を手で覆っていたジンだが、その顔にはうっすらと笑顔があった。

 これでもう本当に悔いはない。でも約束したから必ず生きて帰るよ。決心は固くついた。

 ありがとう。レナ。



 翌日の早朝、まだ日が昇る前に、ジンは家族総出で見送られ、静かにメイジャー試験へと旅立った。いざ旅立ちとなると、やはりジンの胸にはいろいろと思い残りがあった。でもそんなこと今は気にしている暇はない。自分は父さんを探すって決めたんだ。

 何度も歩いたとはいえ、やはり闇に飲まれた山道は何か恐ろしい。星の光のみが道標となってくれるが、それでも地面がうっすらとしか見えない。自分はあまりお化けとかは信じないタイプだが、改めてよく見て歩くと、やっぱりお化けはいそうな気がしてくる。

 そう思うのは、やっぱり試験に対する不安が大きいんだろうな。とジンは考えた。不安があると全てのことに対して疑いを持ってしまう。結果不安の連鎖が起きる。ああもう、ダメじゃないか。試験前からこんなナーバスになっていたら。せめて日でも登ってくれたらな。

 空の縁が少しだけ赤く染まっていた。太陽が見たい願望から、ジンの速度は徐々に上がっていた。

 


 朝日が登る。動物たちも動き始める。既にトンビが空のはるか上を旋回している。ジンは空気を吸い込み、鳥のさえずりに耳を傾けた。ふと、横の茂みから音がした。ジンはびっくりして、恐る恐る茂みを覗いてみた。キツネの親子が仲良く歩いていた。ジンは妙に和やかな気分になり、その親子を見つめていた。そうしてあちこちで寄り道をしながら、明るい山道をゆったりと歩いていた。すると不意に後ろから駆けるような足音がすることに気づいた。何が来ているのか。ジンが確かめる間も無く、それは後ろからジンに飛びついてきた


「やっぱり私も連れてって!」


 レナだった。突然の登場にジンは腰を抜かしそうになった。そして、次の瞬間には大声を上げていた。


「なっ何してんだよ!」


「私も行く! 一緒に試験合格しよう!」


「行くって、試験に応募は」


「してきた」


 レナの真剣な表情にジンは一瞬気圧された。


「それに約束したでしょ。どんなときでも絶対離れないって」


 ジンの脳裏に思い出が蘇る。ああ、そういえばそんなこと言ったな。付き合って一年記念の日、二人ともふざけてプロポーズしたときに、そんなこと言ったな。


「ああ……そんなこと言ったな」


 ジンは根負けした「一緒に行こう。どんなときでも離れないよ」


「うん!」


 二人の笑顔が弾けた。

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