第138話 心の中の森

 マガツボシの一件以来、セレナはあまり食事を摂らなくなったという。家に引きこもり、姿を見せなくなっていた。

 放っておくことができず、アレンは何度か彼女の家を訪問したものの、まだその顔を見ることはできずにいた。

 何かしてやれることがあればいいのだが──。


 アレンはセレナの家のドアをノックした。

「セレナ。ちょっと出かけない? 少しだけでいいんだ」

「アレン。すまない、そんな気分では……」

 少しだけドアが開いたので、アレンはセレナの白い手を掴んだ。

「お願い。一緒に来てほしいんだ」

「……わかった」

 アレンに手を引かれるままに、セレナはにたどり着く。



 虚ろな目は、色を取り戻す。


「……ここは……」

「このドワーフの里には住処を追われたり、失ったりしたモンスターが集まってくるんだ。豊かなマナに惹かれて。中にはもともと森に住んでいたモンスターたちもいて……やっぱり森が恋しくなるみたいなんだ。少しでもそんなひとたちの癒しになればと思って、植物園をつくってたんだ。豊かな森にはほど遠いけど……」

 アレンの提案により、ドワーフの里の東につくられた植物園……というよりも、そこはもはや小さな森だった。植えられた樹はまだ幼いものの、マナは根付き、動物や虫が自然と集まってきて生態系を成していた。

 アレンはセレナを、木でできたテーブルに座らせた。

 森妖精が、ハーブティーを持ってきて、カップに注ぎ入れる。


「ごめん。何かしてあげたいのに、力になってあげられなくて。つらい気持ちをわかってあげられなくて……。でも、僕は……セレナに生きていてほしいんだ。僕を、僕たちを……頼ってほしいんだ。セレナが笑って生きていけるように……何かできるか、考えていくから……その……ごめん」

 アレンは気の利いたこと一つ言えない自分を心の中で責めた。セレナを励まそうとして、これでは逆効果だ。


 セレナの目から、涙が零れ落ちた。


 アレンは余計に焦ってしまい、もごもごと何かを言うことしかできない。

「ごめん、セレナ。こ、こんなのじゃ、気が晴れないよね……」

「……違う。違うの、アレン。あなたの、あなたの気持ちが……うれしくて。こんなわたしのために……ありがとう」


 セレナは感じた。

 この森に、確かな息遣いを。

 そしてアレンの心の中の豊かな森を。

 帰りたい場所は、そう、ここにあった。


 アレンは色々と悩んだ末、おそるおそるセレナを抱きしめた。

「僕が……僕たちがついているから。共に、生きよう」

 アレンは彼女が泣き止むまで、その背中を優しくなで続けるのであった。



「そう。あのセレナがそんなに弱ってるの」

 【魔弾の射手】【幻惑の真姫】【魔術王姫】……数多くのふたつ名を持ち、恐れられるハイエルフ、セレナ。以前なら彼女が弱っている姿は想像もできなかったアイリスだった。しかし今は、マガツボシを打ち滅ぼした後の弱々しいセレナの姿が脳裏によみがえり、気の毒に感じていた。

「何か元気づけられればいいんだけど……」

「そうね……」


 突然。

 アレンの視界が揺れた。

 セレナがアレンに抱きついたのだ。


「せ、セレナ……?」

「アレン! でぇとしよう! 一緒に行きたいところが、たくさんあるんだ!」

 セレナはアレンの腕に自分の腕を絡めて、ぐいぐいと引っ張る。やわらかいふくらみが押しつけられて、アレンは硬直する。

「……聞いていた話と違って、ずいぶん元気そうだけど……?」

 冷たい目をするアイリスを見て、セレナは勝ち誇ったような笑顔を向けた。

「アレンはわたしに、共に生きようって言ってくれたの。これはぷろぽーずというものに違いない」

「……アレンさん?」

「いや、それは」

「照れなくていいの。あなたはわたしに生きる意味を与えてくれた。だから、わたしはあなたのために生きる。もう、離れない」

「いや、離れなさいよ」

「離れない」

 なんて力。アイリスはぐいぐいと押しのけようとするものの、セレナはアレンから離れない。アレンの腕は引きちぎれそうだった。


「はーなーれーてー! この、このっ!」

 ばしーん!

 エクレールがものすごい速さで飛んできて、何か棒のようなものでセレナのおしりをひっぱたいた。驚いたセレナが、きゃっ、と飛びあがる。

「痛い! エクレール、それは何!?」

「せっかん棒……じゃなくて、魔法のステッキ! 主にジャンをしばくためにつくってもらった、ものすごく痛い武器よ! 魔法防御もかんつーするんだからね!」

 ジャン。一体何をしたんだ。

「ほんと、油断も隙もありゃしないんだから! セレナちゃん、すっっごく元気なかったから大目にみてたけど、もーゆるさない!」

 エクレールが大きさ自在の魔法のステッキをびゅんびゅんと振り回す。


「アレン。おしりが腫れちゃった。なでて癒してくれない?」

 セレナがぐいっと形のよいおしりを向けるので、アレンは再び硬直する。

「叩く! さらに叩く! 絶対に叩く! うつべし、うつべし!」

 エクレールが雷の速度でびゅんびゅんとステッキを振り回す。


「あはは! アレン、逃げよう! はやく!」

「え、ちょ」

 セレナがアレンの手を引いて走った。アレンの身体は宙に浮いている。


「……ちゃんと笑えるのね、あのエルフ。って呆けてる場合じゃない」


 アイリスも二人の後を追って、走り出した。

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