第7話 帝国学院、またの名をヴェストヒューゲル
「おっ、やってるやってる」
昼食を済まし、朝の残りの書類仕事を片付けた俺は、土地の名であり帝国学院の通称でもあるヴェストヒューゲルへとやって来た。
後の世で大学となれば、ヴェストヒューゲル大学とでも呼ばれるのだろうか。
小高い丘の上にあるのは元は砦として築かれたからで、学院として改築され帝都の一部となった今も、内外を隔てる壁に砦としての名残が見られる。
建物は全て石灰石で造られており全体的に灰色がかっていて、色合いや施されたレリーフから与えられる落ち着いた印象は、学びの場として相応しい趣が感じられた。
その学院の敷地の端で、白のストライプの入った黒いジャージ姿の学生たちが、武の道を志し鍛錬に励んでいた。
というか、ジャージの上に重りを縫い込んだベージュのチェストリグのようなものを着て走っている。
「いーち、いーち、いちにっ」
「さんしっ」
足並みはかなり揃ってきているが、響く掛け声はまだまだ青い。
俺の騎士団員がやっているのはもっとドスが聞いていて、走っているだけなのに圧を受けるくらいだ。
まぁ、見た目も経験も全く違うし、比べるのが間違いか。
ウォルコフの話によると、この基礎トレーニングで心が折れる者が多いらしい。
そもそも、学院では戦い方を教えるということはない。
運動として教えているのは、儀礼的な意味合いの強い決闘の練習や乗馬くらいのようだ。
つまり、軍や騎士団に入りたいとなると、個々人が各家で鍛えることが必須であり、尚且つ軍や騎士団に入る試験を受けなければならない。
自然と、親がそうである者や伝手がある者にアドバンテージが生まれてしまっていた。
別にそれが悪いとは思わないし、構造改革がしたくてこのコースを作った訳ではない。
けれど、少なくない生徒が志望している現状を考えれば、志す上で不利な立場にあった者が多く居た証とも言えるだろう。
「陛下、よくいらして下さいました」
「ウォルコフ、精が出るな」
金属鎧でも革鎧でもないジャージ姿のウォルコフはまだまだ見慣れないが、まさに体育教師のような雰囲気の彼と挨拶を交わした。
もし俺の高校時代の体育教師が彼だったら、なんとなく頭が痛いくらいで授業をサボったりは出来なかったと思う。
「どうですか、なかなか様になってきたと思いますが」
「あぁ、ずっと良くなった。お前たちとは比べるまでもないが」
「かっはははは、それはもう五年十年続けぬと出来ますまい」
「なるほどな。まぁ、見どころがある者が見つかればそれでいい」
軍や騎士団に年齢はほとんど関係ないが、ここは学院で基本的には三年間しか時間はない。
その上、例の事件に関与した生徒はルーナリアと同学年の者がほとんど、彼らは卒業と同時に兵役に就くため、鍛えられる期間は一年となっている。
「見どころ、素質を見極める訳ですか……」
「やはり難しいか?」
「まぁ、簡単ではありませんな。互いに命を預ける相手になる訳ですし、陛下のお命をお守りするのが役目ですから」
「出来れば例の生徒たちから俺の所にも入れたいのだが」
俺が意向を伝えるとウォルコフも渋い表情を見せた。
理由は大方、ルーナリアやリオットと同じだと思うけれど、解決の糸口になるかも知れないし一応聞いておくか。
「俺に忠誠を誓えぬ者は入れられないか?」
「ええ、難しいですな。しかし、理由はそれだけではありません。残念ながら、今のところ及第点を与えられそうな者は全体で一人しか居らぬのです」
「それは……なかなか厳しい見立てだな」
「ただ、まだ一月かそこらなので。とはいえ伸び盛りの子どもですし、明日どうなるかも分かりませんが」
ウォルコフは笑って言ったが、四十人居て一人とは……。
無論、彼も先生を始めて一月ということで、生徒を見る目が十分に養われているか、という問題もあるだろう。
それに、絶対評価なので、彼の言葉の通り合格者が増える可能性もあるだろうし、逆に一年後、誰も入れられないという判断を下す可能性もある訳だが、それは仕方がないか。
もっとも、今の話は俺の騎士団への話であり、ルーナリアの護衛隊にとなるとまた話は変わってくるはずだ。
「ちなみに、ルーナリアの護衛隊に入れられそうな者は?」
「それならもう二人ほど居ります。一人はここでもう一年鍛えられますし、もう一人は入隊後も継続して鍛え続けることが条件ですが」
「……待て、もう二人ということは、俺の隊に入れられそうと言っていたのも女子生徒なのか?」
「ええ、その通りです。男子生徒は皆、弓の腕はなかなか悪くないのですが、剣や槍の腕はとても実戦に耐えられるものでは」
ふと、攫われたルーナリアを救いに行った時のことを思い出した。
俺と直接剣を交わしたのは少女一人だけ、後は彼女と共に下がったか弓を引いていただけだったか。
そうすると徐々に記憶が蘇り、父の仇と言った少女の顔まで脳裏に浮かんだ。
見ると、隊の後方で疲れ出した仲間を鼓舞しながら走り続けている金髪の少女が居た。
……彼女だ。
皇帝が……俺が、父親を奪ってしまった少女だ。
いや、彼女だけじゃなく、他にも同じような事情の生徒は居る。
その事実はもう分かり切っていたこと、頭ではちゃんと分かっていたことだ。
なのに、今日初めて違った。
彼女に剣を振われた時のことを思い出したからだろうか。
燦々と降り注ぐ陽射しの中、キラキラと汗を輝かせて走り続ける彼らを見ていると、なんだか胸が苦しくなってしまった。
俺は逃げるように視線を切り、ウォルコフに改めて理由を尋ねる。
「……しかし、体力は男子の方が伸びしろがあるだろう」
「はい、ただそこに目を瞑る程の伸びしろを剣と槍の腕に感じております」
「お前にそこまで言わせるか」
「ええ、これに関しては私が保証致します。ご存じでしょうか、リシェリューという者なのですが?」
ウォルコフは騎士団の中でも皇帝に次ぐほどの剣の腕を誇る。
その彼が言うのだから、騎士団への適性はともかくとして、剣の腕は確かと言っていいだろう。
「悪いが名前は誰も知らん。しかし、手練れで女子か。ルーナリアの護衛に適任だな」
「私もそう思います。陛下への感情を無視すれば、是非とも我らの隊に欲しいところですが」
「うちは男ばかりだぞ。少女一人入れるのも可哀そうだ」
「仰る通りですな。しかし、この件で気づきましたが、ここ十年余り新入団員は居りませんし、ライオネルのように年齢を理由に出て行く者もおります」
ウォルコフは昨年まで騎士団に居たという男の名を出し、ジャージ姿で生徒たちに指導の声を出す男を見遣った。
遠目に見ても厚みの分かる身体をしているが、短く切り揃えられた髪はほとんど真っ白に近い。
「私を初め団員たちもいつまでも現役とはいかないでしょうし、血の入れ替えは必要でしょう」
「……そうだな」
人間、いつかは必ず衰える。
身体能力お化けの脳筋皇帝も同じだ。
二国間の融和しか頭になかった俺は、少し物寂しい気分になりつつ愛するルーナリアを想った。
一日でも、一秒でも長く、彼女と一緒にいたい。
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