第49話 国の大事

「ルーナリアが攫われただと!?」

「ひっ……!?」


 狼狽した様子の若い近衛騎士の報告に、俺は椅子から弾かれるるように立ち上がり激高した。

 彼は思わず後退り壁にぶつかったが俺に気遣う余裕はない。


「何があった、どこのどいつだ?」

「お、お許しを……陛下、どうかお許し下さい……」


 俺は近づきながら問うも、騎士は身を捩り壁に張り付き赦しを請うばかり。

 とうとう眼前に立ってしまったが、彼はヘルム越しに涙の滲む目で俺を見たまま問いに答えない。


 これが近衛騎士だと……こんなのが護衛していたというのか!?

 沸き上がった怒りを抑えきれず、俺は彼の顔の横に拳を突き立て再び問う。


「言え! なぜ攫われた!?」

「ひっ!? お許しを……今調べている最中ですので……」


「それならそうとさっさと言えっ!」

「申し訳ございません!」


 ようやく騎士がまともに返事をした時、執務室の扉が開いた。

 見ると入ってきたのはリオットで、彼は俺の姿を見て眉を顰め口を開く。


「陛下、落ち着き下さい」

「落ち着いてなどいられるか!」


「だからと言って壁を壊し女性を追い詰めるなど、あまりにもみっともないですよ」

「なに?」


 視線を戻すと騎士も気がついたのかヘルムのバイザーを上げ、それから慌ててヘルムを取った。

 兜の下から現れたのは、帝国人に多いヘーゼルの瞳を揺らし、茶髪をアップにしている二十歳前後の女性だった。


「……すまない」

「いえ……陛下、私の落ち度であることは確かですので……」


 驚いたことで落ち着かされた俺は、相手が女だったからという訳ではないが、謝罪して壁にめり込んだ拳を引いた。

 違和感を覚えそのまま手を開くと、気づかず握り潰していたペンが残骸となって床に落ちる。


「まったく……歳を取られて少しは思慮深くなられたかと思えば、怒りで我を失うのは以前と変わりませんね」

「……人間、そんなにすぐに変わってたまるか」


 ルーナリアのことで動揺しているところに、皇帝の人格という別ベクトルからも揺さぶられ俺は身を硬くした。

 そんな俺の心中を知らぬリオットは、近くに来て俺の手を確認し軽くはたいて頷く。


「怪我はなさっておられぬようですね。相変わらず恐ろしいほど頑丈だ。壁はそうはいかなかったですが」

「悪い」


「壁なんて別にどうでもいいのです。私の部屋でもありませんし」

「そうだ、すぐさま帝都を閉鎖しろ!」


 どうでもいい、というリオットの言葉に反応し、ルーナリアが攫われたことへの不安が一気に再燃した。

 俺はざわつく心に急かされるまま血が沸き立つ勢いで命令したけれど、彼は眉一つ動かすことなく冷静に答える。


「既に閉鎖は完了しております。捜索も開始しておりますので、どうか落ち着きください」

「落ち着け落ち着けと言うが、ルーナリアが攫われたのにどうして落ち着けると思うんだ!?」


 つい、宥めるリオットに怒りをぶつけてしまった。

 自分でもどうかと理性では思う。


 しかし、それでも彼は何でもない風にただ俺を見つめていた。

 その、いつもと変わらない彼の姿勢に思い直し、俺が目を閉じ少し息を吐くと、彼は状況を説明し始めた。


「陛下、ご心配は無用です。可能性があるのは例の王国の過激派ですし、彼らあれば皇后さまに手は出しません」

「なぜそう言い切れる、奴らはルーナリアを口汚く罵っていたんだろう!?」


「十中八九それは国王と王国への不満からです。帝国と陛下に恨みを持ってはいますが、奴らの狙いはあくまで王国です」

「理由は?」


「王都に放った間者に調べさせましたが、連中の核は帝国との国境に位置する王国貴族です」

「まさか、前の大戦で帝国に攻められた……?」


「その通りです。もちろん、現領主たちが直接関わっている証拠はまだ見つかっておりませんが、その近親者に行方が知れぬ者がちらほら居ります」

「戦争の……俺のせいでルーナリアは攫われたということか」


 落ち着いて考えれば万人が一つのことに同じ考えを持つなんてのは奇跡だ。

 たとえそれが、両国の平和であったとしても、十年という月日は血を流した者、そして戦争をした両国にとっては短すぎた。


「陛下だけの責任ではありません。ただ単に、戦争の余波はまだ消えてないということです」

「そんなことはどうでもいい。この国で妻を守り切れなかった。俺の責任だ」


「ご心配なさらずとも皇后さまは必ず見つかります」

「なぜだ?」


「帝都から出る裏の道も全て押さえてあるからです。皇后陛下を帝都から連れ出せば確実に彼らの動向を掴めます」

「ならその出口も全て塞げ。出ようとしたところを見つけ根絶やしにしてくれる」


 一筋の光明がやっと見えた気がして、俺は呼吸とともに怒りを腹に沈め、来るべき時に備え四肢に力を漲らせていく。

 これまでの戦闘ですら感じたことがないほど心臓が大きく脈打ち、逸る気持ちに身体が呼応している。


 だが、リオットは一歩も動かない。

 不思議に思っていると彼は指示を出しに行かないどころか、否定を口にした。


「それは出来ません」

「……なぜだ?」


「皇后さまのために我々が裏の道の全てを知っていることを明かす訳にはいかないからです」

「リオット、貴様……何を言っているか分かっているのか?」


 俺は賊にすらぶつけたことが無い怒気を彼にぶつけた。

 でも、それでも彼の主張は揺るぐ事がなかった。


「はい、もちろんです。賊にとって安全な道が一つ減ると、他に裏道が一つ余計に出来ます。それを把握するのには時間と運が必要です」

「それがどうした。そんなことがルーナリアより大事だとでも言うつもりじゃないだろうな」


「残念ながら。仮にこれが陛下や皇太子殿下であれば別でした。が、皇后さまのために切り札を出し、いざ陛下や殿下が攫われた際に私の目の行き届かない道から逃げられては困ります」

「命令だ」


「お聞き入れ出来ません。大体、仮に封鎖したとしても、追い詰めれば皇后さまを無傷で助けられるかは疑問です。それでもご不満と仰るなら私をお切りください」

「……お前無しでどう救えと言うんだ」


 リオットの主張はあくまでも国のためで、言わんとすることも分かる。

 一貫した彼の行動理念に適っているし、追い詰めた敵が何をするのか分からないというのもその通りだろう。 


 それでも、俺は将来の危険よりも今の彼女が何億倍も大事だ。

 ルーナリアが傷つくのは耐えられないが、彼女が遠くに連れ去られてしまうのは想像も出来ない。


 と、行き場を無くした感情が脳の血管を圧迫する。

 頭痛なんてどうでもいいが、いくら血が酸素を送り込んでも解決策が浮かばないのが悔しかった。


「……仮に、皇后さまが御子を身籠っておられるのであれば話は変わりますが?」


 苦悩する俺を見かねたのだろうか。

 俺にはリオットが嘘を吐けと言っているように聞こえた。


「どうなのですか?」

「まだだ……」


 急かされた俺は慣れない嘘が吐けなくて、とっさに口から事実が出てしまった。

 何やってるんだ俺は……どんくさい自分に腹が立つ……。


「では、敵が網にかかるのをお待ちください。心配なさらずとも必ずかかりますので」

「……外で待つ」


 そう言い残すと、死んだ心で剣を取り部屋を出た。

 俺にはもう、ただ彼女の無事を祈ることと、助けに行くために一歩でも近くに居ることしか出来ない。

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