第34話 国王と皇帝
約束の時間になり、どちらからともなく国境に歩み寄った。
先月とは比べ物にならない緊張感が張り詰める中、向こうの代表は予想通りの人物だった。
オルランレーユ国国王、エルドレイ=オルブリューテだ。
彼はややふくよかな身体に銀色の鎧を纏い、ルーナリアと同じ色の長髪に冠を乗せ、また髪よりは濃い金色の口ひげを蓄えていた。
いわゆるカイゼル髭にあご髭もあるが、拘りが強いのか綺麗に揃えられている。
赤いマントを靡かせた彼は、頭一つ低い位置から俺の目を見据え、硬い表情で鼻を鳴らし口を開く。
「ずいぶんと少ない兵だな。帝国は兵士不足か?」
王は俺の背後の兵士を見て侮るように言った。
帝国がルーナリアにしたことを考えれば当然の態度だが、いくら俺が負い目を感じようと
「たかが倍揃えたくらいで威張ることもないだろう」
「はっ、数も数えられんとは。立派な体躯だが頭まで筋肉が詰まっておると見える」
「自分の頭の中は見たことがないのでな。しかし、槍を持っただけの農民や市民に余が殺せると、そう思うほどに耄碌されたとは嘆かわしい」
「ふっ……好きに言え。余が歳をとるようにお前も歳をとる」
国王は笑みを浮かべると、奥行きを持たせた言葉を告げた。
彼の言葉は色々と取りようがあるけれど、今重要なのは彼にやり合う気は全く無いということだ。
俺の眼前に立った時点でその可能性はほぼ皆無だったものの、まだ辛うじて自身を囮にした必殺の一手が無くはなかった。
その僅かな可能性があったのは、国王には既に二十代半ばの政務を支える王子が居るからだ。
だが、思うところはあったとしても、彼は挨拶代わりの嫌味で済ませた。
王国にとって皇帝の首と平和のどちらが重いか、それは分からないが彼は平和の道を選んだのだ。
「それはさておき、お前の息子には直接言ってやりたいことがある」
「そうして貰えると余も助かる。このまま一緒に帝都に参られるか?」
国王は表情を軟化させ、フランクな口調で引き続き文句を言った。
俺は同意して提案すると、彼は満更でもない様子であご髭を弄り答える。
「ふむ、悪くない。が、余だけが娘の結婚式に参列すれば妻になんと言われるか」
「王妃は不満に思うだけかも知れないが、王国の重臣たちは慌てふためくであろうな」
「はは、確かにな。だが、余は煩い重臣連中よりも妃の顔色の方が大事だ。妃はなかなか気が強くてな」
「さようか」
国王のことはリオットからもそれとなく聞いていたが、王妃のことはルーナリアから少し聞いただけだ。
全くと言っていいほど知らない人の話に相槌を打つしかないが、彼は后の話を続ける。
「うむ、夫婦間のことは后の意見ばかりが通るのだ。辛うじて余が守れておるのはこの髭くらいでな。これも生やそうとした時は冷ややかな目で見られたものだ」
「ほぅ……立派な髭だと思うがな」
「そうであろう! 我が家の男子の伝統なのだ。王子は后の目を気にして生やそうとせんのだがな」
「難しい問題だな」
皇帝となった俺に以前感じていた髭剃りの煩わしさはない。
だから、パートナーが嫌だと言うなら生やさなくてもと思ってしまうが、歴史や思い入れがあるなら分からなくもないか。
「ルーナリアは妻によく似ておる。下手をすればお前ほどの男でも尻に敷かれかねんぞ?」
「なに、彼女になら喜んで頭を垂れるさ」
髭を褒められて悪い気はしなかったのか、王は良い声音で揶揄ってきた。
でも、俺が笑って即答すると、彼は意外そうに笑みを消し尋ねてくる。
「ほっ……こりゃ驚いた……。しかし、教会がこうも簡単に認めるとはな。理由は何とした?」
「あぁ、それか。よくある話だが、それに関して一つやっておかねばならんことがある。おい、机と筆を持て」
補給部隊の者が机と椅子を用意し、この為に付いて来ていた文官が別の兵士が持つ箱を開けさせ、中にあった書類を机に置いた。
「これは……我らの和平の?」
「そうだ。ここが違っている」
俺はペンを取り元の条約の借り入れの部分に線を入れる。
それを確認した文官がすぐさま書類をずらし、空いたスペースに修正されたものを置く。
「ふむ……金利として二割か」
「別に今すぐ調印しなくても構わないが」
「いや、調印しよう。娘の門出にケチをつけたくない。無論、異存もないが一行足させてもらうぞ」
王はそう言うと、婚姻が続く限り金利は免除する、との但し書きを記し署名した。
なかなか粋な真似をするオッサンである。
娘の名誉は金では買わせないと言っているようにも見えるが、彼の但し書きによって前のものと実質的に同じになった。
後は俺が署名すれば新たな条約は効力を発する。
「陛下、失礼いたします」
「ああ」
文官は国王が書いた文言を検めた後、もう一冊の新しい書類に書き写し俺に差し出した。
俺がその両方に署名すると、俺の名前しかない書類を文官が国王の方に向きを変えた。
「これでよし、と」
そう言って国王が署名を終えると、文官は一冊を持って来た箱に戻し、もう片方を装飾された箱に収め国王に捧げた。
国王はそれを受け取り傍に控えていた従者に渡すと、すぐに場から机や椅子が片付けられていく。
そう、これはただの前座。
本番はここからなのだ。
花嫁であるルーナリアこそが主役、国王と皇帝でも脇役に過ぎない。
少なくとも俺はそう思ってここに居た。
俺と国王がやり取りしている間も、王国の者たちの強い緊張感は伝わってきていた。
これから行うパフォーマンスで狙い通りの効果が出るといいが……。
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