第48話 大司教の審問

「皇帝陛下、ご機嫌麗しゅう」

「おはよう、カサンドラ」


「おはようございます、大司教様」

「おはようございます、コンクノン卿」


 カサンドラがリオットにも挨拶すると、彼は彼女が居る所でこれ以上話せることが無いのか、俺に礼をして暇を告げる。


「では陛下、私はこれで」

「ああ」


「大司教様、ではまた」

「はい、いつでも教会にいらしてください」


 リオットはカサンドラに挨拶すると部屋を後にした。

 しかし、彼女が俺に一体何の用だろうか。


 順当に考えれば例の事件についての続報か、それともそのことで謝罪に行ったはずのジルベルト君のことか。

 そう考えていた俺に、彼女はいつもと違って険しい顔で問いかける。


「陛下、皇后陛下と情を交わされておらぬそうですね」

「うん……うん!?」


 開口一番のまさかの発言に俺は目をぱちくりさせた。

 情を交わすって……つまり、アレのことだよな……。


 想像だにしない話題に口の中が一気に乾いていく。

 なぜ俺は美人の聖職者にカウンセリングされようとしているのだろうか。


「それとも、もしや昨夜すでに愛を交わされたのでしょうか?」

「……いや、昨夜はベッドも共にしていないが」


「あぁ?」

「す、すまない……」


 こなれた角度でガンを飛ばされ、そのドスの効いた声に俺は思わず謝ってしまった。

 こっわ……元レディースか元ヤンって言われても納得するくらいキマってて怖かったんだが……。


「あら、私としたことが失礼いたしました」


 カサンドラは一瞬で見知った彼女に戻り謝罪した。

 あまりにしれっと戻ったけど……もしかしてアレが素ってこと……?


 とはいえ、そんなことを聞けば再びキレられかねない。

 俺は一先ず今見たものを気にしないよう努め、その上で自分の非を認めて謝罪する。


「いや、分かっている。俺が悪い。ルーナリア想ってのことだろう」

「そう言って頂けると助かります。仲よくして頂いているのでつい……」


 仲良くと言えば、この前の休みの日に出かけないかと誘ったら、大司教さまと約束しておりまして、と言っていたっけ。

 それにしても、夜のことまで相談するほどとは思わなかったな。


「話を戻しますが、初夜は亡きクローディア様への義理立てだとしても、一月も妻を抱かれぬとはどういうことですか?」

「どうって……言われてもな」


 カサンドラがどこまで話を聞いているのかは知らないが、彼女が憤りを覚えているだけで、本当にルーナリアが望んでいるのか分からない。

 それに、俺とルーナリアが事に及んでいない理由は、実際には俺と彼女で違う。


 この価値観の違いが問題なのだ。

 もちろん、世界で一人しか持たない価値観なのだから、俺の価値観がおかしいのだろう。


 だから、たとえルーナリアが俺を異性として求めていなくても、結婚した今、俺が彼女を求めれば受け入れてくれることも分かっている。

 それがこの世界の、この時代の当たり前だから。


 けれど、それはただの契約の履行だ。

 そんな夫婦の在り方で彼女が俺を愛してくれる日が来るとは思えない……。


「あの日、私の前で誓われたことは嘘偽りだったとでも?」

「いやっ、そんなことはない。俺は、彼女が好きだ。彼女しかいない」


 この気持ちに偽りはない。

 むしろ、今の俺の全てと言っていい。


 皇帝を必死にやっているのは、それしか生きる方法がなかったからだ。

 俺の真摯な想いはカサンドラにも伝わったようで、彼女は困ったように顔を歪めて尋ねる。


「ではなぜです?」

「……大司教に言うのもなんだが、なにも肉体の繋がりばかりが愛ではないだろう」


「まぁ、まるで厳格な修行者のような仰りようですね。陛下がそこまで自身を律せられているとは存じ上げませんでした」

「いや、そういうつもりではないが……」


 ちゃんと説明出来ないせいで堂々巡りだ。

 カサンドラは再び語気に怒りを滲ませた。


「ではお聞きしますが、心の繋がりは十分なのですか?」

「それは……」


 彼女の厳しい言葉が胸に突き刺さる。

 実際、ルーナリアが彼女に相談していたのだから、不満というか不安にさせていたのだろう。


 そんな中、俺は昨夜彼女の部屋を訪ねなかった。

 ただの偶然だが、後悔してもしきれないものがある。


 ……彼女はベッドで一人、何を思っただろうか。

 心が締め付けられ目の端が滲みそうになるのを歯を食いしばって耐えた。


 カサンドラはそんな俺を見てか、少し表情を緩めて語りかける。


「私の立場で言うのは憚られますが、皇后陛下は既にお薬を用意されておいでです」

「薬……何の薬だ?」


「聞けば陛下と皇后陛下は国のために子を授かるつもりはないのだとか、そのためのお薬です」

「まさかそんな……ルーナリアが本当に俺と?」


 にわかには信じがたいことだ。

 彼女が俺と男女の仲になることを既に考えているなんて思いもしなかった。


 待てよ、まだ貴族としての義務感に駆られているだけかもしれない。

 いやでも……なら、なぜ避妊薬を……?


 そんなことを考えているとカサンドラが呆れたように答える。


「だから、そう言っているではありませんか」

「悪いが信じられない。そもそも、大司教が神の教えに背けと言うのか?」


 混乱する頭に先ほどガンを飛ばしてきた彼女がチラついてしまう。

 どこまでが本当で何を信じたらいいのか、ルーナリアはどう考えてくれているのか……分からない。


「もちろん、子孫繫栄は神のご意思ですが、全てを完璧に体現できる人間はそうはおりません。お二人には事情もございますし、神もお許し下さるでしょう」

「だとしても、そういう薬を使うのは女性の身体に負担となるんじゃないのか?」


「皇后陛下のお身体を案じられる陛下のお心は本物でしょう。ですが、出来ればもう少し皇后陛下のお心もご案じください」

「そうは言っても……」


 俺はこんがらがった心に浮かんだ疑問を口にしたが、カサンドラは優しい聖職者の顔で諭すように言うに留めた。

 思考が纏まらない俺の背中を押すかのように、彼女は言う。


「聞けば陛下は皇后陛下に想いを伝えられたこともあるとか。そこまで想われているのにどうして踏み止まられているのですか?」

「それも知ってるのか」


 彼女は申し訳なさそうに小さく微笑み瞼を閉じて応じた。

 あの話まで聞いているなら知っているはずだが、一応伝えておくか。


「俺はあの時フラれたはずなんだが」

「……はいぃ?」


 カサンドラから素っ頓狂な声が上がった。

 彼女は疑問を確かめるべく俺に問う。


「あのルーナが陛下をですか?」

「……もう愛称で呼ぶ仲なのか」


 ルーナリアの父がそう呼んでいて、俺がまだ呼ばせて貰っていない呼び方でカサンドラが呼んでいる。

 とてつもないショックを受けた俺に構わず彼女は続ける。


「事情はよく分かりませんが、お二人のお考えには行き違いがあるようです。一度ちゃんとお話されるべきかと」

「そう、だな……」


 もしかしてもしかするとルーナリアは俺のことを……。

 そこに思い至ると、途端に心が落ち着きを取り戻し、身体にも力が戻ってくるようだった。


「ありがとう、カサンドラ」

「いいえ、陛下。上手くいくことをお祈り申し上げます」


 カサンドラはそう言い残して帰っていった。

 彼女が話を切り出した時はどうなるかと思ったが、結果的に助けられることになったな。


 さて、出来るだけ早く話したいところだけど……。

 夕食の席では内容的に話せないし、その後までは待ってられないか。


 よし、ルーナリアが帰ってきたらすぐに会いに行こう。

 俺は一人意気込んだが、彼女に伝える機会はやって来なかった。


 ルーナリアが攫われたのだ。

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