第94話 白雪

 塔の頂上。

 氷像並ぶ広間の中心で、氷の妖精は静かに浮いていた。アレンたちの姿を見て、精霊はにやーと笑う。


「このゲーム、にーちゃんたちの負け―! でも、まー……生きてここまで来たから、にーちゃんたちはこの塔から出してあげるよ!」

 よかったねーと、氷の精霊は笑う。

「──アイリスを、元に戻してくれ」

「んー? なーんでゲームに負けたにーちゃんたちにそんなことしてあげないといけないのかな? おっと」

 アレンの周囲に雷が奔るのをみて、氷の精霊は距離を取った。

「脅したってむだだよー! んー、でも、そうだな。よし、こうするのはどうかな? あのねーちゃんの代わりに、にーちゃんが氷像になっておくれよ!」

「ちょっ! アンタいい加減に……」

「──それで、アイリスを助けてくれるんだな?」

 エクレールと氷の精霊が、同時にアレンを見る。


「へえ。自分の命が惜しくないんだ。フツーのニンゲンなら、あのねーちゃん見捨てて逃げていくだろうに」


 ──貴方は、今の貴方のままでいて──

 アイリスの言葉を受け、彼は彼の道を選んだ。

 誰かを助けられるなら。救えるなら。この命を、捧げる。

 アレンのその想いは、エクレールにも伝わった。

「しょうがないなー。アレンちゃん、アタシも一緒にいるからね。アレンちゃんとアタシは一心同体!」

「……ありがとう、エクレール」

 二人を見て、氷の精霊は楽しそうに笑う。


「さすがにかわいそーだから、最後にあのねーちゃんに一目だけでも会わせてあげるよ」

 氷の精霊がぱちんと指を鳴らした。そこに氷像となったアイリスが現れる。

 アイリスを覆っていた氷が溶けていく。

「それじゃ、にーちゃん。バイバイ。大事にしてやるからね!」

 アレンの意識が薄れていく。身体の感覚が、なくなっていく。眠気に抗えず、アレンは、その目を閉じた。







 目を醒ましたアイリスが、凍りついたアレンを見た。そして一瞬ですべてを察した。


 ハンマーを持つ手が、激しく震える。


「いやあ、感動感動! 誰かのために命をささげるなんて、なかなかできないよねー! ねーちゃん、せっかく助かった命、大事にしな──よ? げ、げげっ!?」

 氷から。マナが。吸い取られていく。

 白銀のハンマーが、その力を目覚めさせる。


「……白雪。わたしの全部をもっていってもいい。だから、ありったけの力を、あいつに!」

 氷のマナが共鳴する。氷の精霊も、自身とアイリスとの間に、強い力の結びつきを感じた。

「そうか……微力だから感じなかったんだ! ねーちゃん……氷のマナとの相性、バツグンじゃねーか! それにそれ、氷のケモノの……」

 アイリスはここに来て、その魔力を【覚醒】させた。怒りが、かつてない怒りが引き金となったのだ。

 ここでアイリスは初めて、自分のマナが氷の属性であることを知った。だけど今更、そんなことはどうでもいい。目の前のこいつを……こいつを──ぶっとばす!


「ちょ、わっ、やめ……!」

 塔が震撼する。震撼する。あらゆるものが恐怖で震える。

 マナは冷たく、激しく。


 すべてを打ち砕く力が今……放たれ──



「そこまでです、ニンゲンのお嬢さん」

 氷の鳥が、ふわりとその肩に降り立った。ほのかな優しい香りに、アイリスは動きを止める。

「大変申し訳ございません。我が王がご迷惑をおかけしました。あの方はすぐに元に戻します」


「──え?」


 氷の鳥がアレンのもとへと飛ぶと、彼を包んでいた氷が一瞬で溶けた。

「……あ、あれ? 僕、氷になって……たんだよね?」

「アレンさん!」

「わ、アイリス!?」

 アイリスに抱きつかれ、アレンは顔を真っ赤にした。


「あ、あ、あっぶねー! ぜ~んぶぶっ壊されるとこだった! 助かったよ」

「戯れが過ぎます、我が王」

「だってだってー! ひっさしぶりのニンゲンじゃん! 遊びたかったんだよー!」

 遊び。

 それを聞いて、アイリスは再び激昂する。

「わー! くるなくるなくるなくるなって! ごめん! あの氷像も、ただの氷像なんだよー! ホンモノのニンゲンじゃないんだー!」

「……今更そんなウソを!!」

「嘘じゃねーってば! 今のねーちゃんなら感じるだろ?」


 マナ。確かに、以前よりもずっと、近しいものに感じられる。

 それでも。人を弄ぶ氷の精霊を許してはおけない。


「お嬢さん。こんなんでもここら一体の氷の精霊たちを束ねる”王”なのです。消滅してしまったら、マナのバランスが崩れて災害が起きます。どうか、気持ちを静めてください」

 それでも気持ちの収まらないアイリスの手を、アレンが握った。瞬間。怒りがどこかへと消し飛ぶ。

「あ、アレンさん?」

「許して……あげよう。僕もこんなこと、許せないけど、でも……」

 精霊と人間は違う。別の存在なのだ。見ているもの、感じているものが違いすぎる。本当に悪気があったわけではないのだろう。理解はできない、けれど、それをアレンは飲み込んだ。エクレールと同じように、分かり合うことができる。それを、この氷の精霊も知るべきなのだ。

 

 アレンがそう言うならと思うものの、やはりアイリスには納得できない。できないのだが、手のひらから伝わるアレンの熱が、アイリスの心を溶解させていく。それだけですべてを許せてしまう、そんな気さえしていた。


「にーちゃん……ありがと。にーちゃんみたいなニンゲンばっかりだったら、おれっちたちも生きやすくなるんだけどなー。ねーちゃんも、ごめんな」

「……もう、いいわ。ここから帰してくれれば、それで」

「お詫びといっちゃアレなんだけど、秘宝、やるよ。これ」

 氷の精霊が言うと、氷でつくられたような、透き通った腕輪が宙からゆっくりと落ちてきた。アイリスはそれを手に取る。


「その、ねーちゃんが持っているハンマー、【氷のケモノ】のウロコかなんかでできてるんだろ? その腕輪も、【氷のケモノ】の一部からつくられたヤツさ。ねーちゃんの魔力を倍増させてくれる」

「……まぁ、もらっておくわ」

 アイリスはそっけなく言う。

「アタシたちには何もないのー?」

「えー。秘宝一個しかねーよー」

「ケチ―」

「んー……けど、いーなー雷の精霊。エクレールって名前もあるんだろ? それに、いいニンゲンと結びついて……たのしーだろーなー、ニンゲンの世界は」

「──我が王」

 鳥が睨みつける。

「ちょ、言ってみたかっただけだってば! あ、そうだねーちゃん。そのハンマー、ちょっとだけ見せてもらってもいいか?」

「え? いいけど」

 氷の精霊は、ハンマーをべたべたと触る。住み心地がよさそうだなー、とぼそっと言ったことを、アイリスだけが聞き取っていた。

「なぁ、ねーちゃん。このハンマーの名前、なんつったっけ。さっき呼んでただろ」

「え? 白雪だけど」

「あ──しまった。我が王!!!」

 氷の鳥が絶叫した時には、遅かった。


 氷の精霊が、ハンマーに『宿った』。さわった時にすでに宿っていたのだ。そして、名前を得た。名前を得て、呼ばれることで、アイリスと強制的に『契約』を結んだのだ。


「やっったー!! これで、おれっちも外の世界にでられるぞー!!!」

「わ、わ、わわ我が王。なんてことを」

「もう、おれっち王じゃねーもん。ただのそこらへんの精霊とかわんねーもん。あ、オマエが今日から王な! よろしく!」


「……どういうことなの、これは」

「ねーちゃん、これからよろしくな!」

 ハンマーからにょきっと顔を出して、氷の精霊は笑った。

 氷の鳥はやれやれ、とがっくりとうなだれた。


「……ここに捨てていこうかしら、このハンマー」

「へへーん! もうねーちゃんと繋がっちまったもんねー! 捨てても追いかけられるもんねー!」

「……呪いのハンマーじゃない、もう」

 これは困ったことになった。封印する方法はないだろうか。アイリスは真剣に考え始めた。


「ねーねーアイリス。アレンちゃん。いつまで手、つないでるの?」

 エクレールに言われ、ハッとした二人が、バッと手を離す。

「……今日だけだかんねー……」


 エクレールはじとーっとアイリスを見た。その突き刺さるような視線を感じながら、アイリスは熱くなった手を愛おしそうに握りしめていた。

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