第116話 いい湯だったのに

 アレンはひとり、のんびりと湯に浸かる。

 その頭の上にはエクレールがちょこんと乗っている。

 戦い終えたアレンたちを労うため、温泉のひとつが貸し切りとされた。

 男湯はアレンだけが広々と使い、疲れを癒していた。

(もちろんシータは男湯に入らないように、部屋で布団で簀巻きにされている)


 ──いや。誰か、いる。

 黒い髪。アオイの父親だろうか。

 大きな胸筋。いや、違う。筋肉はあんなにやわらかそうに揺れないはず。あれは──。


「いたっ!」

 エクレールの目つぶしを受け、アレンは一時的に視界を失った!


「む? アレン殿ではないか。どうした、目を傷めたでござるか?」

「え? ええと、その声はまさか……アオイさん!? どうして!?」

「しまった。もともとこの時間はこちらは男湯であったでござるか。まぁ、気にするな気にするな!」

「いや、気にしますよ……」

 エクレールがう~と唸っている声がする。

「チビ助、大丈夫でござる。とって食ったりはしないでござるよ。それにこのような傷だらけの身体、見てもつまらぬであろう」

「わぁ……すごい傷跡」

 エクレールがアオイの身体をまじまじと見ているので、その間にアレンの視力は少し回復した。

 ぼんやりと見えるアオイの身体には、いくつもの大きな傷跡が走っていた。斬り傷や刺し傷、ヤケドの跡、そこの部分の肉が抉れて回復した後か、肉が盛り上がっている部分もある。

「あ! 見ちゃダメだって!」

「あう」

 再びの目つぶし。アレンは泣いた。


「このような醜い身体なのでな、嫁の貰い手もつかんでござるよ! はっはっは! ここではな、拙者の母上のような可憐なおなごが人気なのでござるよ」

「いや、あの、その……アオイさんはとても、キレイだと思います」


 沈黙。

 アレンはまずいこと言ったかな、と思った。

 

 そう。とてもまずいことを彼は言った。彼が思っていることとは別だが。

 彼はいたたまれなくなって、そんなことを口走ってしまっただけなのである。もっとも、うっすらみえたアオイの肌は、傷があるものの、きめ細やかでなめらかだったように思った。その感想に偽りはない。


 しばらくの沈黙のあと。

 アオイの顔が真っ赤になるのをエクレールは見ていた。

「は、あ? えぇぇ!?」

 アオイがばちゃんと湯の中に消えた。

「な、なに今の音……アオイさん!? 転んだんですか?」

「こ、このたわけ! きれいなわけなかろう! まったくびっくりさせおってからに」

「ええ……? アオイさんは、キレイですよ」

 お世辞ではない。本心だ。


 この展開はまずい。エクレールは頭を抱える。どうしてこのひとはこう、弱点をついてしまうのだろう。会心の一撃だ。なぜならアオイは、男性に女性として見られたことなど一度もなく、色恋沙汰など自分には関係ないモノと斬り捨てていたからだ。

 その斬り捨てたモノが、ぴたっとくっついて目の前に現れた。


「ざ、ざざざざ戯言をもうすでないでござるで候。貴殿の目はおかしいというか頭おかしい」

 ひどい言われようだ。それに対してアレンはあくまでアレンのままだった。

「そんなことないですよ。アオイさん、きれいだって評判ですよ」

 事実、酒場で話題になっていたことがある。誰がみても、アオイは美しい。ただし、近寄りがたい雰囲気があるし、男勝りでおっかないから、女としてみるにはありゃちょっとなー……という話は省かれている。


「う……え……こ、こ、この助兵衛えっち!!! でてけー!」

「え、ええぇぇ!?」

 アレンは尻を蹴っ飛ばされ、温泉から投げ出されるのであった。




「……なんで!?」



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