第51話 愛しい彼女のためならば

「陛下、この草原を南にしばし進むと指定された場所です」


 街道沿いにあった林の終わりに差し掛かった頃、リオットの派閥に属する武闘派の貴族が言う。

 ここまで特に異変は感じなかったし、敵が静観してくれているといいが。


「そうか。なら、奴らが姿を現わしたらお前たちはここまで戻れ」

「……陛下の命に逆らいたくはありませんが、さすがにそれはどうかと」


「では、貴様はルーナリアが連れて行かれた時に責任が取れるのか?」

「……分かりました。ですが、万が一に陛下が討たれた際は共に逝くことをお許しください」


「好きにしろ。俺は死なんがな」

「そう願います」


 納得した彼の私兵は七人、そこに銀色の目立つ鎧を着た彼自身と黒い例の鎧を着た俺で都合九人の一行は、速足で草原を進んだ。

 だが、振り返ればまだ街道が見えるような場所で、街道からもずっと見えていた小さな丘に動きがあった。


「陛下」

「あぁ、ルーナリアだ」


 第一関門は突破出来たか。

 彼女が居ることがその証だ。


「では、ご武運を」

「あぁ」


 彼は俺に敬礼すると兵を率いて草原を戻っていく。

 それを見た丘の上の敵に動揺が走る中、俺はゆっくりと馬を進ませる。


 きっと奴らは謀の失敗を悟り、俺を討つか引くかを慌てて相談しているのだろう。

 走って近寄らなかったのは、彼らに慌てて結論を出させないためだ。


 リオットの予測では、彼らの一番は王国での復権で俺や帝国への復讐ではない。

 つまり、非常時に最優先されるのはルーナリアの確保だ。


 しかし、俺は彼女を連れて行かれては困る。

 だから俺は彼らを刺激せぬように進みつつ、帝国皇帝というエサをぶら下げるのだ。


「こんな機会はまぁないぞ、そう簡単には逃げられんだろう。なぁ、ジャック=ノアレスタ」


 俺はまだ聞こえるはずがない敵の名を口にし笑う。

 大声なら分からない距離だが、普通に話しても聞こえたはずはない。


 だが、俺を見る一人の男としばらく前から目が合っていた。

 暗いブロンドの長髪の奴もまた、俺を見て笑っている。


 待ってろ。

 そのにやけ面、二度と笑えぬようにしてくれる。


 奴らの動きが落ち着き、逃げないことが分かった俺は速足で近づいた。

 すると、近づいた俺にルーナリアが必死の形相で叫ぶ。


「来てはなりません! 陛下っ、これは罠です!」


 その彼女の行動に周囲の連中が止めようと彼女へ駆け寄るが、首謀者であろう男が手を上げてそれを止めさせる。

 それはきっと、俺が彼女の声を聞いても歩みを変えなかったからだ。


 パカラパカラと同じ速度、同じ表情で俺は奴の目を捉えたまま進む。

 仕掛けがあるのは分かっている。


 奴も俺が殺す勝算を感じているはずだ。

 だからこそ、逃げなかった。


「よく来たな。死神ハルフリード」


 約三十メートルくらいか、奴が話しかけてきたので俺は足を止め視線をルーナリアに移し声をかける。


「おはよう、ルーナリア。迎えに来たよ」


 俺が無視して彼女に話しかけると、隣の彼は笑っていた口元を引きつらせた。


「陛下……どうして来たのですか……」

「愛する妻が攫われたんだ。何があろうと来るさ」


 ショックを受けた様子のルーナリアを安心させるように笑いかけると、奴は大げさに笑って俺の注意を引こうとした。


「はははははっ! こりゃ傑作だっ、あの死神が王国の姫を愛するとはな!」

「面白いか?」


「面白いさ! 馬鹿が、いくら貴様が愛そうとも、王女殿下が貴様などに心を許されるはずがない」

「ほぅ、なぜそう思う?」


「はっ、そんなことも分からないのか。王国の者をあれだけ殺したお前が王国の姫と婚姻するだけでも、ふざけた話なのだぞ」

「まぁ、叔父に領地を奪われるようなお前に政治は分からんだろうな」


 俺も政治のなんたるかなんて分からないが、カマをかけると奴は面白い様に表情を変えた。

 やはり、彼がジャック=ノアレスタ、この件の首謀者か。


「貴様……攻めて来た貴様が、父を殺した貴様が俺を馬鹿にするか!?」

「お前の父を殺した記憶はないが、お前も戦場に居たのなら子どもではなかっただろう。自分の無能さを他人のせいにするな」


「黙れっ! 無法に侵略した暴君がっ!」

「否定はしない。そう言うお前は子どもを使って人の妻を誘拐した卑劣な犯罪者だがな」


 俺が露骨に馬鹿にすると奴は鼻で笑って言い返す。


「誘拐ではない。俺は不当に敵国に嫁がされた王女をお救いしたまでだ」

「そうか。王女の父親である国王エルドレイ殿が認めた婚姻を不当とは……王国貴族には道理が無いと見える」


「成り上がり者が何をほざく。そもそも、あれが王だと……いや、王だとしても戦場で戦った俺や父の犠牲に報いなかった。そんな相手に敬意を払えると思うか?」

「それは、叔父に領地を奪われた時の話をしているのか?」


「そうだ! 国王は戦争で我が領が疲弊して戦えぬのに、後方で控えていただけの叔父の侵攻を止めなかったのだ!」


 つまり、彼は王が仲裁しなかったから領地を奪われた、と恨みに思っているらしい。

 どうせ王が止めなかったのは、叔父にも領地への正当な請求権があったからだろうが、ぶっちゃけ俺にはどうでもいい。


「それだけか?」

「……は?」


「叔父に裏切られ領地を奪われた。そこまでなら同情してやったが、お前は俺の妻を誘拐した。貴様のような犯罪者に慈悲をかけるほど俺は優しくない」

「はっ……ははははっ! そうだよなぁ、大体俺もお前に同情してほしくなんか無いんだよ!」


「なんだ、謝ってほしかったのか?」

「馬鹿言え、お前は無残に骸を晒すんだ。ここでな」


 ジャックはそう言って手を上げると、丘の裏から武装した男たちが背後に展開していく。

 しかし、どう見てもその姿は正規の軍のものではない。


「傭兵、いや賊か」

「両方だよ。お前や帝国に恨みを持ってる奴はいくらでも居るからなぁ」


「だが、せいぜい百かそこらだろう。これで俺が倒せるとでも?」

「はっ、じゃあこれでどうだ?」


 彼がもう一度手を上げ掌をくるりと回すと、丘の上に馬に乗った重装備の者たちと弓を持った帝国学院の学生たちが現れた。

 なるほど、一通り用意はしたと。


「終わりか?」

「……強がるのもいい加減にしろよ。貴様は今日ここで惨めに死ぬんだ」


「そうはとても思えん。仕方がないから交渉してやろう」

「は、はぁ? こちらが有利なのにする訳ないだろ……」


 ジャックは呆れたように言って見せたが、俺の自信の揺るがなさに動揺が隠しきれていない。

 俺は言葉とは裏腹に戦端を開かない彼に問いかける。


「まぁ聞け。戦いの中でお前たちが死に、仮に俺も死んだとする。そうなったらルーナリアはどうなる?」

「それは……あまりよろしくないな……」


「そうだ。賊の中に彼女を残す訳にはいかない。だからこその提案だ。俺は馬を降りるから、俺の馬に彼女を乗せろ」

「死神の馬にだと? 先に殿下を確保してから増援を呼ぶつもりだな?」


「そんな者はない。居るのは後ろの八人だけだ。だが、信用できないなら譲歩してやる」

「譲歩だと……?」


 俺は馬から降りると槍を地面に突き刺した。

 そして、挑発するように笑ってジャックに言い放つ。


「これで少しは俺を殺せる確率が上がったな」

「はっ、地面に刺しただけで抜けば使えるだろうが」


「ならこうしよう。槍をここに置き十歩ずつ俺と彼女が近づく、次は剣を置くからもう十歩、最後は馬を置く。どうだ?」

「貴様、正気か……?」


「ルーナリアの身に何かあって欲しくないのはお前も同じだと思ったが?」

「……いいだろう。それにしても、自分から死にたがるとはおかしな奴だ」


 ……上手くいった。

 これで、万が一があっても彼女は助かる。


 俺は安堵しつつ愛馬の手綱を手に、彼女の許への一歩を踏み出した。

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