第27話 また一月後に

「陛下、ようこそいらしてくださいました。どうぞこちらに」

「ああ」


 身なりを整えルーナリアの部屋に招かれた俺は、彼女の声に従いエリーシュの引いてくれた席に座った。

 ブルーのドレスを着た彼女は、先ほど別れた時は乱れていた髪も整えられ、いつもの完璧な王女さまになっている。


「ルーナリアはブルーがよく似合うな」

「ありがとうございます。私も青が好きなんです。母にはよく赤を勧められるのですが……」


 赤は良く言えば積極的情熱的な印象を与えるけど、悪く言えば威圧的にも捉えかねられない。

 笑っているとそうでもないが、彼女は人によっては冷たい印象を受けてしまう顔立ちをしているし、赤のネガティブな側面を気にしているのだろう。


 けど、ルーナリアの母が推すように、きっと彼女には赤も似合う。

 俺は赤いドレスを着た彼女が辣腕を振るう姿を幻視した。


「嫌じゃなければ俺にはいつか赤いドレスを着た君を見せてほしい」

「陛下に、ですか?」


「あぁ、無理にとは言わないけど」

「いえ、そんなことは……では、用意しておきますね」


 俺の思い違いでシンプルに赤が苦手という訳ではなさそうで、ルーナリアは微笑んで応じてくれた。

 そこに、侍女たちが朝食を持って来てくれて、俺と彼女は食事をしながら話を続ける。


「ぉ、この紅茶おいしい」

「よかったです。私も好きなお茶なのですが、エリーシュはお茶を淹れるのが上手なんですよ」


「そうなのか。さすがは王女殿下の侍女だな」

「はい、自慢の侍女です」


 ルーナリアの後ろでエリーシュは頬を染める。

 しかし、侍女である彼女は、助っ人侍女と思われる街娘の目を気にしてか、言葉に出さず礼をするに留めた。


「そういえば、陛下。今日の黒いお召し物も素敵ですが、あの鎧はお付けにならないのですか?」

「そうだな……今日は付ける予定はないが、今後どうするかは少し悩んでいる」


 ルーナリアが連想したように、俺が黒い服を着ていると王国の者にはどうしても黒い死神を連想させてしまう。

 そのため、国境が近づくにつれ王国の者も増えるからと白を着るようにしていた。


 しかし、彼女の匂いがする服で人前に出るわけにはいかず、俺は仕方なく金糸で装飾された黒のジャケットを着ているのだ。

 今回の旅は護衛だから俺の装いのバリエーションは少ないが、皇帝として用意される衣装も普段から黒が多い。


 きっと帝国の者も、皇帝の黒に武神としての威厳を見出すからだろう。

 俺も黒は無難で嫌いじゃないが、服装で人に不快な思いをさせるのもな。


「陛下の仰る今後には国境でのお別れが含まれるのでしょうか?」

「まぁな、というかそこが一番気がかりだ」


 国威発揚も理解できるが今は歩み寄りを見せる時、そんな時に相手の国の面前で着る必要があるのか、と俺は悩んでいた。

 すると、ルーナリアが食事の手を止めて俺に話しかける。


「私は陛下にはあの鎧で見送って頂けたらと思います」

「理由を聞いてもいいか?」


「ええ、理由はまだ王国に陛下を恐れる人が多いためです」

「なら、なおのこと着ない方がいいんじゃないか?」


 見れば恐怖を掻き立てられる人が多いなら、どう考えても印象はよくないだろう。

 ルーナリアはそんな俺の疑問に答える。


「僭越ながら、私が隣に居ることで少しでも緊張が緩和されれば、と考えさせていただきました」

「なるほど……時の風化を待つよりは効果があるか」


「ですが、陛下がご心配なされるのも尤ももっともだと思います」

「少し考えてみるよ。ありがとう」


「いえ、これも両国の平和のためですから」

「……そうだな」


「陛下、よろしければその件でもう一つご提案があるのですが——」


 国を想うルーナリアからの提案は国境でのパフォーマンスについてのものだった。

 楽しい朝食会のはずがずいぶんと真面目な会談になってしまった、そう思いつつも俺は彼女の言葉に耳を貸し続けた。



 それから五日後。


 俺は黒い鎧を着て国境線の前に立っていた。

 隣には同じく国境線の手前に泊まったルーナリアの馬車があり、線の向こうでは何事かと騒ぐ王国の者たちが居る。


「開けよ」


 俺の言葉に馬車の扉が開かれ、そこに黒に近い濃い紺に銀糸で装飾されたドレスを着たルーナリアが居た。

 

 本来なら、彼女が馬車を降りる予定はなかった。

 向こうの護衛隊の指揮官に引き継ぎをして終わりのはずだった。


 だが、護衛の指揮が皇帝である俺になったことで、彼女はある趣向を考え出したのだ。

 彼女は鎧姿の俺のエスコートで馬車から降り隣に立つ。


「ありがとうございます」

「あぁ」


 俺の姿を見た迎えの兵や道行く王国の者たちは既に落ち着かない様子だったが、王女である彼女の姿を確認すると騒めきは一層大きくなった。


 失敗だったか……。

 ついそう思ってしまった俺の手をルーナリアは取り、彼女は微笑みながら俺を王国へと誘う。


「行きましょう、陛下」

「……そうだな」


 前もって彼女から聞いていた演出に従うと、次第に騒めきは小さくなり、人々は息を飲むように俺と彼女の歩みを見つめている。

 そして、ついに最後の一歩を踏みしめた時、周囲から唸るようなどよめきが起こった。


「皇帝陛下、お見送り感謝いたします」


 そんな中、ルーナリアが俺に礼をすると、再び静寂が舞い戻った。

 皆が俺の言葉を待ち、神経を尖らせているのが空気越しに伝わってくる。


 ルーナリアが整えた舞台を台無しにするわけにはいかない。

 皇帝の言葉無しには終われないのだ。


 だが、聞いている者の半分は、いつものように大人しく俺に頭を下げる者たちじゃない。

 それでも皇帝、余は皇帝。


 これでも皇帝、余は皇帝。

 俺は自分に言い聞かせて口を開く。


「うむ。しかし、王国がこれほど空気が旨いとは知らなかったな」


 聴衆からのレスポンスのほとんどは疑問符。

 けれど、それでいい。


 彼らのほとんどは普通の市民だ。

 大それたことを難しく言っても伝わらない。


「以前来た時は土ぼこりと喧騒に塗れていたが、良い景色だ」


 国境線の近くに大きな街や要塞のような建物はない。

 つまり、後ろを見ても景色に大差はない。


 相変わらず聴衆は、何言ってんだこいつ、状態だ。

 もちろん、景色の話だけではない。


 帝国からすれば参戦したのは王国側だが、王国側からすれば攻め込んできたのは帝国の方だからだ。

 王国民からすればどの口が言ってるんだ、となる。


 しかし、ルーナリアだけは俺の意図を理解して答えてくれた。


「これからは私と陛下でこの景色を守りたいものですね」

「そうだな。ぜひそうなることを願う」


 俺と彼女の短い会話を聞いて周囲から上がった声は歓声。

 ただ、その声はあまり大きくない。


 理由は簡単だ。

 声を上げた人数が少ない。


 恐らくは二割かそこらだろうか。

 隣の者が声を上げていないことに気づくと、兵士たちが声を上げていないことに気づくと、上がった声もすぐに小さくなり消えていく。


 まだまだこれからだな……。

 俺はルーナリアとそんな視線を交わし口を開く。

 

「一月後に迎えに来る」

「はい。遅れぬよう国王陛下を説得してみせます」


「分かった。道中気をつけてな」

「ありがとうございます。陛下もお気をつけて」


 俺はすぐ隣にまで来ていた馬車にルーナリアを乗せると、帝国側に戻り彼女を見送った。

 ……一ヶ月か。


 彼女と出会うまでの一月も慣れない皇帝生活で長く感じたけれど、今回の一月はそれよりずっと長くなりそうだ。

 俺はそんな予感を胸に抱きつつ、彼女の乗る馬車の後ろを名残惜しく見続けた。

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