第4話 落としどころ

「凡その話は聞かせてもらった」

「陛下」

「皇帝陛下」


 皇帝が降りて来たことで皆が跪く。

 もう慣れたと思ったが、こう人数が多いとまだ気分がいい。

 ……って、アホか俺は、さっさと続けよ。


「楽にせよ」

 皇帝の言葉に皆が姿勢を戻すが、俺の視線の先はただ一人。

 ルーナリア=オルブリューテ王女だ。


 おぉ、すげぇ……人間って三次元でこんなに美人になるんだな……。


 美しい金色の髪は穏やかな朝の光を天女が織ったようで、大きな瞳は首元の宝石が曇って見えるほど淡くピンクに輝き、整った顔立ちを飾り立て神秘的な美を放っている。


 ただ、キリリとした眉、目元、そして何より意志の強そうな瞳が、人によっては厳しい印象を受けるかもしれない。

 年齢の割に丸みの薄い頬や顎のラインが、人によっては酷薄な印象を受けるかもしれない。


 それでも俺は。


 一瞬で、恋に落ちた。


 こんな子を捨てるジルベルトはアホだな。

 さっきまではこの混乱を収める政略結婚ついでに、溜まりに溜まった欲望の捌け口にするつもりだった。

 所詮は皇太子の手垢がついた女だから、と。


 けど、もう無理だ。

 さらばハリボテクズな俺。

 俺、彼女と幸せになります。


「ジルベルト、お前はなんだ?」

「は……私、ですか……?」


「そうだ。お前はなんだ?」

「皇帝である陛下の息子で、未熟な身ではありますが皇太子を拝しております」


「そうか。では彼女はなんだ?」

「私の婚約者、でした」


 ちらりとルーナリア王女を見ると気丈に自然体を装おうとしていたが、ただ輝きを隠せぬ桃色の瞳だけは微かに揺らいでいる。


「つまり、本気で、この国の皇太子として、彼女との婚約を破棄したいと?」

「……はい。陛下にはこの後詳細にご報告を、と」


 ジルベルトの手が再び隣の彼女の肩に回る。

 見ると、黒髪の少女はきらきらと星が輝くようなブルーの瞳で俺を見返してきた。

 俺の目を。


 途端に、今まで抱いた事のない不快感が全身を駆け巡る。

 な、なんだこいつ……。


 別に彼女の容姿が嫌いなわけじゃない。清純派美少女、むしろ好きまである。

 もしかして、俺は皇帝らしく振舞ううちに、無礼な態度に忌避感を抱くようになったのだろうか……。

 

 俺は不可解な感覚を振り払うかのように、彼女からジルベルトに視線を戻すと、気を取り直す魔法を自分にかける。


 これでも皇帝、余は皇帝。

 よしっ!


「お前が言った通り、お前は余の息子でこの国の皇太子だ。言葉には責任が伴う。分かるか?」

「もちろんです」

「そうか……」


 確信犯め、殺してやりたい。

 ……無理なんだけど。

 最後の確認を終え、俺はジルベルトからここに居る者たちへと切り替える。


「人は、間違うものだ。そして、恋に身を焦がせば心に無いことも口走る」

「へ、陛下」


 手を上げてジルベルト君の発言を遮り続ける。

 こんな公の場で皇帝の言葉を遮ろうとするとは……よほど甘やかしていたな、脳筋皇帝め。


「子どもなら猶更そうだと言える。幸いにも今日の式典はここに居る学院の生徒が学業の修了を認められるもの。つまり、彼らはまだ学生で、子どもだ」


 ジルベルトやルーナリア王女はまだ二年目か。

 だが、ここでは大したことじゃない。


「子どもには期待したい。間違いと同時に得た経験から過ちを超える成果を上げてくれることを」


 俺は一度言葉を切り見渡す。

 ジルベルト君の弁は最後まで皆を納得させるものではなかった。


 わざわざ聞かなくても周囲の反応を見れば分かる。

 脳筋皇帝を見る臣下たちの目が、子育ての苦労を知る親の目になっていた。


「皇太子は、責任ある立場だが、それでもまだ子どもだ。明日よりこの国を支える者たちよりも遥かにな」


 ジルベルトが納得させられなかった以上、彼にも非があったと示さねばならなかった。

 彼と、帝国と、皇帝である俺のために。


「ジルベルトよ、明日からは皇太子であることを死ぬまで忘れるな。お前は皆の規範とならねばならぬ。分かるな?」

「……は、ははっ!」


 だから、皇太子と認めつつも一応は許す。

 そう知らしめた……つもりだ。


 それでも、唯一の後継者とはいえ庇った俺の評価は下がるだろうし、皇太子の評価は酷く落ちるだろうが身から出た錆だ。

 ま、いずれは若気の至りと笑い話になる……なるかなぁ……なればいいね、知らんけど。


 頼むからまだ子どもだからと来年も俺に言わせるなよ。

 俺は目でジルベルトに訴えかけ、静かに控えていた王女へ視線を移す。


「ルーナリア王女殿下」

「はい、陛下」


 ここからが本番だ。

 なのに、ちいさく礼をとってくれるだけで心が躍ってしまう。


「そういうことだ。今回のこと、王国には甘んじて受け入れて頂く他ない。どうも我が息子が大恋愛に身を焦がしたようだが、出来ればその飛び火が両国を焼き焦がすことは避けたい」

「……私も一度は両国の懸け橋になろうとした身、争うことは望んでおりません」


「それはありがたい。ところで、生きて帰れんと申されていたようだが」

「はい、お恥ずかしながら、先ほどは自身の未熟さからそう思いました。ですが、今は国王陛下に皇帝陛下の御心を伝え、出来るだけ穏便に済むよう尽力したいと思います」


「そうか、王女殿下ほどの才媛が助力して頂ければ大いに助かる。ところで、一つ私にとっておきの解決策があるのだが、聞いてもらえるだろうか?」

「解決策、ですか?」


「そうだ。聞くだけ聞いて貰えるとありがたいが」

「まぁ、もちろんですわ、陛下」


 彼女は勝手に緊張する俺の心の内など知らず、王女の仮面をきっちり被り微笑んで見せた。

 ……好き。


 ……いや、ごめん、嘘だな、流石にこれはよりが勝ったわ。

 近頃はそれなりに皇帝になりきりつつあるけど、今日の彼女のように動揺させられたら簡単に化けの皮が剥がれると思う。


 それにしても、これほどの緊張は皇帝になって初めてだ。

 賢い彼女のことだから、汚い大人の打算に乗ってくれるとは思う。

 でも、もし失敗したら……。


 これでも皇帝。余は皇帝。

 これでも皇帝。余は皇帝。


 不安に負けそうになる弱い自分に二度言い聞かせると、俺はルーナリア王女の仮面を引っ剥がすべく彼女の手を取って片膝をついた。

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