異星間交流の必要条件

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異星間交流の必要条件

 それはいつかの時代の、地球でのお話。


「よ、久しぶり。顔を合わせるのは半年ぶりくらいか?」


 俺は、しゅたっと手刀で空を切り、居酒屋の暖簾をくぐって来た知人へ声をかけた。


「やあ、おひさ。社会人になると益々時間の経つのが早く感じるよ。ジャネーの法則だっけ? こういうの」


 カウンター席に腰掛けながら背広を脱ぐ。

 彼は左右の腕先がハサミのようになっているので、脱ぎにくそうだ。

 こういうところ、地球産の衣類は配慮が足りないなあ、と思う。


「ジャネーの法則? 何だ、それ?」

「例えば、三十歳の人にとっては一年は自分の人生の三十分の一でしかないけど、三歳の人にとっては三分の一だから、若ければ若い程、一年は長いって理論」

「なるほど。道理だな」


 俺は、うんうんと頷きながら、店員さんに生ビールを頼む。

 駆けつけ三杯というやつだ。

 店員さんが持ってきたジョッキを手に俺達は乾杯する。

 彼こと、クリストファー星人のエイリアンは、美味しそうに杯を傾けた。

 学生時代からのあだ名はカニ。

 由来は単純に見た目だ。

 姿を正確に描写するならザリガニが一番適当なのだが、面倒なので俺はカニと一言で呼んでいる。

 明朗な性格と、つぶらな瞳がなかなかチャーミングで女子からのウケもいい好青年。

 俺とカニは大学で気の置けない友人となり、


「おめーの肌硬いんだよ、このヘタレカブトガニ!」

「そっちの肌は貧弱で大変そうだね、野蛮な猿人類!」


 とか言って、どつき合ったものだ。

 宇宙を跨いでのクリストファー星との交流が始まったのは、もう二千年程前の出来事。

 宇宙船に乗って人類へ接触してきたのは、クリストファー星人が先だったそうだ。

 最初こそお互いの容姿や、政治、経済、思想、宗教、倫理、言語、労働、エネルギーなどなど諸々の問題があって大いに揉めたらしいが、それはもう過去の話。

 俺達の世代にとって彼等が生活の中にいるのは当然のことで、異論を挟む余地はない。

 居酒屋の中を見渡せば、人間と肩を組み合って顔を赤らめている者もいれば、飲み過ぎて女子大生とおぼしき店員さんに介抱されている者もいる。

 そこには、悪意も差別も偏見もない。

 見いだせるのは、あって当然の人権だ。

 カニの言うジャネーの法則に従うなら、人類もクリストファー星人も、出会ってからの最初の一年は大いに戸惑い、混乱した長い時間だったことだろう。

 しかし時間が過ぎるにつれ、時間の分母は大きくなり、公然の事実に変化し、違和感は過去の遺物へ姿を変えていった。


「で、わざわざ僕を呼び出したのはどうしてなんだい?」

「ああ。実は今調査している古い遺跡からこんなものが見つかってな」


 俺は答えながらポケットから、プラスチック製の物体を取り出す。


「USBメモリー? 随分と前時代的な記録媒体を見つけてきたんだね。って言うか古代的? 実在したんだ、それ」

「そこまで言うか? まあ、気持ちは分かるけど」


 カニは、ふむと頷いて、触覚を神妙に縮めた。


「実は僕も最近発見があったんだ。これなんだけど」


 言いながらバックから円盤状の物体と、薄い四角形のノートのような物を引っ張り出す。


「DVDにデジタルプレイヤー? お前こそ人のこと言えないだろ。どこで見つけてきたんだ、こんなもの」

「君と同じで、古い遺跡から。最もこっちはクリストファー星の遺跡だけど。どちらも二千年程前のもののようだね」

「ふーん? じゃあ俺達の交流が始まった前後のことか」


 俺は頷きながら、じゃがバターを口へ運ぶ。

 俺達は二人共、考古学の研究をする機関へ就職していたから、電話やメールでよく連絡は取り合っていた。

 そして今回、期せずしてお互いの研究成果を見せ合う形になったようだ。


「じゃあ、ちょうどいいな。同じ時代の媒体っぽいし、何が記録されているのか見てみようぜ」

「いいね。わくわくするよ、こういうの」


 湧き上がる好奇心に二人でほくそ笑みながら、まずUSBメモリーを差し込む。

 そしてそこに写っていた映像に、俺達は言葉を失った。

 頭が真っ白のまま、今度はDVDをセットする。

 ――見なければよかった。

 そう思ったが、時は既に遅かった。

 俺達は無言で店を出て、繁華街を歩く。

 先に口を開いたのは俺だった。


「なあ、あれって」


 カニが頷く。


「うん、見るべきではなかったね……」


 俺はあの記録媒体に残されていた映像を思い出す。

 まずUSBメモリー。

 手術室のような場所に寝かされていた人間達が何かを注射され、やがて全身から血を噴き出しながら痙攣し、皮膚を甲殻へ変化させた。

 そんな実験が繰り返される。

 次にDVD。

 こちらも似たり寄ったりだ。

 ただ、立場が逆であっただけ。

 寝かされていたクリストファー星人が何かの薬品を飲まされ、激しく悶えた後、大量の血と共に殻がこぼれ落ちて、つるりとした皮膚の生き物が残された。

 つまり地球では人間をクリストファー星人へ変える薬品を、クリストファー星では、クリストファー星人を人間へ変える薬品を開発していた、ということだ。

 これは交流の始まった二千年以上前から、二つの星の間では秘密裏の繋がりがあり、共通した認識を持った実験が行われていたことを示唆している。

 目的はおそらく人身売買と新たな種の開発。

 他の星の環境に適応できる薬品のノウハウを得られたなら、新しい資源を求めて宇宙開拓へ出ることが出来るし、先住という主導権を得られれば大きな交渉の武器となる。

 更に重大なのは先に母星を侵略したのは地球人なのか、クリストファー星人なのか、という疑念すら抱かせてしまうという点だ。

 その疑問が明らかになれば、先に実験に手を染めたのがどちらなのかもはっきりする。

 そしてそれは、激しい対立と争いを生むだろう。

 俺は周囲を見渡しながら、厳しい調子で口を開く。


「何だか疑心暗鬼になりそうだ。今、周りにいるのは、誰が地球人で、誰がクリストファー星人なのか、って。……いや、そうじゃないな」


 俺は顔を両手で覆った。


「俺は、本当に地球人なのか……? 誰かに何かをされていない保証なんて、どこにもないじゃないか……」

「僕も同じ気持ちだよ……。積み上げてきた価値観が壊れていくような気分だ……。どうしよう? どこかへ通報する?」


 俺は首を横に振って答える。


「いや、こういうものは」


 カニの手からDVDとデジタルプレイヤーを奪い取り、そして俺の持つUSBメモリーと一緒にへし折って、ゴミ捨て場へ放り投げた。


「……いいのかい? それで」


 カニが困惑を秘めた様子で俺に訊ねる。

 俺だって内心、大いに動転していたし、どうしていいのかを何度も自問した。

 けど、


「解決法は、ジャネーの法則さ。俺達の動揺は、最初の一年が一番激しいだろうけど、いずれ短いものになる。時間が解決するってやつだ。それは感情論ではない、数理だと俺に教えてくれたのはお前だよ」

「……でも、僕は不安だよ。怖いよ。足元が崩れていくみたいだ」


 俺は小さく笑って、カニの硬い甲殻を拳でどつく。


「そういう時は俺を呼べ。俺にとって、お前はお前以外の何者でもない。……昔から見た目に似合わず小心者なんだよ、このヘタレカブトガニ!」


 俺の強めの言葉に、カニはつぶらな瞳をぱちぱちさせていたが、やがておどけた様子で答えた。


「ははっ、そっちこそビビって一人で夜中に泣いたりしないでくれよ、野蛮な猿人類! 僕にとっても、君は君でしかないんだからさ!」


 そうして俺達は、くくっと笑い合う。

 そうだ、出自や容姿が何だと言うんだ。

 きっと、誰にも言えない秘密を抱えているのは俺達だけじゃない。

 誰もがそれを胸に秘めて、いずれ消えて行く日々を過ごしている。

 今回、俺達はたまたまその氷山の一角に触れただけ。

 俺は、むんと胸を張って言った。


「よっし、今日は朝まで飲むか! 明日の仕事のことなんて知らん知らん!」


 それでいいのかと問われそうではあるけれど。

 カニは、おーと両手を挙げて答えた。


「午前様、上等だー! 今日は無礼講さー!」


 過去に何があったかなんて分からない。

 自分のルーツがどこにあったのかも知らない。

 でも俺達は自分が誰で、傍にいてくれる友達がかけがえのないものであることを知っている。

 自己を証明する根拠は、それで充分。

 俺は思う。

 異星間交流に必要な条件なんて、こんなもんでいいだろう?

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