第135話 鎮魂歌

 ──。



 『それ』に最初に気づいたのはルシードだった。彼は動きを止めた。

 黒いスライムもまた、動きを止めている。


「……これは、歌?」

 どこから聞こえてくるのだろう。微かに聞こえていたその歌声は、次第に大きくなっていく。

 なんて美しい歌声なのだろう。ルシードは思った。心が癒されていくような、とても優しい響きがあった。



 風に抱かれて安らぎなさい。大地の揺りかごに揺られて眠りなさい。

 ひかりはあなたを包み込み、御空へといざなうでしょう。

 わたしはあなたを許す者。憎しみも苦しみもすべて受け入れましょう。

 だからお眠りなさい。心を安らかに、母の胸に抱かれて、ゆっくりとおやすみなさい。


『オォオォオォオ……』

『ウオオォオォォ……ン』


「……泣いて、いるのか」

 黒いスライムたちが、声をあげて泣いている。

 ルシードもまた、目から涙を溢れさせていた。



「これは……鎮魂歌レクイエムでござるな」

 アオイは、星の眠る地に向かって歌うソフィの背を見ていた。

 ソフィの身体は光り輝き、歌は風に乗って星の眠る地を優しく撫でていく。

 

 鎮魂の女神ソフィ。

 悪しき魂を浄化し、安らぎを与える慈愛の女神。

 人間に転生し、女神としての力は失われたものの、ほんの一部は【スキル】として、彼女の成長と共に発現していた。


 星の眠る地に渦巻いていた怨念が、鎮まっていく。

 

 歌はさらに大きく、美しく、優しく。

 大地を包み込んでいった。



「……なにが起きてるのかわからねぇが、今が好機! 喰らいやがれ、マガツボシ!」

 ジャンが跳躍する。そして槍を、マガツボシの邪眼へと突き刺した。



『アア……アアアアアアアア!!』



 マガツボシが、じゅうじゅうという音を立てて溶けていく。

 どろどろの黒い液体の中、人の容をした何かが起き上がる。


『あぁぁ──憎い。憎い、憎い憎い。憎い。すべてが憎い』

 紅い目が爛々と光っている。それはふらふらと歩き出す。


「……もう、よいのだ。あなたの家族を殺した我が一族は報いを受けた。もう、誰も生き残っていない。それでも足りないなら、わたしを連れていけ」

『アアァ……アアア……。セレナ、セレナ。どうして、どうして助けてくれなかった。どうして』

 セレナは黒い人型を抱きしめる。

「わたしは、わたしたちは愚かだった。あなたの苦しみを知ろうとしなかった。ごめんなさい。ごめんなさい」

 

 歌が二人を包み込む。

 黒いどろどろとしたものが消えて、エルフの姿が現れる。


『……もう、憎むのに疲れてしまった。憎んでも、殺しても、破壊しても、ずっと終わらないんだ。楽にならないんだ。もうたくさんだ。お願いだ、もう、終わらせてくれ、セレナ』

「……わかった。あなたの苦しみは、これからはわたしが背負う」

 セレナは銀のナイフを、そのエルフの胸に突き刺した。

 エルフの身体が消えていく。


『……なつかしい、歌が聞こえる。森が見える。ああ、父さん、母さん……これでやっと……』

 光の粒子が宙を舞い、そして静かに消えていった。



 セレナはその場に座り込む。

「セレナ……大丈夫?」

 アレンが駆けつけると、セレナは彼をぎゅっと抱きしめた。震えていた。

「あの子はな……わたしの従者だったんだ。初めてできた友達だった。それなのに、わたしは彼女を、彼女の家族を見殺しにした。わたしはずっと、目の前で起きている出来事から逃げ続けてきた」

 そうやって、一族も見捨てた。レッドドラゴンを憎みながらも、本当に憎んでいるのは何もせずに逃げている自分だった。

「……ほんとうは、あの子と一緒にいきたかった。でもわたしはきっと許されないから……つらくても、生き続けなきゃ……。でも……帰りたい……あの森へ……わたしも」


 泣いているセレナを、アレンはただ、強く抱きしめることしかできなかった──。

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