第5話 うっかり踏んだ虎のしっぽ
思いの外長くなった朝食を終えルーナリアを見送った俺は、使用人たちが端に寄って頭を下げる廊下を進み、皇帝の執務室である書斎へと向かう。
すっかり寝室としての機能を使わなくなった自室に連なるその部屋の扉を開けると、そこに帝国の政務の一切を司る宰相であるリオットが待ち構えていた。
「む、待たせたか。すまなかったな、ルーナリアと話し込んでしまった」
「おはようございます、陛下。両陛下が愛を深められるためならば、私の貴重な時間を無為にされようと一向に惜しくはありません」
皇帝と宰相で主従関係ではあるものの、旧知の間柄ということで俺は待たせたことを謝ったが、どことなく言葉に棘を感じる。
こいつの機嫌を損ねて良いことはないので、念のため俺は謝罪と反省を告げることにした。
「……すまん。つい話を途切れなくてな。ルーナリアも遅れさせてしまったし、次からは気をつける」
「陛下、ですから私は気にしてなどおりません。それに、陛下は挨拶を省かれてまで時間浪費に気を遣っておいでなのです。その陛下が気をつけると仰って下さるなら、今後同じことはもう起こらぬでしょうし」
「……おはよう、リオット。いい朝だな」
「今朝は雲が厚くとてもいい天気とは言えませんでしたが、陛下がそう仰るのならいい朝だったのでしょう」
思わず白目を剝きそうなリオットのイヤミに、俺は開き直って満面の笑みを浮かべて言ったが、返って来た言葉が脳に届くと自分の顔から表情が消え去るのが分かった。
リオットはそんな俺に、見慣れた真顔のまま滔々と語りかける。
「ところで、ずいぶんと皇后さまと愛を深められているご様子ですが、この調子だと御子が出来る日も近いのでしょうね」
「……はぁ?」
「もちろん、陛下の懸念は重々承知しております。ですが、御子が御生まれになれば国は活気づきますし、良いことも多くございます。臣下一同、帝国民一同、心待ちにしておりますよ」
「そうか。まぁ……もう少し先の話だな」
俺がそう答えると、リオットは大げさにため息を吐き、あからさまに呆れて見せた。
どうせ俺とルーナリアのことくらい侍女を通じて知っていたくせに……。
「はぁ……まったく、ではこれほどに遅れるなど何をなされていたのですか?」
「ルーナリアと護衛騎士の件で話をしていた」
「まさか、あの学生たちのことですか。以前にも申し上げましたが、あまりあのような者たちに期待なさるのは如何なものかと」
「この国のため、オルランレーユ王国との未来のためには必要なことだ」
ルーナリアはそれで納得してくれたが、頭のキレるリオットは彼女同様、いや、それ以上に少ない言葉で俺の意図を理解した。
しかし、理解してはくれたがリオットは彼女と違う反応を見せる。
「必要なこと、ではなく、陛下が必要とすべく案をお考えになったのでしょう。両国の柵を取り去り関係を強化する手は他にいくらでもございます」
「それはそうだが……」
「ただ、私はある意味で門外漢ですから、近衛騎士をクビになった者たちも鍛えられているようですし、その者たちや他の帝国の者が結果を出すことを今は期待致しましょう」
「……同じ力量なら俺は王国出身者を選ぶぞ」
リオットは俺の言葉に目を細めて見返してきた。
だが、俺が折れるつもりが無いことを悟ると、この場では引き下がる姿勢を見せた。
「いいでしょう。今はまだ結論を出す時ではありませんからね」
「あぁ、それはそうとわざわざ俺を長い時間待っていた理由はなんだ?」
特に何も無ければ俺への日常的な報告くらい後回しにしたはずだ。
まぁ、俺にじゃれつく暇があるのだから、そこまで差し迫った話ではないんだろうけど。
「例のレイカという少女についてご報告があります」
「聞こう」
「その前に、陛下は彼女が皇太子殿下と共に教会に侵入した際に居たもう一人の人間を覚えていらっしゃいますか?」
「居たことは覚えている。そいつのおかげでジルベルトは捕まらずに済んだんだしな」
確か裏の世界の人間だったか。
教会への侵入、ならびに、在れば厳重に管理されているはずの聖杖を盗むはずだったのだから、その手のことに長けた人間を連れて来たのだと思っていたが。
「はい、その男です。アルトという名の青年で、義賊のようなことをしている者のようです」
「義賊?」
「はい、我々の手から零れた者たちを纏め上げ、弱者を搾取する悪党を打ち倒したり、悪徳な商人から金品をくすねては恵まれぬ者たちに配ったりしております」
「ほぅ……変わった奴だな」
なんだかダークヒーローというか、ちょっとワクワクしてしまう自分が居た。
ただ、治安の維持に貢献しているとは言い難く、統治者の立場にある俺からすると、もろ手を挙げて応援はできないな。
「ええ、我々としても特に大きなデメリットは今のところありませんでした。ですので、野放しにしていたというのが現状です」
「探りは入れていたのか?」
「一応は。ですが、帝都に来る前の足取りは掴めませんでした。流れ者には珍しくないことではありますが」
「なるほど、そういうものか……」
本音を言えば、皇太子であるジルベルト君に関わってくるのだし、もう少し詳しく素性を知りたいところだ。
しかし、リオットから受けた感触からすると、あまり期待出来そうにはない。
俺は裏社会の一端を垣間見つつ彼の話の続きを待った。
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