空の星座とアヒルの足

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空の星座とアヒルの足

 彼女、新城敬(しんじょう けい)が空の星座であるのなら、私、澄野杏(すみの あんず)はアヒルの足だと思う。

 昼休みの教室で私はそんな事を考えながら、読んでいた文庫本を閉じ、中庭のベンチに座る新城さんへ視線を向けた。

 小柄な身体に膝の裏まで伸びた髪を揺らし、クラスメイトに囲まれた彼女は優しく微笑んでいる。

 高校二年生にしては童顔で、切目で、眉も細い彼女は精巧に作られた日本人形の様な風貌だが、特に浮世離れした様子はない。

 多分、地に足のついた落ち着きと奥ゆかしさがあるからだと私は考えている。

 私は窓を開けて、彼女とクラスメイト達の声に耳を傾けた。

 彼女達は新城さんの白磁の様な肌について話している様だ。

 新城さんは口を開く。


「んー、でも使ってるのは市販されてる化粧水だけよ?」


 クラスメイトの一人が首を傾げる。


「そうなんだ。でも、ちょっと高かったり?」


 新城さんは頬を掻きながら苦笑する。


「まあ、ね。いいじゃない、少しのこだわりくらい」

「ううん、いいと思うよ。ちなみにブランドは?」


 新城さんはスマホを取り出し、操作してその画面を見せる。

 何処かの通販サイトの様だ。


「わ、わあ、知る人ぞ知るってやつだね。いいなあ、私も使ってみたい」


 新城さんは、くすりと笑った。


「おススメはするけど、買うなら数週間待ちみたいだから急いだ方がいいわ。それに」

「それに?」


 今度は意地悪く笑う。


「いい商品を扱っていても、売れなくて撤退するブランドはごまんとあるから、ご利用は計画的にね」

「あう」


 クラスメイト達は項垂れ、やがて顔を上げて笑い合う。

 その輪の中心に、何時も新城さんはいる。

 暖かな日差しの中、太陽を見上げて目を細めるのがとてもよく似合う雰囲気を持って。


「それに引き替え、私は……ダメ……」


 そう呟き、窓に映った自分の顔を見る。

 そこにあるのは、平凡そのものの顔。

 特筆すべきものは何もなく、平均の域を出るものは何一つない。

 唯一の個性と言えば、ハーフフレームの眼鏡をかけている事くらいだ。

 両親を恨むつもりは無いが、傍から見ればどうでもいい事で悩むのがコンプレックスというものだろう。

 何かこう、人懐っこさを滲ませるかの様に目尻が垂れているとかあればよかったのだが……。

 だから、皆の中心にいる彼女は空の星座で、独りぼっちで日陰にいる私はアヒルの足なのだ。

 比喩の元ネタは……内緒だ。

 どうせ誰にも分からないし、話した所で分かってもらえないだろう。

 と言うか、ドン引きされるに違いない。

 そんな事を考えながら、私は文庫本を再び開き、活字の海に潜る。

 それでも、たった一人でいいから、誰かに私を理解して欲しいと願いながら。








 その日の放課後、私は意を決して、新城さんのいるグループのクラスメイトに声を掛けた。


「あ、あの、ええ、と、その……」


 言い淀む私に彼女達は、「?」と首を傾げる。

 新城さんは、何かを窺うかの様な眼差しで私を見ている。

 睨んでいる様な気もする。

 私は右手に持った文庫本を握り締めて、顔を上げた。

 帰るのなら、私も一緒に、いい……?

 ずっと脳内でリピート再生させていた言葉が喉まで出て来て結局、引っ込む。

 それを察したクラスメイトの一人が私に、ほにゃっと笑いかけた。


「えっと、澄野さん、だよね? 私達今から帰るんだけど、よかったら一緒に」


 そこで新城さんが珍しく険のある口調で発言を遮る。


「ダメよ。言いたい事があるのなら、自分の口で言わせなさい。最初の一歩は自分で踏み出さなければ意味がないの」


 しん、と沈黙が落ち、私は落ち込んだ。

 彼女の言う通りだ。

 一緒にいたいのなら、自分の意志を示すなら、自分で手を伸ばさなければならない。

 私は、今まで何度もクラスメイト達と一緒にいようとして、失敗して、本の世界へ逃げ込んでいた自分を思い出す。

 引っ込み思案な自分が嫌で、何度こんな結末を繰り返しただろうか。

 何度、今の様に手を引こうとしてくれた人もいたのに、怖くなって逃げ出しただろうか。

 私は、俯いて頭を下げ、背を向けて走り出した。

 ごめんなさい。

 何に対して謝っているのかも分からないけれど、何度も繰り返した言葉を頭の中で反芻させながら。








 私は肩を落として、図書室の椅子に座って机に突っ伏していた。

 理解されたいなら、まず相手を理解しなければならないのに、どうしてこうも本番に弱いのか、と自己嫌悪を抱く。

 私は、きっと、ただ、彼女達の傍に少しでもいたいだけなのだと思うのに。


「はぁ……。やっぱり、新城さんは空の星座で、私はアヒルの足なんだ……」


 思わず息を漏らすと、考えもしなかった声が耳へ届いた。


「随分と重い溜息ね。気持ちは分かるけど、卑屈になって良い事なんて一つもないわよ」


 私は驚いて顔を上げると、新城さんがそこにいた。

 私を見下ろす様に、どこか尊大に。

 どうしてここに。

 さっきクラスメイト達と一緒に帰ったのではなかったのか。


「レ・ミゼラブルでしょ。その喩え」

「え」


 思いもしなかった指摘に、私は言葉を詰まらせる。

 新城さんは私の向かい側の椅子に座りながら続ける。


「邦題は、『ああ、無情』だっけ。私は途中で挫折したけど。歴史の教科書に載っているから、って程度の動機で読む本じゃなかった」

「え、ええと?」


 やはり、私はわたわたと動揺する。


「でもその言葉は覚えてる。特別な場面でもない所に出て来る喩えだけど、どうしてだか記憶に残った。……澄野さんも同じだったんでしょ?」

「あ、えと、うん、きっと、そう?」

「私に聞かないで」

「そ、そうだね。ごめん……」


 私の謝罪が気に食わなかったらしく、新城さんは、むっと頬を膨らませた。

 手を左右に振りながら、私は状況を確認する。

 ここは夕暮れの図書室で、図書委員はいない。

 いるのは私と新城さんだけ。

 しかも彼女は何故か怒っていて、理由の分からない私は慌てて問う。


「あの、どうして、私がその喩えを使ってる事を知ってるの……?」


 新城さんは腕を組んで答えた。


「貴女、時々独りで呟いてるわよ。クラスでも結構知ってる人いると思うけど」

「あぅ……」


 私は頭を抱えてしまう。

 それ、完全にヤバいやつだ。

 今後気を付けないと……。

 私は頭を切り替えて彼女にもう一度、問う。


「あの、それで、私に何か……?」

「……」


 彼女にしては珍しく黙り込む。

 何か、言葉を探している逡巡にも見えたが、やがて口を開いた。


「澄野さん、貴女、今日みたいにクラスメイトに話しかけようとして失敗したの、何回目か知ってる?」

「え、う、ううん。知らない……」


 新城さんは呆れた様子でため息を吐いた。


「私の知る限りで、二十六回。多分、もっと多いんだと思うけど」

「う、ううん?」


 予想をしていなかった展開に私は目を白黒させる。


「そして失敗している自分を卑下しているんでしょう?」

「……それは、当たり前だと思う。良い所、一つもない……」


 新城さんは首を左右に振った。


「そんな事はないわ。少なくとも私にとって、貴女という存在は空の星座で、私はアヒルの足だったから」

「え……?」


 目をぱちくりさせた私に、新城さんは眉根を寄せながら神妙な口調で告げる。


「貴女から私がどう見えていたのかは何となく察せられるけど、私はね、自分に余裕と自信がないと皆の傍に居られない脆い人間なの」

「……どうして? その二つがないと人間関係は上手くいかないと思う……」

「いいえ、人は……というか私は自分が惨めな状況にいたり、未来の展望を描けなくなっていたら、情けなくて、友達の傍から離れて行くと思う。独りになる事でしか自分を守れないの。でも、貴女は違う」

「違う……?」


 彼女は視線を胸元に落として、続けた。


「貴女は自分に自信が無くたって、余裕なんてなくたって、迷いながら、苦しみながら、手を伸ばそうとしていた。失敗しても、落ち込んでも、何度でも」

「そんな、の、大した事じゃない……」

「それでも私にはその姿勢が眩しいものに見えた。その歩みを笑うほど、恥知らずな事はないと思った。私は、私の在り方を浅ましいものの様に感じた。私はアヒルの足なんだと」

「それこそ、つまらない卑下……」


 そこまで言って彼女は、ふふっと笑った。


「立場が逆転したわね。さっき、卑屈になっても意味はないと言ったのは私なのに、今度は貴女が私につまらない卑下は止せと言う」

「……」


 実際、その通りだったので私は黙り込む。

 けど、不思議な気分ではあった。

 果たして、つまらない見下しをしているのはどちらだったのかと思ったのだ。

 新城さんは目を細めて、愉しそうに笑う。


「分かって頂けた様で何より。どっちが空の星座で、アヒルの足なのかなんて、視点を変えれば分からなくなるって事。……で、結局、私が何をしたかったのかと言うと……」


 そこまで言って、彼女は目を泳がせながら、口ごもった。


「あー、えーと、つまり、私は貴女を空の星座だと思ってた訳で……。貴女も一緒だった訳で。えーと」


 言葉を選んでいる様で、全く選んでいない台詞に私の頭はぐらぐらした。

 だが、それでも分かる事があった。

 だから私は背を正して、真っすぐ彼女の目を見る。

 それに新城さんは気付いて、曖昧な笑みを消し、息を吸った。

 一瞬の戸惑い。そして、わずかな勇気が私の背を押す。


「新城敬さん。私と友達に、なって、下さい」

「澄野杏さん。私と友達になってくれない?」


 異口同音とまでは言えなくとも、同じ意味を持つ言葉がぶつかって、私達は思わず前へつんのめる。

 だがそれも一瞬の事。

 私達は互いの顔を見ながら頬を染めて微笑み合う。

 そして机越しに握手し、それをオレンジ色の夕日が照らす。

 そうして私に最初にして、最後まで寄り添い合う友達が出来た。

 果たしてどちらが空の星座で、アヒルの足なのかは分からないが、その結論はずっと未来で出す事にして、私達はおススメの化粧水ついて話し始めたのだった。

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