第2部 ──絆──
第16章 氷の塔
第91話 異界
アレンとエクレールは、その塔を見上げた。
マーカスの塔。
かつて、この森には町があった。
そこに住んでいた建築芸術家のマーカスという男が、仲間たちと共にその生涯をかけて創った塔である。
どれくらい長い年月放置されてきたのだろうか。塔は朽ち果て、植物に覆われている。今や動物やモンスターの住処となっているこの塔が、今回の【クエスト】の舞台であった。
クエスト、といっても難しいものではない。この塔に住み着いているモンスターを倒し、ドロップアイテムを集めるだけ。それを元に、あるアイテムを生成してくれというソフィからの依頼だった。
「みんな置いてきちゃったけど、よかったのかな」
「いーのいーの! みんな隙あらばアレンちゃんといちゃいちゃしようとするんだから! たまにはふたりきりで、ね?」
今頃みんな、アレンの姿がないことに大騒ぎしているに違いない。エクレールはぷぷぷと笑った。
アレンとの仲を深めるチャンス。うきうきしているエクレールは、その表情をすぐに曇らせることとなる。
「あん? アレンじゃねえか。なんでこんなところにいるんだ」
ジャンだった。
遅れて、彼らが姿を現す。
「あ! パパ! リィンに会いに来てくれたのね! うれしい!」
飛びつこうとするリィンを、ルーシーが抑えた。
リィンの父親は冒険者だ。はやくに妻を亡くした彼は、男手ひとつでリィンを育ててきた。娘を育てるために、日々クエストをこなし、各地を飛び回って、生活費を稼いでいた。ゆえに彼は、ほとんど家にいなかった。
父親が家におらず寂しい想いをしてきたリィンは、『理想の父親』を頭の中に創り出す。その理想の父親と、空想の中で遊んできたリィンは、やがて強い魔力を発現させた。
力を得た彼女は冒険者となり、理想の父親像と重なる男性を探すことにした。
リィンが『父親』と認めた男性は、ひとりとして例外なく、その精神を病むことになる。リィンにつけまわされ、父としての役割を強制され、彼女だけに愛を注ぐことを強要される。それも四六時中。監禁されて、一緒に過ごすことを強要された者もいたという。
そんなリィンを見かねた実の父親は、自分のパーティメンバーであったルーシーをリィンにつけ、娘が暴走しないように【制御】してもらうことにした。
精神に作用する魔法を得意とするルーシーであったが、アレンと出会ってからのリィンはこれまでにない強い感情を爆発させようとしていた。アレンの身を案じたルーシーは、このことをアレンに話し、距離を置くように伝えたのであった。
その矢先に、この出会い。偶然であることはわかっている。しかし、それでもルーシーは、アレンのことを恨みがましい目で見てしまうのであった。
「で。なんでアイリス、そんな遠くにいるんだよ」
「なんでもない! なんでもないから!」
「あ、しょんべんか。そこらではやく済ませて──うおわっ!?」
ハンマーが、ジャンがいたところの地面を大きく抉り、突き刺さった。よけなければ、死んでいた。ジャンの全身から汗が噴き出した。
「おめぇ! なんてことすんだよ!」
「うるさい! もー!」
「ジャン、女の子にデリカシーのないこと言っちゃだめだよ」
エクレールがたしなめると、ジャンは舌打ちをした。女だらけのパーティはめんどくせぇ、そんなことを言って、今度はリィンから蹴飛ばされるのであった。
「そ、それで……ジャンさんたちはどうしてここに」
「ジャン、でいい。言いづらいだろ、ジャンさんなんて。まぁそれはいい。オレたちは【隠しダンジョン】の調査だ」
「隠し……ダンジョン?」
「ああ。ちょっと前にここを訪れた冒険者がな……何もない空間から『氷の鳥』が出てきて空に飛んでいったっつーんだよ。で、ウチの魔法使いどもが調べたところ、ここは不自然にマナが歪んでいるらしいんだわ」
それは、狭間の世界の扉。異界に繋がる門とも言われる場所の特徴だという。
そこを抜けると、人に知られることがないように封印されたダンジョンや、遺跡などが存在している可能性があるのだった。
「まだ誰も見つけてないなら、超激レアアイテムとか秘宝とかあるかもしれねーしな。危険も山ほどあるだろうが。こんなときにアオイがいないのは痛いな」
そういえば、アオイの姿が見えない。
なんでもひとり、修行のために単独で、とあるダンジョンへと潜っているのだとか。
「……この塔に何か謎がありそうですわね」
ルーシーは細い目を少しだけ大きく開けて、塔を視た。ほんの僅かな揺らぎが確認できた。
「ま、とにかく入ってみようぜ」
ジャンは少しわくわくしているように見えた。
「あの方はもともとトレジャーハンターなのですわ」
「才能ゼロの」
ルーシーの言葉に、リィンがぼそっと付け加えた。
「アイリスー! はやくいこー!」
まだ遠くにいるアイリスに向かってリィンが叫ぶ。それでもアイリスはなかなか動かない。
どうしたのだろうか。心配になったアレンが、アイリスのところへと駆け寄る。
「どうかしたの、アイリス?」
「い、いやあ、そのう」
「?」
アイリスはもじもじして何かを言いたそうにしている。
ふと。その視線がアレンの後ろへと泳いだ。アレンはその視線を追う。
「──え? あれ?」
空が黒い。いつの間に夜になったのだろう。
浮かぶ月は真っ青で、冷たい顔をしている。
漂う冷気に、アレンは鳥肌を立てた。
塔もまた、その姿を変えていた。
それはまるで、氷の彫刻。美しく、そして巨大な氷の塔がそこに佇んでいた。
「さむーい! でも、なつかしいにおいがする。わかった、ここ【精霊界】だ!」
エクレールが言った。
精霊界。マナそのものである精霊のみが立ち入ることのできる、幽界。
「そうか。精霊が鍵だったってわけね」
精霊であるエクレールがいたから『扉』が開いたのだ。
エクレールとアレンとのつながりは深い。だから、本来生きたままの人間が立ち入ることのできない幽界に、精霊と共に入り込むことができたのだろう。アイリスはそう考えた。
「……ここへの入り方はわかったけれど、どうやって帰ればいいのかしら」
予期せぬことではあったものの、隠しダンジョンを発見するという目的は達成した。それ以上のことをするつもりはなかった。探索用にアイテムも準備していない今の状態で、何が待ち受けているかわからないダンジョンに挑むことはリスクが大きすぎる。
「出口を通れば出られると思うよ。でも、これ、たぶんあの塔の頂上にある感じだー」
エクレールの言葉に、アレンもアイリスも塔を見上げた。
30階層はあるだろうか。
──行くしか、ない。アレンさんと、一緒に。二人で? エクレールはいるけれど、実質二人きりみたいなものだ。どうしよう、緊張してしまう。
「……いきましょ」
「あ、アイリス!?」
いまだアレンとちゃんと顔を合わせられず、話すきっかけを見失っているアイリスは、それだけを言うと塔へ向かって歩き出した。
そんなアイリスを見て、距離を感じるアレンだった。やはりまだ、怒っているんだ。そう思ったアレンは、アイリスの背中に声をかけることができないのであった。
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