第3話 ターニングポイント

「陛下」

「リオットか、どうした?」

「近頃お静かだったのはこのためでしたか。出来れば事前にお知らせ頂きたいところですが、軍はどちらに配備されていらっしゃるので?」


 ……全くピンと来ない。

 いつものように、もっと具体的な解決策を提示して欲しかった。


 しかし、こいつはなぜ俺が軍を動員させていると考えているのだろうか。

 何はともあれ、明るい茶色い目を持ち長い茶髪を後頭部で束ねている、オーソドックスな帝国人らしい配色のこいつは、皇帝の側近であり帝国のブレーンだ。

 わざわざ勘違いさせたままで居ることもない。


「いや、どこにも手配してないが」

「……では、殿下のあれはご存じなかったと?」

「あぁ、全くな。いや、そう言えば会わせたい者が居ると言っていた気がする。この後の約束だったが、まさか横に居る女のことじゃないだろうな……」


 なんで大問題を起こしてくれた血の繋がりしかないジルベルト君の新しい彼女の紹介を受けねばならんのだ。

 こちとら脳筋陛下が亡き妻を偲んで貞節を保っていたことになっていて、皇帝だというのに後宮どころか使用人にすら若い女の子が一人も居ないのに!


 そのくせ身体だけは人五倍元気だからたちが悪い。

 毎晩一人寂しく広すぎるベッドで寝て、毎朝……なんでもない。


「……どうなさるおつもりですか?」

「どうもこうもないだろう。国同士の約束を反故にしかねんものだ、到底認められん。が、皇太子の言動もまた国の威信がかかったものだ。そう簡単に引っ繰り返す訳にもいかない」


 こうなっては王国がぐうの音も出ぬ何かを皇太子が出すことを期待するしかない。

 そんなものがあればとっくに出してるとは思うのが。


「確かに、おっしゃる通りです。困りましたな」

「まったくだ」

 なんせ他に替えが居ないのだ。一人も。


 皇帝陛下は良くも悪くも後妻を娶らなかった。

 おかげで後継者争いは起きように無いが、代わりにこういった時に簡単に切り捨てる訳にもいかない。


 いざという時は国外の同盟国に嫁いでいる皇帝様の姉妹の子を養子に貰うことになるだろうけど、悪い言い方をするとこの程度のことで廃嫡する訳にはいかないのだ。

 俺にとって彼は愛息子ではないが、皇帝としてこればっかりは適当に片付けられない。


 下では未だ二人で言い争いをしているが、まずは目の前の哀れな男をどうにかする必要がある。

 なんだかこのまま放っておいたら今にも死にそうだ。

 何が彼をそこまで追いつめているのか。


「ところで、あの男は何故あそこまで怯えている?」

「ああ、私と同じ勘違いをしているのでしょう。まさか皇太子殿下の暴走とは思いもよりませんので」


「つまり、俺がこのことを知っていて——」


 先ほどリオットは軍がどこにと言っていたか。

 そして皇太子と王女の不和は条約の破棄に繋がりかねない。


「――戦争か」

「ええ、我らが和平を破り急襲するとなれば国の一大事、王女殿下はともかく彼が生きて帰れる道理はありませんからな」


「それで怯えきっているわけだな、可哀そうに。まぁ、馬鹿正直に話す訳にもいかんが」

「しかし、殿下も厄介なことをしてくださいました。一言相談して頂ければ」


 そもそもが王女を袖にして平民と、とはどこをどう考えたらそういう発想になるのか。

 皇帝が認めるとでも思っているのだろうか。


 いや、認めないと分かっているからの強硬策か。

 あれが次の皇帝になるのと帝国が分裂するの、どちらが世のためかと言えば難しいところだ。


「こちらから振り上げた拳とはいえ、やはりいきなり王国と手を切るのはマズいわな」

「王国の面子を完全に潰すことになりますし、帝国としても信用に関わります。これならまだ王女殿下に変死していただく方がマシかと」

 一言相談ってそういうことかよ……。


 目の前で震えながら返答を待つ男とは比べたら可哀そうだが、俺の背筋にも冷たい汗が流れた気がした。

 皇帝ボディなので絶対に流れないが、元の身体なら滝汗脂汗だ。


「……そこまでおっしゃるのであれば私は死を賜りたく存じます」

「うん?」

 俺の耳にも王女の強い意志を孕んだ言葉が届いた。

 どうやら向こうの様子が大きく変わったようだ。


 不穏な空気に俺の返答を待っていた大使も慌てて後ろを伺っている。

 他人事だが気の毒になるな。

 大使が明日を無事に迎えられたとしても、彼の毛根が近々全滅するのは免れなさそうだ。


「私は両国の間を取り持つべく育てられ、二年前に国を発つ時も婚礼の準備で戻る以外は国に戻らぬ覚悟で参りました。それが任された役目を果たせず帰ることになるのです。父である国王にも、臣下や王国の民にも合わせる顔がございません。どうか、一思いに死を賜りますよう」


 まさに王族、素晴らしい覚悟だ。

 どこの馬の骨とも分からん女に現を抜かし、派手にやらかしてくれたアレな皇子君と同い年とは思えない。

 その時、この場で一番気の毒な男が弾かれるように傍まで来て近衛兵に止められた。


「陛下っ、どうかっ、どうか王女殿下の命だけはお救い下さい。我が命や肉体はどうなろうと構いませぬ、どうか殿下のお命だけは、どうか!」

 おお、中々の忠誠心だな。

 どうせ死ぬなら家のために、ということかも知れないが彼も見事なものだ。

 いや、待てよ……あるんじゃないか、解決策が。


「心配するな。悪いようにはせん」

「は……?」


 呆気にとられた顔で不思議そうにこちらを見る男の脇を通り階段を下る。

 大使の行動で移った注目の中、彼らの元へ向かう俺の頭には一つの妙案が浮かんでいた。


 ピンチヒッター俺。

 そう、ジルベルト君に代わり俺が彼女と結婚すればいい。

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