第1話 今の俺と皇帝の国

 俺の名はハルフリード=フォン=シュトレーベン一世、シュトレーベン帝国の皇帝、だそうだ。

 だそうだ、というのはつい先日まで俺は俺じゃなかったからだ。

 ゲームが好きなだけの普通の会社員だったはずなのに、気づいたら皇帝になっていた。


 周囲の者たちの話によると賊に襲われた際に頭から落馬して気を失ってしまったらしい。

 それでよく生きていたな、と思ったが、よくよく考えると俺が人格として居るのだから無事と言っていいかは微妙だ……。


 まぁ、医師の見立て通り身体が問題無いのは間違いない。

 それどころか、聞いたところ元の俺より十歳以上年上の先輩おじさんなのに身体はずっと軽い。


 理由は頭から落ちても無傷で居られた筋骨隆々の身体だろう。

 万年デスクワークのインドア派だった元の身体とは比べるまでもないが、ベッドから起き上がる際に目に入る腕や足なんてもはや丸太に柱だ。


 さて、そんな身体能力お化けのおっさんは皇帝な訳だが、元一般人の俺に皇帝が務まるのか。

 務まるんだなー、これが。


 決して時間の消費を司るパラド神のおかげ、ではない。

 いや、まだゲームの方が頭を使っていたまである。

 それくらい皇帝はお飾りだった。


 正直、そこに気づくまではビビリ倒していた。

 小心者の俺は、頭を打って以来調子が悪い、気分が悪いと言い訳を用意していたが何のことはない。

 側近の指示に従い書類に目を通して判を押す、誰それと面会する、方々に赴く、これくらいのものだ。


 むしろ、元の皇帝は途中で投げ出すことも多かったらしく、大人しく従っていたら逆に心配されたくらいだった。

 よくそれで皇帝が務まるな、と思ったが、この男の本領は頭脳にない。

 まさにこの筋肉の詰まった身体から発揮される武力こそ、この男を皇帝足らしめていたのだ。


 つい先日も視察に出た先で数人の刺客に遭遇したが、煌めいた刃に気づいた時にはもう一刀両断にしていた。

 元の俺には武術の経験はない。

 なので、身体が覚えているとしか言えないが、反射的に剣を抜いて男の身体をスローモーションのように撫でれば死体が一つ、返す刀で撫でればまた一つと出来上がるのだ。


 我が事ながら恐ろしい……。


 初めて見た無残な死体に言い様のない不快感を催したが、皇帝様は胃腸まで強靭なのだろうか、凡人の俺には馴染みある苦いものは一向に上がって来なかった。

 俺は酒を飲み過ぎただけで簡単に感じられるのに……とも呼ばれる男の身体は伊達じゃない。


 俺はあの時、敬意を持って捧げられた二つ名通りの無類の強さを、剣と胃で体感したのだ。


 そう、この帝国は武神、ハルフリード=フォン=シュトレーベン一世が腕一本剣一本で叩き上げた帝国なのである。


 まぁ、戦争するための下地は多少あったようだが、彼が周辺国を次々と平定したのは確かで、反シュトレーベン同盟が結成されてもその勢いは止まらなかった。

 最終的には最後まで戦った古い大国の王女とハルフリードの息子の婚約をもって帝国の進撃は終わった。

 各地に火種を抱いたまま。


 つまり、十五年に及んだ戦争が十年前の和平で幕を閉じても、皇帝はなおその武で不平分子に対する重しとして役目を果たしているのだ。

 国家の運営は家臣たちが対処すれば済む。

 だが皇帝が居なくなれば帝国は一気に瓦解しかねない。


 家臣が内政に皇帝の力を必要以上に求めないのも十分に分かる話である。

 そもそも皇帝にはその能力も無さそうだったが、俺にはありがたいことだった。

 俺には彼以上にそんな才覚は無い。自信を持って言える。

 システム化されたゲームとは違うのだ。


 さて、そんな脳筋皇帝ハルフリードにも家族が居る。

 と言っても息子一人だが、俺自身は写真や肖像画でしか知らない亡き妻が遺した最愛の息子、だそうだ。


 鏡に映る自分とは目の形とほとんど黒に近い茶色の瞳の色くらいしか似ていないが、確かに絵の彼女とは淡い茶色の髪から目鼻立ちまでよく似ている。

 茶色い髪は帝国に多いが、俺が濃いブラウンであるように、見ていると茶色にもいろいろあって面白い。


 ジルベルト君を見て分かるように、美しい髪を持っていたらしい奥さんは、彼が六歳の時に病で亡くなったそうだ。

 また、彼は二人目の子で、残念なことに一人目は幼くして死んでしまっていた。


 そういう背景から、ハルフリードは戦争につぐ戦争で妻の傍に居られなかったことを悔い、なるべく息子の傍には居るようにしたようで、王国との和平にもそんな皇帝の想いが強く表れていた。

 何せ後三年続けていれば王国の平定も出来ていたというのが大方の予想だからだ。


 ただ、そんな無類の強さを誇る皇帝と帝国にも弱みがある。

 金だ。

 長く戦争をし過ぎたせいで方々に多額の借金があり、中でも一番の債権者が和平を結んだ王国だ。


 というのも、帝国は和平の条件に多額の賠償金を王国に要求した。

 敗戦濃厚の戦争を終結したいのは王国としても山々だったが、いくら歴史ある豊かな王国とはいえ、賠償金は簡単に飲める金額ではなかった。

 そこで王国は帝国の要求の半分については支払い、もう半分については王女の皇子への輿入れを条件に貸し付けることを提案し、帝国はそれを飲んだ。


 これにより帝国は残る借金の半分近くを金利ゼロで借り換えることが出来て復興に専念することが可能に、王国は婚姻が締結されれば借金はともかく、少なくとも和平を反故にされる心配は無くなった。


 戦後十年、復興と発展に舵を取った帝国としてもまだ条件の不履行は望ましくなく、王国としては一刻も早い平和の保証が欲しい。

 そんな中、事件は起こった。


 帝国学院、年度末の式典にて。

 亡き妻に似て線の細い美青年が婚約破棄を口火に婚約者である王国の姫を糾弾し始めたのだ。

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