第40話 初めての夜

「陛下、そろそろお休みになられませんか?」


 新しく淹れてもらった紅茶が残り少なくなり、話が途切れたのを見計らってルーナリアがそう切り出した。

 もちろん、俺も彼女もそういうことをするつもりはない。


 彼女は皇帝の意思を尊重して、俺は責任ある大人として、だ。

 彼女はまだ学院に通う学生、この世界的にも成人していないのだから当たり前だろう。


 それでも情けないことに、いざ彼女とベッドを共にするとなると身構えてしまう。

 俺は悟られぬようカップの中で細く息を吐き、中身を飲み干すと覚悟を決めて頷いた。


「……そうだな。そうするか」

「はい」


 カップを置き立ち上がると、メイドが寄って来てビクついてしまった。

 彼女は不思議そうにしながらも俺のローブを脱がしていく。


 ……うん、そういえばそうだよな。

 いつもそうしていることなのに、うっかりして戸惑ってしまった。


 落ち着け、ただ彼女と同じベッドで寝るだけなんだから。

 ももひきのような下着とだぼだぼのシャツ姿になった俺は、自分にそう言い聞かせる。


「陛下は左右どちらがよろしいですか?」

「左右か、そうだな……」


 ルーナリアに聞かれて気がついた。

 なるほど、二人で寝るんだからどっちか決めないといけない。


 彼女と寝る上で一番大事なことは何か……。

 それは、いざという時に彼女を守ることだろう。


 右に転がるか左に転がるか……。

 うん、左に転がる方がイメージしやすく動きやすそうだ。


「向かって右側を選んでもいいか?」

「もちろんです」


「ありがと……うん!?」

「どうかなさいましたか?」


 俺は礼を言ってルーナリアの方を見たが、彼女も既にローブを脱いでいた。

 それはいい、当然だ。


 しかし、問題は彼女のその恰好だ。

 これまで女性の部屋にお邪魔したことがなかった俺は、この世界の下着事情にも漏れなく疎い。


 なので、自分の下着から推測して、シンプルなワンピースか何かだと思っていた。

 だが、彼女が着ているのは胸元がざっくり開かれた白のネグリジェ……いや、ベビードールだろうか。


 肩どころか足も膝まで露わになっている……。

 どうかなさるというか、どうにかなりそうだ。


「陛下……どうかなさいましたか?」

「い、いや、なんでもない……」


 どういうことだ……。

 少なくともルーナリアが一人でこの下着を選んだとは考えにくい。


 俺は完全に使用人頼りだが、ルーナリアはきっとエリーシュと一緒に選んでいるだろう。

 つまり、帝国の為の皇帝とルーナリアの考えを、子を作らないという考えをエリーシュは理解しているはずだ。


 となると考えられるのは、彼女のこの姿は他のメイドへのアピール……なるほど。

 洗濯物を目にするメイドは多いだろうし、そこから広がる噂も馬鹿には出来ない。


 実際には俺と彼女は肉体関係を持たないのだから、メイドたちの中には勘付く者が出るかもしれない。

 それを見越し、多少わざとらしくとも派手な下着でアピールする必要があると考えたのではなかろうか。


「陛下、もしや……私の恰好がおかしいのでしょうか……?」

「いやっ、そんなことはない。とても、よく似合っている」


「よかったです……私もこういう下着は初めてでしたので、陛下にそう言ってもらえて安心いたしました……」

「そうか……」


 やっぱりエリーシュが一枚噛んでいたか。

 先程の俺の推察も当たっていると見て間違いないだろう。


 ……とはいえ、確認は出来ないよな。

 付けるのが初めてなのは分かったが、万が一俺の推察が外れていたらどうなるか。


 その場合は、ルーナリアがたまたま気に入って付けたことになる。

 一度褒めたことなんて関係ない。


 彼女がこの下着を選んだ理由が他に何も無ければ、今度は俺が尋ねた理由を聞かれてしまうだろう。

 なんて答えればいい?


 ちょっとイメージに合わなかったから驚いた、なんて言えないし、公務の為にしてくれているのかと思った、とも言えない。

 今ですら適当な言い訳を思いつかないし、俺はきっと言葉を濁すだろう。


 その姿を見て彼女がどう思うか。

 彼女自身が派手だと感じていた節があるのだし、きっと俺もそう感じたと思うはず……。


 恋愛関係にない男に、思ったより下着は派手なんだね、なんて言われたらどう思うか。

 男の俺でも分かる、いい気はしない。


 仮に、公務のためだよね、と言っていても同じことだ。

 違ったら、灯りを消した後で下着の上からクソださジャージを着られるようになっても文句は言えない。


 まぁ、ジャージなんて無いだろうけど、好感度が消し飛ぶのは辛い。

 ……いや、こんな下着があるんだし、ジャージがあってもおかしくはないか。


「陛下、やはりどこかお加減が悪いのではありませんか?」


 黙り込んでしまった俺をルーナリアが気遣ってくれた。

 というか、部屋は暖かいとはいえ、彼女を下着姿で立たせてしまっている。


 ……ほんと申し訳ない。

 俺は狼狽えながらほとんど嘘に近い事実を口にする。


「あー……どうかな、思ったよりも疲れは出ていたみたいだが……」

「まぁ、それはいけません。お医者さまをお呼びいたしますか?」


「……いや、寝れば治るだろう」

「それならいいのですが、我慢はなさらないでくださいね」

 

 ルーナリアはそう言うと俺をベッドに誘う。

 俺がブランケットを捲って入ると、彼女はベッドの反対側へと移動していく。


 自然と彼女を目が追ってしまい、下着を押し上げる大きな胸や艶めかしい腰のラインに目が吸い寄せられそうになる。

 ダメだ……俺はダメな大人だ……。


 そもそも手を出せる関係じゃないが、そういう目で見るのも俺的にはアウトだ。

 俺は気づいてすぐ彼女を視界に入れないよう下を向いた。

 

「失礼しますね」


 しかし、彼女はこれから横で眠るのである。

 下では横目で見えてしまう、そう思って壁の方を見ようと彼女に背を向けそうになるが、新婚でそんな姿勢を取る訳にはいかない。


 俺は物言わぬ死体のように横たわり天蓋を見つめた。

 けれど、彼女はそっと隣に身体を滑り込ませ、両手で俺の腕を取る……。


 ……なにゆえ!?

 半ばパニック状態の俺にルーナリアが小声で耳打ちする。


「ふふっ、こうするとあの夜のことを思い出しますね」

「……そ、そうだな」


 何が楽しいのか、ルーナリアは笑って俺の手に指を絡めた。

 俺はというと、もうパニックを通り越して瀕死である。


「おやすみなさい、陛下。ゆっくり休んでくださいね」

「ありがとう……おやすみ、ルーナリア」


 まさかとは思ったが彼女はこのまま眠るつもりのようだ。

 俺はナチュラルな傾国とでも結婚したのだろうか……。


 彼女のかけてくれた言葉とは裏腹に俺は一切休める気がしなかったけど、一応まぶただけは閉じてみることにした。

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