閑話
第61話 ちゅっ
──エクレールに言われるまで気が付かなかった。いや、エクレールと感覚が共有できているので、何か視線のようなものは確かに感じていたのだけれど、気にならなかったというべきだろうか。というのも敵意を感じないからだ。
中央都市。本屋で買い物を済ませた僕を、誰かがつけまわしている。どこの誰が、僕なんかをつけまわすというのだろうか。
「見つけた! ってなーんだ、セレナちゃんじゃん」
エクレールがその姿を見つけて、飛んで行く。
「や、や、やあ。アレン。き、奇遇だな」
明らかに様子がおかしい。
「アレンちゃんつけまわして、どうするつもりだったの、セレナちゃん」
「つ、つけまわすだなんて……そんな。声をかけるタイミングを探していただけだ」
「僕になにか用があるんですか?」
「用……というか。たまたま見かけたから声をかけたというか……その」
なんだか歯切れが悪い。
「セレナさん、遠慮しないで言ってください。僕に力になれることはなんでもやりますから」
「そ、そんな大したことでは……ない。その、あなたとわたしは友……だろ? 友として、親睦を深めたいと思ったのだが……どうしていいのかわからなくてな」
人間嫌いのセレナさんにとって、人間の友達は初めてのこと……ということか。
そうだ。それなら。
「セレナさん。実は僕、まだこの中央都市のことよく知らなくて。案内してほしいんです。ついでに一緒に買い物でもしましょう」
「! そ、それはもしや、でえととかいうやつでは」
「で、でえと!? い、いや、友達同士だからそういうのではなくてですね」
セレナさんとデートなんかしたら緊張で心臓がもたない。死んでしまうかもしれない。隣を歩くだけでも恐縮してしまうというのに。
「わ、わかった。精いっぱい、案内を務めさせてもらう」
「そ、そんなに畏まらずに、気楽にいきましょう、気楽に」
「わ、わかった」
人々は皆、振り返る。
セレナさんの美しさに見とれている。それに比べて僕はなんとみすぼらしいことだろう。恥ずかしくなってきた。帰りたい。
「こ、ここは……愛の女神の広場。満月の夜に、ここの噴水の前で愛を告げ、恋が成就すると永遠に結ばれるという」
「へー! 初めて知った! だからいつも恋人たちがいちゃいちゃしてるんだここ!」
エクレールがまじまじと、キスをしているカップルたちを眺めている。
「アレンちゃん、アタシたちもちゅーする?」
「し、しないよ!」
「照れてる。か~わい~」
からかうエクレールが、僕のほっぺたにキスをした。
「それも、親愛の証か?」
「セレナちゃんはダメだよ! アレンちゃんにちゅっちゅしていいのはアタシだけ!」
「そ、そうなのか?」
「いや、そうじゃないけど……でも、僕なんかにキスしてくれるのはエクレールだけかな……」
あ、レオンもいた。あれはキスというかなめまわしているだけというか。
次もまた、カップルの聖地的なところに来てしまった。その次も、またその次も。すごく気まずくなってきた。
「せ、セレナさん。どこか行きたいところはありませんか?」
「行きたいところ?」
「セレナさんは何が好きなんですか? セレナさんの『好き』があるところに一緒にいきましょう」
セレナさんはうつむき、しばらく考えていた。
「わたしにはそんなもの、ない。趣味のようなものもない。あ……紅茶」
「紅茶が好きなんですか?」
「……ハーブティー。強いて言うなら、それが……好き、かもしれない」
「では、行きましょう!」
「え……」
僕は最近知ったばかりの、紅茶専門店へとセレナさんを連れていくことにした。
「香りがとてもいい。それにこの味の深み……」
セレナさんは紅茶を堪能してくれている。僕はこういうところに来るのが初めてで、普段も紅茶は飲まないけれど……漂うやわらかい香りに包まれていると、癒されるようだった。
「……久しく忘れていたな、このような時間。昔を……思い出す」
「昔を……あ、すみません……ここに、連れてくるべきではなかったでしょうか……」
「す、すまない。確かに、過去はわたしにとってつらいものだ。しかし、あなたのおかげでわたしはそれを受け入れることができるようになった。最近になって、ようやく……。過去に蓋をして、見ないようにしてきた。こうした時間もわたしには大切なものだったと思い出すことができた。ありがとう」
「……そう、ですか」
なんだか不思議だ。
こうして冒険者をやっていなかったら、エルフのセレナさんと出会うことはなかっただろう。僕は世界を知らないまま、あの小さな町で一生を過ごしていたかもしれないのだ。色々な人たちと縁ができるのは嬉しいことだと思う。
「あ、アレン。その、わたしのことは……セレナ、と呼んでほしい。友のように、親しく……わたしの名を呼んでほしい」
「い、いや、そんな……!」
なんというか、それはとても畏れ多いような。
「あなたとは対等な関係でありたい。お願いだ」
「う……わ、わかりました……うん、わかったよ、セレナ。だから、手を離して」
手をぎゅっと握りしめられて懇願されると、もう抗えない。
「アレンちゃ~ん? ほれちゃダメだからね」
エクレールの声に、我に返る。セレナさん……セレナは常時【魅了】のスキルが発動しているんじゃないだろうか。胸がずっとドキドキしている。
その後、僕たちはそのお店で、ティーポットやカップ、茶葉などの紅茶グッズを買った。僕は紅茶の種類がよくわからないので、セレナさんに選んでもらった。
「……す、すまない。わたしの分まで。金も必ず、返す」
「セレナちゃん、うっかりさんだね~! お財布もってこないなんて」
セレナは普段買い物をしないようで、お金を持ち歩いていないとのことだった。
「返さなくていいよ。これは、僕のおごり」
「し、しかし」
「次は、セレナが僕におごってくれればいいよ。友達でしょ、僕たち」
「……友。そう、わたしたちは、友達。ありがとう、アレン。うれしい」
そのほほ笑みを見た人たちは男女問わずに心が打ち抜かれてしまった。
反則的にきれいで、かわいい。ああ、顔が熱い。
「……あ、あの。手」
「セレナちゃーん、アレンちゃんと手をつなぐのやめてってば」
「何故だ? 友達とは手をつなぐものではないのか?」
「それは……えっと……」
確かに友達同士で手をつなぐこともあるけれど、どちらかというともう少し親密な関係におけるものじゃないかなと思うのですけれども。はい。
「もー! 今日は大目にみてあげるけど次はダメだからね!」
「?」
セレナは首をかしげている。ここらへんの線引きはどう説明したらいいんだろう。というより僕もよくわからないというか。そもそも女性と手をつないだことなんて……。
「今日は楽しかった。次に会う時は、行くところを考えておく。アレン、それではまた」
「あーっ!! こらー!! あ、もういない! やられたー!!!! もー!!」
──?
何か。
ほっぺたにやわらかいものが、一瞬。
「もー! 上書き上書き! 雷っちゅっ!」
全身びりびりきた。
エクレールの電撃。それよりも後で、今、何が起きたか、頭が理解することの衝撃が僕をしびれさせていた。
セレナが僕の頬に──キスを。
その感触はいつまでも、いつまでも残って──消えないのであった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます