第8話 気にしたり気にしなかったりする二人
「陛下、もういらしてらしたのですね」
「……ルーナリア」
心が揺れていたせいか、もう少しでルルと呼ぶところだった。
しかし、名前を呼んで微笑みかけた俺を見て、彼女は少し表情を変え気持ち足早にやって来る。
「陛下、もしやどこかお加減が?」
「大丈夫、君が来てくれたおかげで元気が出た」
そう言いながら手のひらを上に向けて差し出すと、意図を汲んだ彼女は俺に左手を預けてくれた。
右手から伝わる彼女の温もりが心を落ち着けてくれる。
「陛下ったら、いつになくお上手ですね。もしかして私が近づくのに気付いて、わざとお顔を曇らせてみせたのですか?」
「そんなに器用じゃないよ」
「ふふ、冗談です。でも、もし何か思うところがあったのなら、何時でも私にお話しくださいね?」
「あぁ、ありがとう。……彼らに関することだから、今はちょっとどうだろうな」
せっかく心配してくれた彼女に内容のさわりを伝えつつも、ここで詳しくは話せないと断った。
すると、ルーナリアは一歩近づき、眉尻を下げて悲しそうに口を開く。
「まぁ……申し訳ありません。私の我がままが陛下のお心を乱してしまったのですね」
「ルルのせいじゃない。前も言ったけど、ルルのお願いのおかげで、俺は迷うことなく彼らを手にかけずに済んだんだから」
「ハルさま……」
「ありがとう、ルル」
見つめ合ったままフラフラと縮まる距離に、思わず口づけしそうになる。
が、あと一歩のところで、視線を交えた視線を互いに残念そうに変えて微笑み合った。
生徒たちが鍛錬に励んでいる隣では流石に出来ない。
と、甘い空気と解いた俺たちが彼らの方に向き直ったところ、ルーナリアがやって来たことで少し下がっていたウォルコフが戻って来て頭を垂れた。
「皇后陛下にご挨拶を」
「こんにちは、ウォルコフ。いつもの鎧姿も勇ましいですが、その服もよく似合っておりますね」
「ありがとうございます、皇后さま。まだあまり慣れませんが、ずいぶんと動きやすいですな」
「そう言えば、今日は基礎訓練の日なのか?」
体感では午後の三時過ぎ、いや四時くらいか。
午前中は座学をこなしているはずだし、昼食後からカリキュラムが入っているはずなので、ここまで走り続けていたと考えていいだろう。
「いえ、剣術の訓練も予定しております。ふむ、確かにそろそろよいでしょう。一声かけてきます。よろしいでしょうか?」
「あぁ、俺たちのことは気にするな」
ウォルコフは敬礼すると、もう一人の指導教官であるライオネルの元へと向かった。
やはり、皇帝と皇后が来たことで、ウォルコフをここに拘束してしまっていたのかも知れない。
「整列!」
ライオネルの号令がかかると生徒たちの足が止まる。
遠目にも疲労の色が伺えるが、並ぶ彼らの姿に乱れはない。
……これでも合格者は一人なのか。
少々厳し過ぎる評価基準な気がしないでもないが、一向に整列したままの彼らに気づいた俺はルーナリアに声をかけた。
「行こうか。俺が言ってやらないと休みも出来ないみたいだ」
「よろしいのですか?」
「あぁ、遠目に走っている姿を見るだけじゃ、来た意味が薄くなっちゃうしな」
「分かりました。では、参りましょうか」
気遣ってくれるルーナリアと手を取り合い歩を進める。
そして、ウォルコフの隣で俺たちが立ち止まると、ライオネルが生徒たちに号令をかけた。
「両陛下に礼!」
ビシっと音を立てるように揃った動きで生徒たちは敬礼した。
なるほど、ウォルコフは俺の騎士団の仕事もあるため、あくまでも教官としてのメインはライオネルらしい。
「ご苦労。少し休ませてやれ」
「はっ、休め!」
ライオネルは敬礼を解くと生徒たちに指示を出した。
その指示の出され方に、まさか立ったままの姿勢を変えるだけじゃないよな、と疑ったが多くの生徒がその場に座り込んだ。
中には地面に身体を放り出す者も居て、方々から深く呼吸する音が聞こえる。
しかし、驚いたことに私語は一つも聞こえてこない。
「十分後に訓練を再開する。各自防具と木剣を用意するように」
「……鬼か」
続けて出されたライオネルの通達に俺だけが声を上げて反応してしまった。
自然と、視線が俺に集まる。
生徒たちからの縋るような視線は分かるし、助け舟を出してやりたい気もする。
ただ、ここで理由なく命令を変えさせるのは、彼の面目に関わるし指揮系統への影響が出てもよくないか。
「あー……余が視察に来たことで基礎訓練が予定より長くなったようだ。そうだな、ウォルコフ?」
「はっ、些か長くはなりました」
「うむ。日々鍛錬に励んでいる生徒諸君であれば、この後の訓練に影響が出ぬとは思う。しかし、万が一、余や后の前で怪我人が出ては後味が悪い。もう五分ほど休ませてやれ」
「はっ、畏まりました。では、十五分後に再開することとする!」
ライオネルは粛々と従い命令を改め、生徒たちから喜びの色が乗った息が漏れる。
そんな折、数少ない立ったままの生徒の中に、こちらを見ている少女を見つけた。
綺麗なブルーの瞳の彼女は、あの日、俺と剣を交わした少女だ。
彼女は俺と目が合った途端に目を逸らし、濃い金髪を纏めたポニーテールを揺らして去って行った。
「……陛下、彼女は」
「仕方ない。俺は親の仇だからな」
その一言でルーナリアは俺の心を汲み取ってくれたらしく、繋いだ手を指で優しく撫でてくれた。
彼女が労わってくれるのは嬉しかったけれど、あまり彼女にカッコ悪いところばかり見せてはいられない。
少し時間も出来たからレイカのことを相談するか。
俺の中では仕事というか責務というか、楽しい話題ではないけど、いつかはしないといけないし、片付けないといけないなら早い方がいい。
「ルーナリア、レイカのことについて話したいんだが」
「はい、なんでしょうか?」
彼女は俺の手を撫でるのを止めて聞き返してくれた。
レイカの名を出しても、彼女の雰囲気からは特に何も感じられない。
ジルベルト君の話では、レイカの謝罪を謝られる謂れが無い、と断ったらしいが本当に何とも思っていないなんて事があるのだろうか。
念のため、俺は慎重に言葉を選んで話しを続ける。
「彼女のことを見極めるために会う必要があるんだ」
「見極めるというと、皇太子妃にということですか?」
「いや、もっと手前の話だな。俺は彼女のことを知らなさ過ぎる。このままジルベルトの好きにさせていいのか不安なんだ」
「そういう事でしたら、お茶会にお呼びになるのがよろしいのでは?」
「……いいのか?」
「私は構いませんよ。不釣り合いとはいえ、皇太子殿下の彼女への想いは周知の事実ですし、非公式のお茶会くらいなら問題ないかと思います」
ふと、ルーナリアの思考回路が皇后としてのものになっているのに気がついた。
いや、もちろん、彼女は常日頃から皇后として相応しい振舞いを心掛けてくれている。
それでも、俺と雑談しているだけでは出さ無いものを、ちょっとした違いを、今の彼女の纏う空気と言葉から感じたのだ。
俺は彼女の献身に感謝しつつ、意図がはっきりと伝わるように提案した。
「ありがとう。では、家族のお茶会とは別の日に、場所も宮廷の外にしよう」
「はい、ハルさま。私も出来るだけサポートいたしますね」
ルーナリアは優しい目で応じると、そっと近づいて俺に寄り添ってくれた。
準備のために生徒たちも教官たちも居なくなっていたからだろう。
訓練場で俺たちを見守るのはエリーシュなどの良く知る侍女たちだけ。
……のはずだったが、ポニーテールの彼女がちょうど戻って来てしまっていた。
一瞬、二人の空間を目にした彼女は動きを固めたものの、僅かな逡巡の後、鍛練用の重しの代わりに革鎧を身に付け木剣を手にした少女は訓練場に足を踏み入れた。
悪いことはしていないはずなのに、なんとなく気まずい。
……いや、まったく悪くないとは言えないか。
少なくとも彼女は悪くないもんな。
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