第26話 朝のトラブル
……朝か。
外から鳥の鳴く声が聞こえる。
恐らく陽も昇ってきているのだろう。
耳を澄ませば遠くから人の動く音が微かに聞こえた。
出来ればそろそろルーナリアを迎えに来てほしいところだ。
そんな俺の願いが届いたはずがないけれど、聞き覚えのある足音を耳が拾う。
足音は馬車の側で止まり、瞬刻の後そっとノックする音が鳴った。
俺は腕の中の彼女を起こさないよう小声で告げる。
「入ってくれ」
扉越しに僅かな逡巡を感じたが、侍女のエリーシュは扉を開け、そして固まった。
まぁ、未婚の主が男の腕の中で眠っていれば驚くよな。
俺は彼女の心中を慮りながらも視線で中に入って座るよう指示した。
すると、エリーシュは軽く周囲に目をやってから馬車に乗り込み、反対側の席に着き頭を下げる。
「おはようございます。皇帝陛下」
「おはよう。エリーシュ、だったな?」
「はい、エリーシュと申します。その、王女殿下は……」
「寝ているだけだ。昨夜は少々寒くてな、二人でこうして暖を取っていた」
「あぁ……雪が薄っすらと積もってますものね」
「薄っすらか。なら、進めそうだな」
雪のせいでもう一晩馬車で過ごすことになるかも、という心配事が消えてホッとした。
体力的には脳筋皇帝なら大丈夫そうだが、さすがに二徹して皇帝らしく振舞えるかは自信がない。
「ええ、厨房の方が言っておりました。三日前にも降ったそうですが昼を待たずに溶けたそうです。今日も恐らくそうなるだろうと」
「それはいいニュースだ。ん?」
その時、腕の中から反応があった。
俺の胸に凭れていたルーナリアが身じろぎしたのだ。
「ん……んぅ……ぁ、エリー、おはよう」
「おはようございます、王女殿下」
「どうしたの、朝から他人ぎょ……ぁっ……」
「おはよう、ルーナリア」
昨夜のこと、そして自分の状況をようやく思い出したらしい彼女に、俺は後ろから声をかけた。
そこでようやく一晩中繋いだままだった彼女の手が離れ、彼女はもぞもぞと動いて半身になり、俺を見て恥ずかしそうに挨拶をする。
「おはようございます、へいか」
起きたばかりだからか、どことなく口調もまだふわふわしていて、初めて見る気の抜けた雰囲気の彼女に朝から心拍数が上がっていく。
寝起きだったら心臓発作起こしてたかもしれない……。
改めて抱きしめたくなる気持ちが湧き上がるが、一夜明けた今、もう彼女を抱きしめる理由はない。
もしもここで欲望に負ければ、少なくともエリーシュは俺への不信感を募らせるに違いない。
「殿下、お部屋に戻りましょう」
「部屋……んぅ……」
だが、ルーナリアはまるで誘うように再び俺に凭れかかり微睡んでしまう。
昨夜、ランプの油が途中で切れてくれてよかったな……。
「殿下、眠られては困ります。お目覚めくださりませ」
「ん……ぅん……」
エリーシュが俺に苦笑しつつも優しい声で呼びかけたが、ルーナリアはわずかに動いただけで起きない。
というか、俺の胸板にこめかみを押し付けているが、座りの良い位置にしただけじゃなかろうか……。
「……殿下?」
エリーシュの声がちょっと変わった気がする。
けれど、呼びかけられたルーナリアが今度は返事をしない。
それどころか、微かに寝息が聞こえる気がする。
ヤバい……なにこれ……心が爆発しそうなんだけど……。
彼女の顔が見えた状態で一晩過ごしていたら、たとえ瞼を閉じていても俺の精神が持ったか怪しい。
しかし、幸せな時間はいつまでもは続かなかった。
最初は俺に申し訳なさそうな顔をしていたエリーシュだったが、なかなか目覚めないルーナリアに表情が消えてしまっている。
そして、いよいよ業を煮やしたのか、彼女は小脇に抱えていたローブをバサッと広げてドスの効いた声で言う。
「ルーナリアっ……王女殿下、そろそろお部屋に戻りませんと」
「んっ……そう、そうね」
ルーナリアはビクリと反応すると、まだ少しうつらうつらしかけた頭を振り、最後に気を入れて返事をした。
もしかしなくても彼女は朝が弱いのかもしれない。
なぜか背筋の伸びた俺が毛布を開き上着を回収すると、エリーシュがすかさずルーナリアにローブをかけた。
それでいて翻ったローブが俺に当たることもない。
こんな狭い空間なのに恐ろしく素早い洗練された手つきだ。
驚愕する俺にルーナリアが暇を告げる。
「では陛下、失礼いたします」
「あ、あぁ……。そうだ、雪があるらしい。足元に気をつけてな」
一旦起きるとスイッチが入るようで、彼女らしい王女然とした振る舞いが見て取れた。
そう言えば彼女の父親は厳しいと言っていたか、起きてすぐ起動が完了するのは国王の影響かな。
「はい、気をつけます。そうです、もしよろしければ朝食をご一緒いたしませんか?」
「いいな。楽しみだ」
「ではまた後ほど」
「あぁ、またあとでな」
ルーナリアは先に出ていたエリーシュの手を取り馬車から出て行った。
ホッと一息つき一人になった馬車の窓を開けると、朝の陽ざしを帯びた冷たい風が頬を撫でる。
少し寒いが気持ちがいい。
眠らなかったことで働きの鈍い頭が五感を刺激され目覚めていく。
見ると、街道から町へと続く道の反対側に山が見えた。
季節外れの雪が降ったのはあの山のせいだろうか。
「……さてと、俺も身支度をしておくか」
すっかり冴えた頭で俺も馬車を後にする。
とりあえず顔を洗おうと町長の屋敷の井戸に向かうとウォルコフが居た。
「おはよう、ウォルコフ」
「おぉ、陛下。おはようございます。いい朝ですな……んんっ!?」
「……いきなりどうした?」
「へ、陛下こそどうされたのです……お身体から女人の匂いがしますぞ……」
二度見してきたウォルコフに尋ねると、彼は信じられないといった具合に言葉を口にした。
彼もまた世間と同様に、俺が前皇后に操を立てていると考えているからだろう。
「……なにもやましい事はしていない」
「い、いや、何も陛下を非難しようなどという意図はありません。陛下はまだ王女殿下とも婚約されておりませんしな」
「おい待て。ウォルコフ、お前は勘違いをしている」
「……申し訳ありません、陛下。ですが、万一の時はリオット殿にご連絡する約束となっておりますので」
「待て貴様っ、奴とどんな約束をしたというんだ!?」
「これも帝国のためにございます。どうかご容赦を!」
「逃がすか!」
「ぬぉ!?」
逃げる彼を捕まえて聞けば、どうも俺が余所で子を作った時のことを想定していたリオットから、ウォルコフはずっと前に情報提供を命じられていたらしい。
本来ならウォルコフがリオットの命を聞くはずがないけれど、帝国のためと言われれば話は別だ。
しかし、危機管理の一環だろうが、それにしては人選が悪すぎる。
ウォルコフは皇帝に嘘がつけないからな……。
きっと貞操を守ろうとしていた皇帝へのリオットなりの応援だろう。
一夜で子どもが出来るとは限らないし、ウォルコフから漏れれば考え直す機会になりそうだ。
その後、どうにかこうにか誤解は解けたものの寒中に水浴びをするハメになった。
……過ぎた幸せの代償かな。
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