第25話 見えないから出来ること
「陛下、皇帝として国を率いられるご負担は私には想像も出来ませんが、本当にご無理はなさらないでください」
ルーナリアは心配してくれるが、残念ながら俺に国を率いている自覚はない。
おそらく、その責務のほとんどは宰相のリオットが担っていることだろう。
でも、一応は皇帝だから馬鹿正直には言えない。
俺は無理じゃないんだよ、と伝えるべく口を開く。
「俺は皇帝だ。皆、声をかける前から頭を下げる」
「はい、陛下に敬意を払うのは当然のことでしょう」
「そうだな。だから、俺はこう思っているんだ。その皇帝が褒めれば彼らは喜ぶだろうと」
「なるほど……」
「そういう打算を持って俺は動いていた。気を遣っていないとは言わないけど、俺からすれば大変なことじゃないんだ」
俺の言葉を聞いたルーナリアの表情は伺えない。
見えるのは彼女の綺麗な髪と旋毛だけ。
……幻滅させただろうか。
客観的に見ると、身分を笠に着て好意を掻き立てているとも取れるよな。
ルーナリアからの返事は少し時間を置いて返ってきた。
「陛下のお考えは分かりました。では、せめて私には気を遣わないでください」
「……俺は、ルーナリアの前ではもう皇帝皇帝してないけど?」
筋肉皇帝であることは前提だが、ほとんど素の俺を曝け出している。
これ以上となると異世界うんぬんという話になるが、話せば異常者扱いは免れないだろう。
「ですね、それは分かっております。でも、そうではなく私が言いたいのは、陛下はすぐご自身より私を優先されようとなさるではありませんか」
「そりゃあ、するよ……そういう意味だと、気は遣うよ」
「どうしてですか?」
「……俺はジルベルトの父親だ。あんなことが無ければ君は俺なんかと婚姻することもなかった」
俺はため息を噛み殺して嘘を吐いた。
本当は好きだからと言いたかった。
けど、少し前に告白したばかりなのに、また伝えても彼女を困らせるだけ。
本当のジルベルト君の父親なら、嘘にならないのにな……。
中途半端な自分が嫌になる。
彼女に嘘を吐いたこともそうだけど、なにより嫌なのは、彼女にまたあの日のことを思い出させてしまったことだ。
その時、足元のランプの火が消えた。
たぶん、この町のもので入っていた燃料が少なかったのだろう。
……火も消えたし、今夜の話はもう終わりかな。
そう思ってどこか安心した俺に、暗闇のすぐそこからルーナリアの声が届く。
「私、陛下のことはそう心憎く思ってはいませんよ?」
「分かってるよ」
ルーナリアは婚約が成る前から、将来の后として皇帝である俺を支えようとしてくれている。
それは、とてもありがたいことだ。
「……では、陛下がずっと気になさっているあの時の話が出ましたので、そちらを少しお話してもよろしいですか?」
「あぁ……俺は構わないけど……」
特別したい話ではないだろうに、ルーナリアは俺の心のつっかえを見据え取り去ろうとしてくれている。
それが、すごく申し訳なくて……覆いかぶさる罪悪感に負けないよう、俺は彼女の言葉に没頭した。
「陛下は、皇太子殿下のお言葉が道理に適ってないと仰っていましたが、それでも皇太子殿下です。殿下が切り出された時点で、主張は通るものと思っておりました」
結果だけを見ると、ジルベルト君の主張は通らなかったが望みは半分叶った。
俺でなくとも、今の形に収まらなくとも、ジルベルトの望みは適っただろう。
それだけ、公式の場で放つ王侯貴族の言葉は重い。
「最後まで務めを果たすつもりではありましたけど、私の味方は大使しか居ない。そう感じておりました」
「……あいつは必死だったな。目の前で今にも死にそうだったのを覚えている」
「武神と恐れられた陛下に相対して居たのですから、無理もありません」
「そうだな。敵地で一人奮闘している心持ちだったんだろうな……」
「はい。大使はとても頑張ってくれていたと思いますが、私には足りなかった。なぜこんなことに、もうイヤだ、早く国に帰りたい。そう考えてしまう弱い自分が居ました」
「それは、驚いたな……」
確かに多少は揺らいで見えたが、しっかりと王女としての務めを果たそうとして見えた。
まさか内心そこまで追い詰められていたなんて……。
「あっ、すまない……」
「いいえ、大丈夫ですよ?」
思わず彼女を抱きしめる腕に力が入ってしまって謝罪した。
俺は上着越しにルーナリアの柔らかさを感じた腕の力を抜き、二人の距離をギリギリに保つ。
「……それでも、なんとか最後の気力を振り絞って命を盾に説得を試みました。ですが……陛下がいらっしゃらなければ恐らくは折れていたと思います」
そんな彼女に俺は何を考えていた?
皇帝として振舞いつつ自分の欲を叶えることしか考えていなかったはずだ。
「なので、陛下がいらっしゃった時は本当に救われた心地でした。どういう結末であれ、もう自分で決めなくていい、頑張らなくていい、そう思えたからです」
彼女は晴れやかな声音で落ち込む俺に語りかける。
ちょうど、俺が彼女に一目惚れした瞬間だ。
「一介の王女でしかない自分は皇帝陛下の仰る通りにすればいいんだ、と」
「そうか……」
「結果は、想像していたよりずっと良いものでした」
「俺との婚姻がか?」
「はい。両国の懸け橋になることが私の全てでしたから、形が変わっても私に王女としての責務を果たせてくださったのですから」
ルーナリアは曇りない言葉で語った。
だからこそ、俺は胸が締め付けられるようだった。
彼女が恐れていたのは戦争。
十代の少女が危惧するにはあまりに重く、国のために自らを犠牲にせざるを得なかった胸中はいかばかりだろうか。
「本当に、それでいいのか?」
「それで、とは?」
「王国だけじゃなく帝国のためでもあるが、俺には犠牲に思える。やりたいことはなかったのか?」
王女として生きてきた彼女にはおかしな、いや失礼な質問かもしれない。
だとしても、俺は聞かずにはいられなかった。
「ふふっ、おかしなことをおっしゃいますね。陛下だって、帝国のためにご自身を犠牲になさってきたではありませんか。それが、王族の正しい在り方でしょう?」
「そう、だな……」
王族として皇族として生きてこなかった俺には、彼女を否定することすら出来ない。
ルーナリアは軽やかな口調で続ける。
「でも、やりたいこと……やりたいことですか。そうですね……たぶん、あったと思います」
「そうなのか。けど、あったって……今からでも遅くないと思うぞ?」
「違います、陛下。あったっていうのは……もう叶ったってことなのです」
彼女は嬉しそうに訂正してくれた。
その言葉にどこか救われた気分になった俺は安堵の言葉を返す。
「そうか……叶ってよかったな」
「はいっ」
王族の鑑のようなルーナリアのことだ。
きっと尊い志に関するか、簡単に叶いそうな小さな願いだろう。
そんな彼女を、なんとか幸せにしたいと心の底から想った。
「なにか新しい目標が見つかったら教えてくれ、俺も応援するから」
「まぁ、ありがとうございます。必ず戻ってきますから、必ず応援してくださいね」
「あぁ、約束だ」
「指切りしてくださいます?」
「もちろん」
俺は毛布が開かぬよう左手で握り、右手の甲を彼女の太ももの上に置く。
すると、彼女は右手を添えて導き、手のひらを重ねるように小指を絡めた。
「ふふっ、子どもの頃以来です。約束ですからね」
「あぁ、約束だ」
だが、指切りを交わしても彼女は小指を解かない。
それどころか、俺が動かせずにいると、彼女は暖かい両手で俺の手を優しく包み込んだ。
「陛下の手、つめたいですね。少しこのまま暖めてください。その……万が一の時は陛下に剣を振って頂かねばなりませんから」
「……分かった」
頭の中では色々な考えがめちゃくちゃに駆け回ったのに、乾いた口から出たのは一言の承諾。
その後も俺の口から言葉は出ることがなく、ルーナリアもそれ以上は何も話そうとしなかった。
しばらくして俺の手がすっかり暖まっても彼女は手を離さず、やがて俺に身体を預けて眠ってしまった。
その幸せの重みは見た目どおり軽かったけれど、俺の心にはズシリと重くて、仮初めの皇帝でしかなかった俺に地に足をつけさせてくれた気がした。
死ぬまで君を守る。
望まれなくても幸せにしてみせる。
「約束だ」
俺は彼女の頭に小さく呟き、繋がれたままの小指に誓いを立てて瞼を閉じた。
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