──魔──

「アイリスさんはどうして冒険者になったんですか?」

 僕は不安を消したくて、沈黙を破った。

「なんで貴方にそんなことを──って、わたしが先に聞いていたのに答えないのは失礼よね。憧れの冒険者様に近づくためよ。ま、貴方と似たようなものね」

 フッと微かに笑う声に、少しばかりの緊張を感じた。

 アイリスさんも、漂うこの異様な気配を警戒しているようだ。


「わたしは小さな頃、狂暴なモンスターに襲われてね。死にかけたところを、通りすがりの冒険者様に救われたのよ。とても強くて、かっこよくて……」

 まばゆい光の剣を手に、凶悪なモンスターを次々と打ち倒す姿はまるで伝説の【冒険王】のようだったとアイリスさんは語った。

「光の剣……きっと名のある冒険者なんでしょうね、その人」

「でも手ががりはそれだけ。名前もわからないのよ。気を失ったわたしをあの町まで運んだあと、そのまま姿を消してしまったみたいで。どうもあの町の出身者みたいなんだけど……ギルドにも所属していないらしくて」

 ギルドに所属せず、世界中を自由に旅する冒険者──通称【渡り鳥】。上級冒険者であるアイリスさんでも足取りが掴めないのはそのためか。


「たまに故郷に帰っているかもしれないと思ってね。よくあの町には足を運んでいるのよ。今回はたまたま別件で来たんだけどね。それにしてもこの階段、どこまで続くのかしら」

 ランタンに灯した明かりが心もとなく感じる。どんどん闇が深まっていく。

「アイリスさん、これを」

「目薬?」

「はい。この目薬をさすと、暗いところでもモノがよく見えるようになるんです」


 前日。

 僕はできる限りの準備をしていた。といっても、せいぜいアイテムを揃えたり、調合しておいたりしたくらいだけれど。

「そっか。いつもはパーティに魔法使いや僧侶がいてくれたから失念してたわ。ありがとう」

 魔法使い、僧侶。その役割は多岐にわたる。モンスターと戦う時の後衛、補助役、回復役、諸々をこなす。

 ちなみに僕は魔力がなく、魔法が使えない。だから、足りない能力をアイテムで補うしかない。幸い、道具屋を営んでいただけあって、アイテムに関する知識は多少ある。パーティの補助役として、少しでもアイリスさんの役に立たなければと思い、あらゆる状況を想定してアイテムを用意してきた。

 昨日みたいなの事態にも対処できるように。僕は右腕が痛んだような気がして、傷があったところをさすった。


 目薬をさすと、一気に視界が開けた。

 ダンジョンの岩壁は上の階層のものと異なり、黒く、とても冷たかった。


 永遠に続くかと思われた階段は、突然途切れた。下の階層にたどり着いたのだ。

 そこは広大な空洞だった。ただ広く、何もない。いや──何かある。鈍く光る、巨大な何かが。


「アレンさん。引き返すわよ」

「え?」

「早く! 走って!」

 僕はアイリスさんに手を引かれた。


 僕たちが逃げるよりも早く。それは階段を塞ぐように立ちはだかった。


 ──ヘルハウンド。


 昨日のヤツよりもさらに大きい。

 背後より聞こえるケモノの息遣い。

 目をやると、そこには見たことのないようなモンスターたちがたくさんいた。


 恐怖が、死が……再び、すぐそこまで僕に迫っていた。

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