第97話 その花の名前
少女の目が、ゆっくりと開かれる。
「お。起きたか。わりぃな、驚かせちまって」
セブンが言うと、少女は跳ね上がって部屋の隅に逃げていった。
「あーあ……完全にビビッてんじゃねーか。しっかし、この嬢ちゃんが本当に【黒死の魔女】なのかよ?」
「触れてみりゃわかるよ。おれはもう大丈夫っぽいけども」
意識を失った少女を、セブンがおぶってこの宿屋まで運んだ。その間、何度か『死んだ』ものの、もはや『耐性』のできたガイコツなのであった。
「嬢ちゃん、名前は? どこから来た? この町に住んでんのか」
「……あ、あの。わたし、名前、わかりません。気づいたらここにいて……それで……さわった人が急に倒れたりして……わたしが何かしたんじゃないかって、追われてたんです」
「そこにおれたちが来たってわけか」
「この嬢ちゃんが【黒死の魔女】だとして、記憶がないっていうのはどういうこった」
「ひとつの現象みたいなもんなんじゃねーか? 自然災害みたいなもんだろ」
「なるほど、そうか……災厄という現象か。人の容はしているが、人とは別モンってわけね」
二人が話すのを、少女は不安そうに聞いている。
「やっぱり、何も思い出せないのか?」
「──ええと。さっき、夢を見ました。みんな、わたしを見て……泣き叫んだり、怖がったりして、逃げていく夢を」
「ふぅむ」
ジャンは破魔の槍に『聞いて』みる。微かに震えている。この反応は、やはり。
だとすれば、まだ被害が出ていない内に──この槍で、貫く。
その気配を察したセブンが、手で制した。
「……わたしは、みんなと仲良くしたいのに。みんな、わたしをいじめて、苦しめるの。それがつらくて、つらくて……それで怒ったら……みんな、死んじゃった」
少女の目から涙が溢れた。
落ちた涙は床を黒く腐食させた。
涙は、生物以外にも作用するのか。
「こりゃ推測だが、感情の昂り……怒りとかかね、そういったものが引き金になるのかもな」
「保護して隔離でもすりゃいいってのか」
人の容をしただけの災厄。この場で仕留めなければ。槍を強く握るジャンに対して、セブンは首を振って見せた。
彼女の『死』がトリガーとなる可能性もあるのだ。槍で突き刺した途端、死が町を包み込むかもしれない。
セブンがそう考えていることを、ジャンは察した。
──やるとしても、この町から遠く離れたところで、だ。
その時、少女のお腹がくぅぅと鳴るのが聞こえた。
泣いている少女は、顔を赤くした。
「へ……腹減ってんのか。そういうところは人と変わらねーんだな。ま、何かもらってきてやるよ」
ジャンが部屋を出て、宿屋の従業員に声をかけにいく。
「……あの人、こわい」
殺気を感じていた少女が、声を震わせる。
「あのおっちゃん、こわいけどいいやつなんだぜ。こわいけど。でも、おれの方がこわいだろ。顔が」
「……うん、すごくこわい。でも、あなた、なんだか……すごく優しい感じがする」
おれが、優しい。そんなこと初めて言われたような、そうでもないような。
「まー、とにかくわからんことだらけだけども、とにかく誰にも触れないようにな。うーん、しかし服越しに触れてもダメとは……ん? そうだ、これを試してみよう」
セブンは確かここらへんにあったかなと、自分のアイテムカバンをごそごそと漁った。
「ててーん! 魔法のてぶくろー」
「魔法の、てぶくろ?」
「おう! これはすげー手袋なんだぜ。魔法を遮断するとかしないとか」
胡散臭い行商人からつい買ってしまったよくわからないアイテムだった。一度だけつけてみて、魔法でできた炎に触れてみたことがあった。すると炎はすっと消滅したのだった。
黒死の魔女の放つ『死』が魔法の類なら、これで遮断できるかもしれないという淡い期待だった。
少女はおそるおそる、その手袋をつけた。
「それで、ちょっとおれにさわってみ」
「う、うん」
嫌な感じはないものの、すでに一度、死を受けて耐性があるのか、よくわからなかった。
そこに食事を手にしたジャンが戻ってくる。
「おう、ちょうどいいところに帰ってきた。ちょっとジャン、触られてくれ。この手袋越しなら触られても大丈夫! かもしれねぇ!」
「はぁぁっ!? そんな手袋で大丈夫なのかよ!? そこの花瓶にある花で試せよ」
「あ、そっか。それでもいいのか。ということで、ほい」
少女は花を受け取る。変化はない。
手袋を外して、触ってみる。花は黒く染まり、跡形もなく消え去った。
「……これなら触れられるみてーだな」
「っつーことはこれは【即死の魔法】の類ってわけだな。しかも常時発動しているとんでもねぇ魔法」
これは確かに災厄だ。こんなもん押し付けやがって。割に合わねーな、やっぱり。ジャンは苦い顔をした。
そんな彼とは対照的に、少女の顔は明るい。初めて見せる笑顔は、そこらへんにいる同じ年代の少女たちと何ら変わりがない。
「しかしその手袋がダイジョウブなら、アレが応用できるか。……うーん、とりあえず色々と考えるのは明日にするかー。メシ、食っちまえよ。冷める前に」
「あ、はい。その、ありがとうございます。えっと……」
「オレはジャンだ」
「おれはセブン。骨だ」
「わたしは……ごめんなさい。やっぱり名前が思い出せません」
名前。
つけない方がいいだろうな。そう思うものの、ジャンはひとつ思いついた。
「ドロップ」
「あん?」
「スノードロップっていう花があるんだよ。大雪の花ってやつだな。そこからとってみたんだが」
「あれか。昔の恋人が好きだったとか、そんな感じか?」
「恋人じゃねーけど……ま、大事なひとだったな」
もはや遠い日の記憶。
やっぱり、雪が降っていたあの日。
春の訪れを告げるその花の名前を、彼は知った。
──妹の死と共に。
「ドロップ……いい名前。おじさん、ありがとう!」
「へっ。礼を言われることじゃ……っておじさんじゃねぇ! こう見えても若いんだよオレは」
「えっ!? おまえ若いの? アレンと同い年くらいと思ってたんだぜ!」
「あのおっさんは見た目が若すぎるんだよ! ったく……これだからガキとガイコツは……ぶつぶつ」
そんなジャンを見て、ドロップという名を得た少女は、ほんの少しだけくすりと笑うのであった。
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