第39話 新婚の二人
「ふぅ……」
結婚式後の晩餐会を終え風呂に入った俺は自室でくつろいでいた。
前世の結婚式では新郎新婦は人前で水も飲めないような印象だったが、さすがに皇帝と皇后だからか形式の違いか、そういうことはなかった。
それでも、食後の途絶えることのない祝いの列は、脳筋皇帝ボディの俺でも堪えるものがあったな。
むしろ精神的に。
きっとルーナリアは体力的にも疲れているはず。
そう思っていたが、思いのほか早くメイドが俺に時間を報せる。
「陛下、そろそろ皇后陛下のお部屋に向かわれてはいかがでしょうか」
「そうか」
メイドがこういうと言うことはつまり、ルーナリアの支度が整ったということだ。
想像よりもずいぶんと早い。
朝からの結婚式に始まり、つい先ほどの晩餐会まで一日動き通しだった。
だから、きっと疲れているだろうし、休憩に準備にもう少し時間がかかるものと思っていたのだ。
しかし、せっかく急いでくれたのだ。
待たせるのも良くはないな。
「準備が出来たと言うなら行こうか」
「畏まりました」
返事を聞き先触れのメイドが部屋を後にし、俺はソファーから立ち上がると、昂る気持ちを落ち着けるべく服装を確認し部屋を出た。
風呂上りの俺は下着の上に帝国配色のローブを纏っただけ。
この格好で廊下を歩くのは初めてで、少々心許ない。
何せ、時間が余りがちな夜といっても、これまでは会う人間がほとんど居なかったのだ。
近くに居る家族はジルベルト君だけだし、思春期の男の子の部屋に用もなく向かうほど、良くも悪くも俺は父親じゃなかった。
なので、せいぜいが寝室の隣にある書斎に向かうくらい。
その俺が、とうとう息子と同い年の女性と結婚し、夜にその彼女の部屋の前に居る。
まさかこんな日が来るとはなぁ……。
未だ夢見心地な俺の到着を報せるノックがされ、瞬刻の間を置き扉が開かれた。
「ごきげんよう、陛下」
「こんばんは、ルーナリア」
同じくローブ姿の彼女が挨拶をしてくれた。
俺とは対照的に白地のシルクに銀糸が施されたローブだ。
初めて見る彼女の夜着のはずなのに、いまいちドキドキしない。
文化の違いにこんなところで助けられるとは。
もし好きな彼女が可愛いパジャマ姿で出迎えていたら……こうも冷静では居られなかっただろう。
まぁ、このシチュエーションで既に緊張はしていたから、これ以上がなくて一安心か。
「どうぞこちらに。今お茶をお持ちします」
「あぁ、ありがとう」
俺は勧められたソファーに座ると、すぐ深く座って凭れかかり足を組んだ。
ルーナリアにも楽して欲しいという意思表示だったが、彼女はちいさく微笑みかけるだけで綺麗に座ったままだった。
「どうぞ」
「ありがとう」
ルーナリアに付いて王国から来たエリーシュがカップを渡してくれた。
そう言えば今日はあまり見かけなかったが、裏方に徹していたのだろうか。
「ありがとう、エリー」
「いえ、何か軽くつまめるものを用意いたしますか?」
「そうね、陛下は何か召し上がられますか?」
「いや、腹は特に減ってない」
「私もです。ありがとね、エリー」
「いいえ、では失礼いたします」
エリーシュは以前と違いどこか緊張した様子で壁際についた。
あぁ、忙しかったのは何も俺たちばかりじゃないか、きっと彼女も疲れているのだろう。
「陛下、一日お疲れさまでした」
「ルーナリアもお疲れさま。疲れてないか?」
「そうですね……少しだけ疲れました。陛下はいかがですか?」
「俺も少しな」
肉体的には全く問題ないが、やはりあれだけの人間が集まると気苦労を感じる。
それにしても、少しとは言いつつも彼女が疲れを口にするとは。
本当に疲れているのか、遠慮が無くなってきているのか、どちらだろうか。
と、考えつつ紅茶に口をつける。
「ん、美味しいな」
「はい、以前も美味しいと仰ってくださったお茶にいたしました」
「あぁ、あの時の」
「はい。でも、王国の茶葉なので、嫁いだばかりなのにと悩みましたが」
ルーナリアは眉尻をやや下げて困ったように笑って言う。
しかし、そんなことにまで心を砕かせているとは……。
「別に気にすることはないだろう。美味いものは美味い、どちらがどうとか俺は気にしない」
「ありがとうございます。ですが、帝国のお茶も美味しいので、よろしければ陛下のお好きなお茶も教えてくださいね」
「む……分かった。けど、俺は茶葉の名前とかよく分からないから、明日にでもメイドに伝えておくよ。今度お茶する時に一緒に飲もう」
「まぁ、ありがとうございます。陛下とのお茶会、楽しみです」
ルーナリアは嬉しそうに答えてくれた。
ちょっとお茶を飲むだけのつもりだったが、こう喜ばれては気合を入れるしかない。
いや、俺が出来ることは皆無に近いんだけど。
なんというか、気持ちの問題だ。
「ところで、お茶会には皇太子殿下もいらっしゃってくださいますでしょうか?」
「えっ、いやぁ……どうだろうな」
ルーナリアは何を思ったのか藪から棒にジルベルト君の話をした。
思わず俺が言い淀むと、彼女はその理由を教えてくれる。
「いろいろありましたが家族になったのですから、これからは仲良くしていければと思ったのですが」
「……そうだな。ルーナリアがそう望むなら、一応話してみるよ」
彼女と初めてのお茶会だし、出来れば二人がいいんだけどな……。
告げた言葉とは裏腹にそんなことを考えていたら、俺の反応を取り違えた様子のルーナリアが口を開く。
「やはり、殿下は私と距離を取りたいとお考えなのでしょうか」
「いや……どうだろうな……」
俺は彼女を王国に送る前に会って以来、ジルベルト君とはろくにに話していない。
それでも、急に全てを忘れたり無かったことにしたりするのも簡単ではないと思うけど……言っても、ジルベルト君はやらかした側だからなぁ……。
「というか、ルーナリアはジルベルトにもう何も蟠りはないのか?」
「そう、ですね……全くないとは申せません。でも、もう家族となったのですから、皇族として団結することこそ帝国のためになるかと」
「あぁ……なるほど……」
「そのためにも、あえて積極的に交流した方がよろしいかと考えていたのですが」
さすがに意識が違う。
今朝がた皇后になったばかりとは思えない。
ルーナリアの変わらぬスタンスに舌を巻いた俺は、軽く紅茶を口に含んだ。
凡人の俺は会話に困るとこういうアイテムについ頼ってしまう。
「陛下は思っていたより慎重なのですね。民の前で私を腕に抱いたまま口づけなさいましたし、もっと大た——」
「ごふっ……」
ルーナリアの不意打ちカウンターパンチに思わず紅茶を吹き出しそうになった。
というか、ちょっと吹いたし、こぼれもした。
「あっ……申し訳ありません、陛下」
「いや、大丈夫だよ。ん——」
ルーナリアは慌てて立ち上がりハンカチを取り出すと、俺の口もとを拭いてくれた。
おっ、なんかすごい新婚っぽい。
「……ありがとう」
「いえ、新しい紅茶をお持ちしますね」
彼女は優しく微笑むと俺の手からカップを回収し、いつの間にか傍に来ていたエリーシュにハンカチと一緒に渡した。
さっきのは決して、あのキスの仕返しではないと思う……うん……。
そうこうしているうちにも夜は深まり、刻一刻とその時が迫る。
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