怪人深紅、現る(後編)
アダマンタイトの指輪が保管されている部屋。
指輪は宝石箱の中に入っている。ただの宝石箱ではない。結界が張られ、重力魔法によりその場に【固定】されていた。
その宝石箱が──
「消えた……だト!?」
皆の目の前で、その現象は起きた。誰も宝石箱から目を離していない。それなのに。
「くそッ! 探せ、怪人深紅を、見つけ出セ!」
ユーリは屋敷全体にマナを張り巡らせる。しかし、マナの乱れは感じられない。これは一体どういうことなのか。
その時、屋敷が揺れた。響き渡る爆発音。
「なにごとアルか!?」
「ふふ~んにゃ! 怪盗マオ、ただいま参上! ……ってありっ?」
猫の獣人の少女が、部屋の中央に降り立った。
「こいつ……怪人深紅の便乗泥棒カ。こんな時に騒ぎを起こしやがっテ」
「え? え? おかしいにゃ~。なんでいつもより警備が厳重にゃ~」
「あ。こいつ、前にしょっぴいたやつアルね。小物専門のしょぼい泥棒ね」
「深紅が大物盗んでいる隙に他の宝を持っていこうとしてたのカ? こんなに警備が厳重なのにどうして飛び込んできたのかわからないガ、とりあえずしょっぴケ」
「にゃ? にゃー」
怪盗マオと名乗った残念な泥棒少女は、衛兵二人に脇を抱えられて、連れていかれ──
「ちょっと待ってください」
ユーリが止めた。
「……あなたたち二人、先ほどはこの屋敷にいませんでしたよね? どこから来たんですか?」
「え? 何を……我々は最初からこの屋敷にいましたよ」
「……いえ、確かにいなかった。この屋敷に誰がどこに配備されたのか、何人いるのか、名前と顔、すべて把握しております。あなたたちは、誰ですか」
「……へえ。ちょっとなめ過ぎたかな」
マオの首がぐるんと180度回転し、後ろを向いた。
両脇にいた衛兵の、不自然に肘と膝を折り、カタカタと動いた。
「精巧な【人形】……ですか。先ほどの爆発音で我々の注意を逸らした隙に、その人形が宝石箱を回収したというわけですね」
「ご明察」
マオがひらりと手を動かすと、そこに宝石箱が現れた。
「この透明な布は、光の屈折率を変えて、そこにあるものを見えなくするアイテムさ。しかも【アンチマジック】の効力もある優れもの。これを天井裏から宝石箱の上に落としたのさ」
よく見ると、天井に小さな穴が開いている。しかし、ずっと不審なマナは感じられなかった。この人形を操っているにしてもマナを介しているはずなので、少なからず感じられるはずなのだが……。
それはさておき。
実のところ、先ほどユーリが言ったことはただのハッタリだった。
今、屋敷にいるすべての者の名前と顔など把握していない。ただなんとなく、見かけなかった気がするのでカマをかけただけだった。
「そうカ。キサマ、【人形遣い】だナ!」
「その通り」
人形遣い。闇ギルドの一員ならば、誰もが知った名だった。
彼、あるいは彼女が創り出し、操る人形は人間と変わりがないくらいに精巧に作られている。人形使いはスキル【傀儡の糸】で、遠隔からも複数の人形を操ることができるという。
彼、あるいは彼女と表現したのは、この人形遣い本人を見たものはまだ誰もいないからである。
人形遣いはより精巧な人形をつくるために、人間をさらっては解体を繰り返していいるという噂もあった。これにはさすがの闇ギルドも問題視し、人形遣いに懸賞金をかけることとなる。
賞金稼ぎに命を狙われた人形遣いは活動を停止。その姿をくらましていた。
それが、怪人深紅として再び現れた……。
「人形ではこの状況を打破できそうにないな。今回はあきらめるとしよう」
人形たちがガクリと床に転がった。
「……やけにあっさりと退いたナ。近くに本人がいるやもしれなイ。探すゾ。裏をかいてまた現れるかもしれないかラ、警備はおこたるナ」
そうして人形遣いの捜索は始まったものの、その姿を捉えることはついにできなかった。
「ま、犯人が人形遣いってわかりゃ、もう遅れはとらねーだろうよ。宝も無事で何より。今回はお手柄だったな、ユーリ」
ジャンが笑う。
──。
「それで、あなたの本当の狙いはなんだったんですか、怪人深紅」
ジャンの顔をしたそいつは笑う。
「へぇ、よく見破ったな。なんでわかった」
「勘ですね」
「は」
「いえ。ジャンさんはわたしの名前をちゃんと憶えているかどうか怪しかったもので違和感を」
ユーリもまた、つい最近までジャンとほとんど面識もなく、なんとなくで覚えていたくらいだ。人の名前を覚えることに無頓着。彼はそういったタイプの人間であると思っただけだった。
ジャンの顔をしたそいつは、くくっと喉を鳴らした。
「確かにな。そうそう、あいつは人の名前を覚えるのが苦手なんだよな。ちなみにぼくを捕まえても無駄だよ。人形だから」
「でしょうね……。それはそうと、あなたがわたしを呼んだ理由がわからないのですが」
「きみはすごい魔法使いだからね。ちょっと遊んでみたくなったのさ」
ユーリ。勝手につけられたその二つ名は
同時刻に別の場所で同時にユーリの姿が目撃されたことがある。彼女は秘術ともいわれる【ドッペルゲンガー】の魔法、すなわち分身魔法を自力で会得し、同時に複数箇所で読書をすることに成功。分身が得た知識(情報)は本体へと転送されるため、時間効率は向上。まさかドッペルゲンガーをそんなことのために使う魔法使いがいるとは。深紅は衝撃を受けて、ユーリに注目していたのであった。
「すごい魔法使い……そう評されるのは初めてのことですね」
特に表情も変えずにユーリは言った。
「ふふ。しかしこんな簡単にハッタリにひっかかってしまうなんて、ぼくも詰めが甘かった。いや、これまでの連中がかなり杜撰だっただけか。ま、慣れないことはするもんじゃないね。そうだな、きみだけにはぼくが本当に狙ってたものを教えてあげるよ」
そういって、人形はボロボロの紙切れを差し出した。子供が描いた、色褪せた絵。
「こんなものをまだ持っているなんて思わなかったけど……まぁ、所詮はあの指輪の方が大事なんだろうね。あれもまた、彼女にとっての思い出の品。想いの差かな」
「……あなたは……フレーシアさんの?」
「それは想像にお任せするよ。そういうの、きみ、好きだろう? そうだ、もし次に会う機会があったら、この絵を失った彼女がどんな反応をしていたか教えておくれよ。気づかない可能性もあるかな。それともここで取り返すかい?」
「いえ。やめておきましょう」
「そうか。ありがとう」
お礼を言われるのも変なことだけれど。
ユーリは去り行く人形の背中を見つめた。
“人形遣い”、あるいは怪人深紅。その存在は謎のままにしておいた方が、きっと面白い。いつかこのことも小説で書ければいいなとユーリは思った。
そして、夜が明けた。
ちなみに。
ホンモノのジャンは、家で寝てました。
「んがっ?」
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