第35話 父と娘
「馬車をここへ!」
俺が声を張ると兵士たちの後ろから馬車が引かれて来る。
二頭の竜がモチーフの帝国の紋章を始め、黒地の車体に金の装飾がふんだんに施された六頭立四頭曳の豪華な馬車だ。
馬車を曳くのは後ろの四頭、向かって右側の二頭には御者が乗っている。
また、前の二頭は繋がれた四頭とは異なり、それぞれ独立して御者が乗っていた。
四頭で曳くのはシンプルに馬車が重いから。
借金がまだ残ってるのにこんなとこに金かけるのかよ、なんて見た時には思ったものだ。
しかし、馬車を見た王国兵から歓声紛いのどよめきが上がったことを考えると、これはこれで必要だったのかもな。
「見事な馬車だ。気品がある」
国王も満足気に褒めてくれた。
俺には若干……いや、結構ケバい気がするが、長く王族をやっている彼の感性の方が正しいはずだ。
やがて、停まった馬車の扉が開かれ、その前から白いカーペットが転がされ伸びていく。
俺が少し横にズレると、王も同じように動きつつ尋ねてきた。
「これは?」
「せっかく王が観客を呼んでくれたのでな。一つ趣向を用意してみた」
国王の疑問に答える間に伸び終わった白い道の先に、帝国のと並び立つような白い王国の馬車が止まる。
数拍の後に扉が開き、侍女のエリーシュの手を借り純白のドレスに身を包んだルーナリアが馬車から降りてきた。
「おぉ……」
その姿に感嘆のため息が思わずこぼれる。
だが、声は王国兵や帝国兵からも聞こえ、目の前の王と俺のものは彼らの合唱にかき消されてしまった。
ルーナリアが着ているのはもちろん、結婚式のためのドレスだ。
国王は試着の時に見ていたかも知れないが、帝都で婚姻する彼女を王国民が見ることは難しい。
だからこそ、彼女に連絡してここで王国の者たちにも見せることにしたのだ。
その彼女は馬車の前から一歩も動かず、父である国王に向かって呼びかける。
「父上、手をお借りしてもよろしいですか?」
「ルーナ……うむ」
国王はルーナリアの許へ向かい、ルーナリアの手を取ると一緒に純白の道を歩んでくる。
愛娘の手を取り歩く彼の顔は国王としてのものではなかった。
自慢の娘の隣に居ることが誇らしそうで、なのにどこか寂しそうで、彼もまた一人の父親なのだと実感した。
しかし、俺と彼女が用意した道は短い。
「王よ、ここからは余が」
「う、うむ、そうだな……」
目の前に来たところで声をかけると、彼は名残惜しそうにしつつも娘の手を放した。
代わって差し出した手を前にルーナリアが挨拶をする。
「皇帝陛下」
「ルーナリア。信じていたぞ」
「はい」
俺の手を取ったルーナリアが短い返答に留めたのは、きっと彼女も父と歩いた道で胸に込み上げるものがあったからだろう。
ベール越しの彼女の目の端に、微かに滲む輝きが見えた気がした。
父と娘の別れに俺も心臓を揺るがされたけれど、それでも俺は傍観者に過ぎない。
ここはしっかりと進行を務めなければ。
「王よ、今より余はあなたを父として敬う」
「……ならば、余はこれからそなたのことを息子として慈しもう」
王と握手を交わすと両軍から歓声が上がった。
地を揺るがすような歓声の中、俺の手を握る彼の手は強く、どれだけルーナリアのことを大事に想っているかが伝わってくるかのようだった。
俺は思わず左手を一瞬握ってしまったが、ルーナリアも応えるように握り返してくれた。
そのおかげだろうか、気づくと俺は国王に向かって口を開いていた。
「王よ、必ずルーナリアを幸せにする。約束だ」
「陛下……」
返事はまず隣からあった。
だが、今は彼女の方を見る訳にはいかない。
今日、一番真剣な目をした男が俺の目を見据えて放さないからだ。
束の間の沈黙の後、彼は親の顔で俺に言う。
「娘を頼んだぞ。約束したからな」
「あぁ、男の約束だ」
彼はこれでもかと俺の手を握り続けたので、俺も同じくらいの力で握り返した。
あまり力を入れると怪我をさせてしまいかねない。
王はそれでようやく納得したように一つ頷き、反対の手で俺の手の甲を叩くと握っていた手を解いた。
驚いたことに解放された右手が微かに痺れている。
腕相撲で騎士団を全員抜きした時ですら何ともなかった皇帝の手が、だ。
これが娘を想う父の力か……。
「行こうか」
「はい、陛下」
俺はルーナリアに声をかけ、帝国側へ振り返ろうと彼女の手を離した。
だが、改めて右手を差し出しても、返事をした彼女の手は上がらない。
それもそのはず、彼女の視線こそ俺の足元を向いているものの、意識はまだはっきりと王の方へ向いていた。
理由は分かる。
彼女はこれから皇后になるため、よほどのことが無ければこれが今生の別れとなりかねない。
本音を言えば帰郷の約束を今この場でさせてやりたいけれど、皇帝としてそれは出来ない。
「ルーナ……」
父親である彼も娘の気持ちを察して声をかけたが、国王としては望まないのか、その声音はなんとも言えないものだった。
ただ、両国が確かに平和の道を歩み始めた今日、その立役者と言える二人に皇帝の俺には贈れるものがある。
「オルランレーユ王よ、王宮は歴史ある美しい場所だと聞く」
「……うむ。いくつもの王朝の歴史が積み重なった白亜の宮殿だ。それがどうかしたか?」
嫁に出す娘のことで頭がいっぱいなのだろう。
俺はもう少し直接的に言い直すことにした。
「話に聞くのと実際に見るのではまた異なるであろう。出来ればこの目で見てみたいものだ」
「そうか……いつか招待できる日を心待ちにしておるぞ」
「陛下、ありがとうございます……。では父上、お元気で」
「うむ、ルーナもな」
彼女は父と潤みを帯びた声で挨拶を交わすと、顔を上げて共に帝国へと歩を進めた。
光を浴びて金糸や銀糸の煌めくベールの奥に、それと異なる清らかな輝きが頬を伝っているが、俺以外に気づいた者は居ないだろう。
「オルランレーユ王国万歳っ、シュトレーベン帝国万歳っ!」
「オルランレーユ王国に栄光あれっ、シュトレーベン帝国に栄光あれっ!」
両軍からのエールは彼女が馬車に乗り込むと最高潮に達した。
形は変わったが約束はこうして果たされた。
今日をもって戦争は一年早く過去のものとなったのだ。
「行くぞ!」
愛馬に乗った俺の号令に合図の笛が鳴る。
騎士団とを先頭にルーナリアの馬車、重騎兵、歩兵、最後に軽騎兵だ。
ほどなくして隊列が進み始めると、背後から王国の国歌がゆったりと壮大な音色で奏でられる。
王国の軍楽隊だろう。
次第にそこへ兵士たちの歌声も加わり、都合三千人の大合唱へとなった。
それは、ルーナリアの輿入れを祝福するためのものだろうが、俺は民がどれだけ平和を待望していたのかをようやく知れた気がした。
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