第98話 やさしいおじさん

 深夜。

 眠らない町を見下ろす影があった。


 ──いる。

 死をもたらす、災厄が。


 この時を待っていた。

 前回は失敗した。その前も、その前も。

 しかし、今回こそは。


 死を力に。そして世界を手に。


 死者に囲まれ、その男は声をあげて笑っていた。


・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・ ・


 ドロップが目を覚ます。

「おぅ、よく眠れたみてーだな」

 部屋には黒い鎧を着たままのセブンだけがおり、テーブルに座って、青い紙の上に何かを描いていた。

「おじ……ジャンさんは?」

「買い物に行ってるぜ。そろそろ……お、ちょうど帰って来たな、おじさんが」


 部屋のドアを、ジャンは足で開けて入ってきた。両手には大きな袋。

「とりあえず【魔法式】が定着しやすそうな素材の衣服を片っ端から買ってきたぜ」

「買いすぎじゃねーのか。ま、いいか」

 ドロップは二人が何を話しているのかわからず、まじまじと見ている。

「おめぇが無意識に発動している死の力を抑えてみる。簡易的な結界みてーなもんだな。ってよくわかんねぇか。とにかく、今からオレたちが買ってきた服に『魔法』をかける。それを着てれば、何にでも触れられるようになるはずだ」

「おじ……ジャンさんたちは魔法使いなんですか!?」

「ま、そんなもんかな。ってまたおじさんって言おうとしたろ……」

 おにーさんだおにーさん。ジャンはぶつくさ言いながら、袋から次々と服を取り出す。


「なんだなんだぁ。洋服選びのセンスがまるで感じられねー」

「うるせー。女の子の服なんざ買ったことねーんだよ」

「そりゃおれもだけどよーたぶん。あ、これドロップに似合いそうな気がする。とりあえずこれで試してみるか」

 セブンはその洋服の上に、先ほどの青い紙を乗せた。

 すっ、と紙が吸い込まれていく。

「おめぇ、よくそんな魔法式描けんな。ホントなにもんなんだよ」

 恐らくそれは、文章にすれば分厚い辞書一冊分にもなる魔法式だった。セブンはそれを、魔法紙一枚枚程度に短縮したのだった。こんな芸当はそこらの魔法使いでは到底できないだろう。

「おれはすげーガイコツなのさ。さて、じゃ着てみろ」

 ドロップは服を受け取ったものの、もじもじして動かない。

「おめぇな。女子が着替えるんだからまじまじと見てるんじゃねーよ」

「あ。そうかそうか。おれ、骨だから気づかなかった。そんじゃ、部屋の外にいるから着替え終わったら呼んでくれー」

 ぎゃーぎゃー騒いで部屋を出ていく二人をみて、面白いひとたちだな、と思ったドロップは、ほんの少しだけ笑っていた。



「あ、あの。着てみました」

 部屋のドアを開け、ドロップが顔を覗かせた。

「おー、似合うじゃねぇか」

「そうか? ちょいとみずぼらしいんじゃねーのかこれ。しかも寒いだろ」

「ばっか。外でる時にゃコート着るにきまってんだろ」

 白いワンピースを着たドロップとても華奢で、なんだか風が吹けば散ってしまいそうな儚さを感じさせた。


「とりあえず、この状態でジャンに触れてみてだな」

「だからいきなりオレで試すのやめろってば。さっき花買ってきたからそれでだな」

「おまえが花? 似合わねーなー」

「うっせ」

 確かに、なんだか似合わない。二人のやりとりを聞いていて、ドロップは初めてやわらかい笑顔となった。

「ほら、バカにされてるぞおじさん」

「おじさんじゃねーっつーの!」

 そう言いながらジャンは部屋の中で、袋の中から小さな花束を取り出した。それがやっぱり似合っていなくて、セブンは笑う。その声につられて、ドロップも笑ってしまった。


「ちっくしょー。いいから花!」

 ドロップは笑顔のまま、素手で花に触れた。異変は起こらなかった。

「ひとまず、成功か」

「しかし根本的な解決にはならねー。これはユーリに相談してみる必要があるな」

「ユーリって、あの魔女っぽい嬢ちゃんか」

「そうそう」

 彼女なら、災厄の無効化、ドロップの力を消滅させる方法を見出せるかもしれない。セブンはそう思った。


「ふぅむ。そりゃすぐに連れていきたいところだが、次に船が出航すんのはいつだっけ」

「一週間後だな」

「飛翔船が借りられればよかったんだがな」

 闇ギルドからの依頼は公にできない。それもあるのだが、中央都市でも飛翔船有しているのはドラゴンバスターズのみ。彼らから借りるための正当な理由は思いつかないし、借りられたとしても二人では動かせないため、何人か同行者を連れてこなければならない。

 情報を漏らさないように徹する。そのために海路を選んだのだ。ぶつくさ文句を言いながら。船酔いしながら。ここにたどりついたのだ。


「出航の日までにやれることをやってみるか……」

 ジャンはセブンが、じっと自分を見ていることに気づいた。

「なんだよ」

「いやあ。昨日はずいぶんとおっかねえ顔してたのに、どういう風の吹き回しかと思ってな」

「……単なる、気まぐれかもな」


 災厄が動き出す前に始末をつける。それが自分には、破魔の槍にはできる。

 今もこの瞬間に、ドロップが災厄となり、自分たちの命だけでなく、この国すべての命を奪うかもしれない。そうなる前に、この槍でドロップを貫くのが”正解”なのだろう。


 こんなことなら、昨日、セブンの制止を振り切って、槍を放つべきだった。ジャンは後悔していた。


 ──重なるんだよな。妹に。


 ジャンは亡き妹の姿をドロップに重ねてしまっていた。だからもう、彼は槍を放つことはできなかった。


 馬鹿げている。ドロップのこれが演技だったらどうする。隙をつかれて終いだ。

 馬鹿げている。ドロップを救ったとしても、妹が帰ってくるわけではない。

 馬鹿げている。人の容をしているというだけなら、吸血鬼も変わらなかった。それを容赦なく屠ってきたのに、何を今更。


 ふと、アレンの顔が思い浮かんだ。

 あのおっさんのせいだ。あいつの甘い考えが、自分を鈍らせているんだ。


 ふと。

 ドロップの目から涙が落ちた。

 服に宿った魔法式が作用しているのか、昨日と違い、床は腐食しなかった。


「ど、どうした。なんで泣く」

「うれしくて……優しくしてくれて……うれしくて」

 ジャンは、少し迷ったあとで、ドロップの手を握りしめた。そのぬくもりは、人と変わりはない。

 ドロップが目を大きくする。

「大丈夫だ。オレたちが何とかしてやる。だからドロップは、何の心配するな」

「……おじさん。ありがとう」

 そういって、ドロップはジャンに抱き着いた。

「だからおじ……はぁ、もういい。オレの負けだ。好きに呼んでくれ」


 困ったジャンの顔を見て、ドロップは泣きながら笑う。その様子を見て、セブンもまた笑うのであった。

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