第33話 戦士の心構え

「報告! 王国軍の数、およそ三千!」

「ふむ、概ね前情報通りですな」


 偵察の報告を聞いたジルファノが俺を見て言う。

 その数は三日前の時点と同じ、王国軍も集結が完了していたらしい。


 ここは国境から小一時間くらいの距離に位置する野営地。

 輿入れして来るルーナリアを迎えるため一夜明かした朝だ。


 俺は念のため報告した兵に尋ねる。


「約束は昼のはずだったが、先方の様子はどうだ?」

「警備は厳重でしたが動きはまだありません」


「なら急ぐことはないな」

「ええ、しばらくゆっくりしましょうか。酒でも飲まれますかな?」


 お茶でもどうか、と聞かんばかりの自然な勧め方に思わず頷きかけてしまった。

 俺は呆れた目をジルファノに向けつつ苦言を呈する。


「花嫁を迎える男が酒臭くて喜ぶ父親がどこに居る」

「祝い酒と受け取ることも出来なくはないと思いますぞ。しかし、陛下が飲まれぬなら儂も止めておきましょうかな」


「余の事は気にするな。飲みたければ飲め」

「さようでございますか。では失礼して」


 ジルファノはそう言うと、飲む酒を自分で選ぼうと立ち上がったが、隣に座っていた男が立ち上がり行く手を阻む。

 常備軍の指揮官である。


「閣下、酒の前にまずすべき事がございます」

「布陣だな。それくらい酒を飲みながらでも出来るだろう」


「軍規では勤務中に酒を飲むことは禁じられております」

「それはモノの見方によるであろう。陛下のお許しも出ておるのだぞ」


「朝食が終わった今は勤務中です。元帥である閣下が軍規を破られるなどあってはなりません」

「……リオットめ、とんだ堅物を付けてくれたものだ」


 確か、叩き上げで将軍になった男だったはずだが、彼にはジルファノの舌があまり通じない。

 絵にかいた軍人のような頑固で実直な男で、規律通りに動き一切の例外を認めないのだ。


 これが恐ろしくジルファノに効いた。

 だからこそリオットは仕返しに選んだのかもしれないが。


 ジルファノは渋々席に戻り、堅物将軍もそれを見て席に着いた。

 俺はジルファノを見て言う。


「始めよ」

「三日前の報告から変更はありません。つまり、常備軍の数も倍はおることになりますな」


「王国の常備軍は七百です。陛下への報告は正確にお願いします」

「どうせ戦争にはならんというのに……」


「万が一に備えるのが我らの役目です。陛下、騎士の数も五十は下らないでしょう。少し後方ですが、やはり丘に陣取るべきかと」

「将軍の言うことは分かるが、丘の上で陣を敷いて妻を迎える奴がどこに居る」


 彼が提案したの国境の手前にある小高い丘だ。

 戦うことだけを考えればそこで間違いないだろうが、いくら数に差があってもそんな姿勢でルーナリアを迎えたくない。


「しかし、さすがに十倍の敵に囲まれては少々厳しいかと思われますが」

「はぁー……まったく、頭の固い男はこれだから困る」


「元帥はどうお考えなのですか?」

「儂がどう考えているかではない。平地で堂々と構えて王女を迎えると、陛下がそう考えておられるのだ」


 ジルファノは呆れたように頭を振り、俺をダシにして将軍を諭す。

 一応は真実なので俺は何とも言えないが、将軍は微塵も動じず再び尋ねる。


「それで、元帥はどうお考えなのですか?」

「……は?」


「元帥はどう布陣すべきとお考えなのですか?」

「だから……いや、もういい……正面は陛下と重騎兵、後ろに歩兵、両脇に軽騎兵とする」


 取り付く島もない将軍の対応に、ジルファノは諦めて配置を告げた。

 面白さとは無縁の男だし融通は利かなさそうだが、ジルファノには有効のようだ。


 ただ、指揮を取り合えば彼がジルファノに勝てるとは思えない。

 優秀であることは間違いないと思うけれど、もし彼がジルファノより優れていたなら、きっとリオットが元帥に推していただろうからな。


「畏まりました。万一の時はどう動きますか?」

「その時は陛下が重騎兵を率いて敵本陣に突撃、歩兵部隊はその場で弓兵を中心に置き守りの陣を組め。儂は右の軽騎兵隊に入り指揮を執る」


「畏まりました」

「お前は優秀だと聞いている。仮に戦いとなれば徴募兵のほとんどを歩兵が受けることとなる。かなり厳しいだろうが力を見せろ」


 俺は生真面目な将軍を鼓舞するべく言葉を発した。

 彼は立ち上がり敬礼して俺に応える。


「ご期待に応えられるよう全力を尽くします!」

「うむ。期待しているぞ」


「一言よろしいでしょうか!」

「なんだ?」


 将軍の隣に居た士官が声を上げた。

 ずいぶん若いな、彼の部下だろうか。


「皇帝陛下がお強いことは若輩の私ごときですら聞き及んでおりますが、徴募兵はともかく王国兵も常備軍や騎士は精強でありましょう。恐れながら——」

「止めよ」


 将軍がドスの効いた声で睨みつけると、若い士官は即座に口を噤んだ。

 よく鍛えられているんだろうな……。


「よい。許す、続けよ」

「はっ、仮に戦争になったとして、この兵力差で本当に勝てるのでしょうか」


 若い士官の言葉を聞き、騎士団副官のウォルコフを始め古参の者たちから笑い声が上がる。

 彼らは俺が、つまり皇帝が率いる軍が負けるとは想像も出来ない。


「これが答えだ。心配は要らん。ただ余と帝国軍の強さを信じろ」

「……ははっ、率いて頂けることを誇りに思います!」


 彼らは皇帝のバカげた強さを知っている。

 もちろん、絶対は無いし戦えば笑った奴らも少なからず死ぬだろう。


 だが、皇帝の強さは国王も知っている。

 もし、俺を殺す気があるなら伏兵が忍ばせてあるはずだ。


 しかし、偵察の兵が探してもそれらしき兵は見当たらなかった。

 その上、例の徴募兵の内訳だ。


 今日は戦争にはならない。

 絶対に。


 それでも気は抜かない。

 軍として当然の備えであり、兵士として、また戦士としての心構えというやつだと思う。


 ジルファノの許に使用人がカップを持ってきた。

 流石の彼も、大事の前と考え直したか堅物将軍の目を気にしてか、酒は諦めたようだ。


 ……うん、彼の紅茶から強い酒の匂いがするが、きっと気のせいだろう。

 いやぁ、紅茶にもいろいろ種類があるんだなぁー……。

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