第117話 オロチ

 それはとても綺麗な土下座だったという。


「……すまぬ、アレン殿。気が動転して、とんだ無礼を。あれしきのことで心が乱されるとは、拙者、修行が足らなかったでござる。かくなる上は切腹を」

「や、やめてください! 気にしてませんから」

「アレンさまの裸、気になる」

「わたし見たことあるー」

 女性陣がじろりとシータを見た。これは迂闊なことを言わない方がいいとシータは口を閉じた。


「ウチのアオイが失礼をしたみたいで……ごめんなさいね。お食事、用意していますから。好きなだけ食べてくださいね」

 アオイの母が、ぺかーとまばゆい笑顔を放つ。


 その時。


 ぐらぐらと地面が揺れた。地震だ。

 ただの地震とは思えないような嫌な揺れを、アレンたちは感じた。

「──オロチが目覚めようとしているでござるな。あまり時間がなさそうでござるな。皆、汗を流してさっぱりしたばかりで申し訳ないでござるが、もうひと働きしてもらうでござるよ」

「えー……まぁ、仕方ないわね」

「父上のところに行ってくるでござる。封印の準備をしなければ……」



 アオイたちは目覚めようとしているオロチを鎮めるため、封印の地へと向かう。



 この場所で今、恐ろしいことが起きようとしていた。



 ──これが、オロチか。


 ユガワラより東の地。

 深く掘られた地の空洞に、それは蠢いていた。


 なんという巨大な蛇だろう。アレンがいつか見たあのヒュドラの比ではない。レッドドラゴン【ルビー】並みの巨体だ。燃える鱗をもつ体表。これは火山そのものだった。


 そして、そこには鬼族がいた。彼らは何か、黒い液体のようなものを撒いている。

「貴様らあぁぁっ!」

 アオイが刀を抜いた。その時だった。


 オロチの目が、カッと見開かれた。


「アオイさん、危ない!」

 アレンが雷の速度で、アオイを突き飛ばした。

「……う……あ」

 黒紫の煙が、アレンにまとわりつく。

「アレン殿!」


 アレンが苦しそうに、倒れた。


 そう。

 

 これが、恐ろしいことの始まりとなった。


「其は我が道を阻む愚者なり。その一片たりとも残さずに深淵に飲み込まれるべし」

「風は謳う。風は運ぶ。風は慈しむ。風は荒れる。大いなる生命の流れを導くべし」

「我は刃。虚構を斬り裂き、真実のみを明らかにするものなり」

「咲け咲け咲き誇れ。我が血を得て、死の花を咲かせよ」

 セレナの口から同時に四つの唱が放たれる。

 それは、極大魔法の四重奏。一国が消滅しかねない威力の、真なる魔法。

 これは実はレッドドラゴンの戦いの時にも放っていたものであった。これで力を使い果たしたセレナが、その後にアレンに救われて、すべてが始まったのだった。


「ねーちゃん、おれっち、ねーちゃんが怖いんだけど。なんなのこの凶悪なマナは」

「いいから力を……貸しなさい……白雪」

 絶対零度。地獄の氷結魔法──コキュートス。それは特級冒険者に位置する魔法使いの中でも一握りしか使えない魔法である。

 白雪は氷の塔での出来事を思い出す。あと一押し、彼女を怒らせていたら……間違いなく消滅させられていただろう。

 とにかく、アイリスはその恐るべき魔法を『連打』した。


 二人の連撃が、今まさに岩壁から抜け出そうと動いていたオロチを押し戻し、その身体に傷をつけた。

 巻き込まれた鬼族たちが遠くの空へと弾き飛ばされていく。


「オラの未来のダンナさまを! ゆるさないだ!」

「聞き捨てならないわね……とにかく、いくわよ、バーバラ!」

 バーバラの角がまばゆく光る。ほとばしる魔力を、カミラが増幅させて、放つ。

 光は巨大な人型……それはバーバラの姿に似たモノとなり、拳をオロチに何度も何度も何度も何度も何度も振り下ろした。


「ルーシー! パパは、パパは大丈夫なの!?」

「……これは、呪毒。ただの毒じゃありませんわ。徐々に命を蝕む、強力な、呪いです」

「そんな……どうすれば……」

「わたくしの魔法では、進行を遅らせることしか……」


 そこにアオイの父親が駆けつける。

「オロチの呪毒を受けてしまったか。解呪方法はある。しかし、まずはこの場をどうにかせねば」

 オロチが完全に目覚めたら、ジパングが滅びる。

 鬼族たちは何もかもがなくなったこの地で、新たに鬼族の国を造るつもりなのだろう。

 そうはさせない。しかし、どうすれば。アオイの父親は焦った。焦ったものの、目の前で起きていることを見て、愕然とした。手から刀が落ちる。


 オロチが、オロチが──


 その動きを、停止したのだ。


「……な、なんと。【災厄】が……退いた……だと?」


 ありえない。

 いくら彼らが冒険者として優れた能力を持っているとはいえ、【災厄】を退けるなんて。歴史を覆すような出来事が目の前で起きたことに、アオイの父親、そして同行したサムライと巫女は震えていた。


「動きが止まっただけで死なないわね」

 アイリスが忌々しげにハンマーを、動かなくなったオロチにたたきつける。

「……ふむ。魂は別のところにあるようだ」

 セレナも残った魔力を固めてぶつける。

「殺せるとしても殺さない方がいいわ、これ。地に根付いてる、この大陸の要みたいなものだから、下手すると大陸が沈むことになりかねないわ」

 カミラが言う。


「……すぐに地上に戻るとしよう。アレン殿には時間がない。おい、お前たち、鬼族を捕らえておけ」

 残った鬼族たちは恐怖に震え、無抵抗のまま捕縛された。

 アオイの父親はサムライと巫女たちに、この場の封印強化を指示した後で、アレンを背負い、皆と共に地上へと急ぐのであった。

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