第93話 凍るアイリス

 氷のモンスター。いや、それはモンスターを象っただけの氷像。それが生き物のように動き回っていた。アイリスはハンマーで向かってくる氷像たちを破壊する。しかし、すぐに元通りになってしまう。

 アレンは氷のモンスターの中にマナを感じた。雷の短剣に魔力を込めて砕くと、氷は元通りになることなく散っていった。


「──物理攻撃では倒せないってわけね」

「どうしよ。ここ、外界と遮断されてるから、マナが供給されてこないよー」

 つまり、手持ちのマナと魔力が尽きたら成す術がなくなるということだ。アイリスは下唇を噛んだ。

 様々な形の氷像が次々と現れる。すべてを相手にしてはいられない。極力戦闘を避けようとするものの、氷でつくられた建造物が行く手を遮る。それを取り除くのに、さらに魔法を使わなければならなかった。

 10階層を上る頃には、アレンたちの魔力は底をつきかけていた。


「アイリス……これを」

 アレンはカバンから、液体の入った瓶を取り出した。

「これは、マジックポーションね」

 飲めば魔力を回復することのできるアイテムだ。アイリスはそれを一気に飲み干した。

「……ありがと。用意がいいのね」

 アイリスはこうしたサポートを、他のメンバーの役割として完全に切り分け、自身は戦闘のみに専念できるようにしていた。だからアイテムカバンなどの余計な装備をもっていなかった。パーティと分断されるような事態に陥っても、力技でどうにかしてきた。

 ──もし、それが通用しない状況に追い込まれたら。当然想定はしていた。そうなった時は、ただ死力を尽くし、天命を待つだけ。アイリスは死を想定し、死を覚悟の上で冒険をする自身のスタイルを一貫して崩さなかった。そうすることで自分を追い込み、牙を研ぎ続けてきたのだ。


 すべては──。


 アイリスはちらりとアレンを見た。

 それに気づいたアレンは、頼りない笑顔をアイリスに向ける。


 思い描いていた理想像とは程遠いと思っていた人。でも、知れば知るほどに、理想像よりももっと素敵な人だった。

 そして彼には、誰にも負けない勇気がある。どんな絶望的な状況にも諦めず、立ち向かっていく、勇気ひかりが。


「ギリギリまで節約するだったけど、一気に突破しよう。ここからはアイテムを惜しまずに使っていこう」

 アイリスは少しだけ、笑顔を返した。痛みを悟られないように、できるだけ、自然に。


 アイリスはアレンの動きを見て、その成長を感じ取っていた。

 マナの力に頼らずとも、雷の魔法を使わずとも、彼は十分に戦えていた。トラップにも対処できている。40歳のルーキーが、この短期間での急成長。

 死地での経験が、彼を鍛え上げることになったのは間違いない。しかし、それだけではないだろう。彼にはもともと冒険者としての才能があったのだ。しかも、精霊に好かれるほどの良いマナを持っている。


 できるなら。

 もっとはやくに一緒に冒険したかった。色々な話を気軽にしてみたかった。

 ……これからでも、できるだろうか。


 ほんのわずかな時間に巡らせた思考が、隙を作った。

 アイリスめがけて氷の爪が迫る。アレンはそれを身を呈して受け止めた。

「アレンさん! このっ!」

 アイリスは魔力を込めて、氷のモンスターを砕く。

「ごめんなさい……油断した」

「これくらいの傷……回復薬もまだあるし、大丈夫。アイリスの背中は、僕が守るから。必ず、助けるから」

 その表情は、やっぱり頼りなくて。疲れを滲ませているのに、つらくてたまらないだろうに。それでも、彼は笑って見せた。


 ……これからでも、やればいいんだ。

 これから一緒に冒険して、色々なことを見て、聞いて、笑って。

 悩んでいる暇があれば、そうすればよかった。


「──ありがとう、アレンさん。でも、そろそろ時間みたい」

「えっ……あ、ああぁ……」

 アイリスが、凍りついていく。時間が……もう6時間が過ぎてしまったのだ。

 決断しなければ。アレンは震える手で、雷の短剣を握りしめた。そして、氷像へと狙いを定める。その手を、アイリスが止めた。


「アレンさんは、手を汚してはだめ。これは、勝手なわたしの願い。貴方は、今の貴方のままでいて」

「でも……アイリス!」

 大丈夫。

 アイリスは小さく言う。

「あの氷の精霊なら、きっと元に戻す術を知っているはず。アレンさん、信じてるから……」

「……わかった。任せて」

 アイリスは頷き、ほほ笑んだ。そしてその表情のまま。完全に、凍り付いた。



「……行こう。エクレール」

「……うん」

 静かな、怒り。雷が、弾けて、散る。燃える。

 アレンはアイリスをその場に残し、歩き出した。

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