第66話 ジャンの狂気

 と思ったのは気のせいだったぜ。おれはすぐに元通りになっていた。

「気色悪いわね、あんた。粉々に砕かなきゃダメかしらね」

「こっちもまだ生きてるぞ」

「──は」

 ずたずたにされたはずのジャンが、槍を突き出した。

 カミラは寸前で無数の蝙蝠に変化し、それを回避した。いや、何匹か貫かれているなアレ。


「っ! あたしが……痛みを? あっぶな……破魔の槍じゃないのそれ。しかもあんた……吸血鬼なの? 誰の眷属?」

 ジャンの傷が治っている。元吸血鬼じゃなくて、現吸血鬼だったのか?

「いんや、人間だぜ。前に吸血鬼化した時の血を粉末状にして持っているのさ。こいつを吸えば、一時的に吸血鬼の力を取り戻すってわけだ」

「道理でそんな中途半端なにおいしているわけだわ。人間でも吸血鬼でもない、嫌なにおい」

 カミラが不快な顔をする。


 風景が変わる。

 ただっぴろいバルコニーだ。どうやら【転移】させられたらしい。

 紅いでっかい月が、黒い空に浮かんで嗤っている。


「今日は満月。紅い月の光があたしに力をくれるわ。さ、自ら死にたくなるくらいに、ずっと切り刻んであげる!」

「遠慮しておくんだぜ!」


 そこから先は泥仕合だった。

 戦略とか、駆け引きとか、そんなものはなかった。

 ジャンの腕や足が飛ぶ。しかし、すぐにくっついて元通り。おれもばらばらになったり切断されるのに、すぐ元通り。

 こちらの攻撃はカミラには当たらない。破魔の槍と魔剣ならばカミラにダメージを与えられる。一撃でも入れば、戦況はひっくり返せるだろう。その一撃を与えるために、どうにかして隙を作るのだ。だが……何か手を隠しているかもしれない。なんたって相手は吸血鬼の真祖。慎重にやらなければ。


「どうしたどうした! こんなもんじゃねーだろ!? とことんつきあうぜぇぇぇ!」

 ジャンが切り刻まれながら笑う。血に染まり、血を吐き、笑う。しまいにゃ、千切れた自分の腕をカミラに投げつけて、笑う。ドン引きだわ、こんなん。

 アレ、痛みを感じているはずなんだがなー……。

 ヴァンパイアハンター、吸血鬼討伐の切り札的存在。これまで幾多の死地に身を投じてきたということが、ジャンから発せられている狂気から見て取れた。


「くぅー! あんたたち卑怯よ! 切っても突いても砕いても死なないなんて!」

「そりゃおめぇも同じだろ」

「でもそっちの武器はあたしに効くじゃない! 反則よ反則!」

「おめぇの土俵に上がってやってるんだから文句言うんじゃねぇよ。なりふり構わずならいくらでもやりようがあるんだぜ、こっちはよ」

 ジャンが血まみれの顔で笑う。


 ──そう。

 いくらでもやりようはあった。例えば。


 おれの手から離れた魔剣が飛ぶ。

 【シュート】だ。

 カミラは紙一重でそれをかわしたが、ジャンが放った槍は回避できなかった。

 

 カミラはどうやら次の手を用意していないようだ。ならばこれ以上、この泥仕合につきあう意味はなかった。


「ちょっとセブン! アレンちゃんいなかったんだけど! あ、こっちも終わってる」

 エクレールがふよふよと飛んできた。

 遠くの方で、レオンが遠吠えしている姿が見える。なんかでっかくなってねーか、あいつ。大人の姿になっている。あ、満月のせいか。なるほど。

 そして時々聞こえる爆音は、セレナかな。何やってるんだ、一体。城を全部破壊するつもりかあいつ。


「……かつての歴戦の英雄たちの遺体をつなぎ合わせたあたしの戦士……すーぱーぞんびさんが……やられたってわけね」

 カミラは貫かれた腹部を抑えている。カミラの血が、命が流れ出ていく。

 ジャンが容赦なく、その槍の先端を突きつける。

「苦しませず、一撃でやってやる。じゃあな、カミラ」

「ここまで、か。仕方ないわね」

 カミラが目を閉じた。



「で。おめぇは何をしてるんだ……アレン」

「アレンちゃん!?」



 アレンが槍を掴み、ジャンと向かい合っていた。

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