第47話 帝都に流れる不穏な空気

「ふぅ……」

「陛下、どうかなされましたか?」


 思わず零れた溜息に給仕をしていたメイドが気遣ってくれた。

 俺は軽く首を横に振り断る。


「なんでもない」

「さようでございますか。お食事の手を御止めして申し訳ございません」


 彼女はそう言うと一礼して下がった。

 声をかけてくれる前から手は止まっていたが、原因は料理ではない。


 朝食はいつものように見るからに美味しそうな品々が並んでいる。

 けれど、今朝は向かいに彼女が居ない。


 結婚から三週間が過ぎ、もうすぐ一月になる。

 色々考えた挙句、毎晩当たり前のように通うのもどうか、と昨夜職務を口実に一人で夜を明かしたらこれだ。


「はぁ……」


 味は分かる。

 が、なんとも味気なく感じてしまう。


 料理人には悪いが、これではただの栄養補給だ。

 俺は進まぬ食事を無理矢理押し込み、早々に執務室へと向かった。


 溜まっていた書類は一つもなく、執務室にすべきことは何もなかった。

 なんとなく窓の外に目をやると、手入れの行き届いた美しい庭がきらきらと朝の陽ざしに輝いている。


 俺の好きな景色の一つなのに俺の心は曇ったまま。

 朝、彼女と挨拶を交わさないだけでこんな気分になるなんて……。


 俺が無為に時を過ごしていたところ、そこにリオットがやって来た。


「おはようございます、陛下。今朝はお食事をあまり取られなかったようですね?」

「確かに普段よりは食べなかったが人並みには食べたぞ。……というか、お前はそんなことまでチェックしているのか」


「ええ。ところで、お身体の具合が悪いのでしたら侍医に診てもらうべきでしょう。陛下がお風邪を召されたことなど記憶にございませんが、何事にも初めはございますから」

「余計な世話だ。体調は悪くない」


 やはりというか案の定というか、リオットも皇帝が風邪を引いた覚えもないらしい。

 気づけば調子が出てきた気がする。


 どことなく言葉の端々に悪意の匂う彼の言い回しも、今日の俺には刺激となって活力を戻してくれるようだ。

 呆れたように軽く息を吐くと頬の筋肉も少し緩んだ。


「でしょうね。原因は明らかです」

「なに?」


「昨夜は皇后陛下の許をお尋ねになりませんでしたから、きっとそのせいでしょう」

「……そんなことは分かっている」


「では、昨夜はなぜ急にお渡りを止められたのですか?」

「溜まっていた仕事を片付けたのだ。文句はないだろう」


「文句など一言も申した覚えはありませんし、無理をせずとも今日こなして頂けてもよかったと思いますが」


 当然、リオットは俺の裁可待ちとなっている書類も把握している。

 その彼にはあまりにも苦しい言い訳で、俺はぐうの音も出ず押し黙るしかなかった。


「よろしければですが、お話、伺いましょうか?」

「……お前にか?」


 以前、ルーナリアに告白して失敗した時に相談したが、その時の自分の返答を忘れたのだろうか。

 俺が胡乱気に聞き返すと、彼は表情を完全に消し仕事モードに入った。


「話して頂けぬならご自身で解決なさって下さい。今は責任ある立場として職務を全う致しましょう」

「そうだな」


「まず、先日陛下が懸念されていた反体制派、と仮称致しておりました連中のことです」

「まさか、居たのか?」


 教会への不法侵入事件でレイカの動機を疑った俺は、一つ一つ可能性を消すべく、まずはリオットに話せる可能性から伝えて調べさせていた。


「居りました。ただし、帝国の者ではなく王国の者たちでしたが」

「どういうことだ?」


 相談した当初は呆れられるかと思ったが、彼は意外にも納得した風に承諾してくれた。

 恐らくは前回の時点でリオットにも目星がついていたのだろう。


「帝国への恨みを拗らせた者たちが今回の同盟に反対し、オルランレーユ王と皇后陛下を貶す流言を放っております」

「……帝国でか?」


 恨みつらみから根も葉もない噂を流すくらい起こり得ることだが、わざわざ王国の外まで広げているとなると少々事だ。

 気になったのはリオットも同じようで、彼は説明のために口を開く。


「はい、王国だけでなく帝国でもです。理由を探るべく、こちらからもエサを撒いてみたところ見事に引っかかりました」

「エサとは?」


「皇帝は日夜若い皇后を求めるケダモノで、婚姻後は政務もまともに行わず皇太子にすら軽蔑され露骨に距離を置かれている、と」

「……そんな噂を流したのか、お前が?」


 ちょっとあんまりな内容に唖然として俺は尋ねた。

 だが、リオットは平然と頷き真っすぐに目を見て答える。


「はい。まともな帝国民なら信じようはずがございませんし、目論見通り向こうから連絡があった上に接触も出来ましたので、万事うまくいったと言えるでしょう」

「ほぅ……それはよかったが……。しかし、ケダモノとは言ってくれるな」


「向こうがそういう表現をしていたので合わせました。国王は娘を売り渡した忘八の輩で、皇后陛下は陛下を誘惑した——」

「やめろ、聞きたくない」


 ゲスが流したデマだとしても、ルーナリアを侮蔑する言葉を聞きたくなかった。

 ただ、気になったことが一つ。


「その不穏分子が流した噂にジルベルトへの恨みはなかったのか?」

「ありませんでしたね。陛下についても特に貶す内容はありませんでした」


「おかしくないか。帝国で流すならルーナリアを捨てたジルベルトへの中傷や、俺への侮蔑が含まれているのが普通だろう?」

「いくつか理由は考えられますが、帝国への恨みはあれど、王国の体制や姿勢に不満を持っている訳ですから。矛先が王と皇后陛下に向かうのは自然かと」


 確かに、リオットの話は筋が通っている。

 問題は彼が流した俺の噂に連中が食いついたことか。


「それで、相手と接触してどうだった?」

「はい。国は違えど現状に満足せぬ同志に感謝を。来る日にもし協力すれば貴国にも満開の花が咲くだろう、と」


「何ともまどろっこしい言い回しだな……」

「ええ、古い貴族崩れか、そういうフリをしているか。顔は分かりませんでしたので正体は不明です」


「不明というと調べてないのか?」

「会ったばかりで信用なんて皆無ですから。向こうも警戒しているでしょうし、掴んだ尻尾をみすみす手離すのも惜しいので泳がせてあります」


 蛇の道は蛇というし、リオットの手の者が様子を見るべきと判断したなら従うしかないか。

 けれど、気になることがある。


「危険はないんだな?」

「陛下、危険は常にございます」


「違う。ルーナリアに危険が及ばないかを聞いている」

「皇后陛下には皇太子殿下と同様に近衛兵が付いております。それに、相手は王国から来た者で規模も小さく、帝都で襲撃されることは考えにくいかと」


 確かに想像出来ない。

 それでも納得しきれないのは、俺の精神状態のせいか彼女への想いのせいか。


 そんなことを考えていると、大司教のカサンドラが俺を訪ねてきた。

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