第19話 狂気という敵


 よく見慣れた家の玄関が目の前にあった。


(…そうか、本官は帰ってきたんだ…。)


 引き戸をガラリと開けると、たたきの上にちょこんと小さな女の子が座っていた。


「あ! …ママ! ママだ! おばあちゃん! ママが帰ってきたよ!」


 女の子は興奮して、はだしのままで土間に降りると足に抱きついてきた。


(この子は…誰? この子は…。)


 うす暗い廊下の奥からゆっくりと人影が歩いてくるのが見えた。


「そんなはずは…。タマちゃん、もうママはね、帰ってこないんだよ…。」


 歩いてきたのは年配の女性だった。年齢を感じさせないくらいに美しいが、少しやつれているように見えた。


 年配の女性はこちらの姿を見てハッと息を呑んだ。


「タマ…。お前なのかい! 帰ってきたんだね、帰ってこられたんだね! 本当に良かった…」


 女性は目に涙をためて、そして微笑みながら抱きしめてきた。

 女の子が不思議そうな顔をしてつぶやいた。


「おばあちゃん、タマはわたしだよ? このおねえちゃんはだあれ?」


(…そう、タマは…本官。本官は…タマ。これは…夢?)


 年配の女性は急に険しい顔になって言った。


「タマ! 早く目を覚まして! 危険な奴が迫っている…。私の娘を…お前の母を奪った奴が…。早く…! 猫目石の力を…信じて…」




(おばあちゃん…)


 地面の冷たさを顔の皮膚に感じて、タマはハッと目覚めた。

 目に涙を感じた。なぜかいつのまにか泣いていたようだった。

 

 暗闇の中、ネズミの鳴き声や虫の這うカサカサ音、冷たい床、そして漂う異臭。全てが不潔で不快な環境だった。

 ここに比べれば、野猫の村の檻の方がはるかにマシだった。


(夢…だったの? 本官は…眠っていたんだ…。)


 最初は抵抗してキーマ王子と話したいと訴え叫び続けたタマ巡査だったが無駄だとわかり、今は心もなえていた。


(本官はなぜ捕まったんだろう…。)


(ユキにゃんは…助けにきてくれないよね。)


 自分の手が見えないくらいの闇の中、考えれば考えるほど自分の先行きもその闇と同様に見えなかった。


 タマは涙をふいて、ポケットから猫目石を出すと手のひらでそっと握った。しばらくすると、石は淡く光り始めた。


(少しの光でもホッとする…。不思議な石…。おばあちゃん…。)


 また涙が出そうになった時、正面から声がした。


「おまえさん! それはまさか!? ワシによく見せてくれんか!」


 かすれた老人の声だった。


 石の光が弱くて声の主の姿形は見えないが、どうやら正面にも通路を挟んで牢屋があるらしかった。


「あなたは誰?」


 タマは石をかかげて見せた。

 見えない相手はタマの質問を無視してしわがれた声で叫んだ。


「おお! まさしくそれは猫目石! おまえさん、まずいぞ。早く石をかくしなされ。いや、一旦ワシに渡しなされ!」


 突然のあやしい提案にタマは警戒し、石を隠して言った。


「ダメだよ! 大事な石だから。おばあちゃんがくれたの。いったいあなたは誰?」


 相手は狼狽した調子で答えた。


「なんと!? 祖母と言ったのか!? ひょっとしておまえさんはタミーの…!?」


 その時、遠くからギギイ…と扉が開くような音と、コツコツという複数の足音が響くのが聞こえた。


「まずい、はやくワシに石を! ワシを信じるのじゃ!」


 迷った末、タマは鉄格子の間から老人の声の方めがけて石を放り投げた。石を受け取った瞬間だけ、相手の顔が石に照らされて見えた。ボウボウの白髪に、白いヒゲでモジャモジャのかなり高齢の男性だったが、威厳があるように見えた。


 相手は石を体にかくすと、寝たふりをしておとなしくなった。

 タマも元の位置に戻り、膝を抱えてうずくまった。


 足音がすぐそばまで近づいてきて、命令する声が聞こえた。


「ここだ。調べろ。」


 松明を持った兵士が二人、牢を開けて入ってきた。兵士はタマを乱暴に床におしつけると、服の上から体を探り、ポケットの中も全て調べた。タマは無言で耐えた。


 兵士は念のためか牢内もくまなく探してから報告した。


「軍事顧問殿、何もありません。」


 軍事顧問と呼ばれた者は疑問を口にした。


「そんなはずはないが…。」


「脱がせますか。」


 兵士の提案にタマは身を固くした。


「いや、もういい。お前たちは下がれ。」


 兵士たちは去り、牢の前には黒いフードの人物だけが松明を持ってタマを見下ろしていた。


 タマはゆっくりと半身を起こすと着衣を直し、帽子をかぶりながら相手を観察した。


(この人…暗くてよくわからないけど…見覚えがあるような…?)


 しばらく無言が続いた後、フードの男が口を開いた。


「猫目石をどこへ隠した。」


「…なんのこと? わからないよ。」


 男は、タマをあざけるように言った。


「ムダだ。貴様が石を持っていたのは知っている。」


「あなたの勘違いね。」


 男はタマを見下した。


「この世界を理解もできない馬鹿な警官…。交番ごっこで死刑になりたいのか。」


「本官が…死刑!?」


 驚いて立ち上がりかけたタマに、フードの奥から冷たく声が響いた。


「帝国の法を無視し、勝手に警察ごっこなどをするからだ。手柄をたてたとでも思ったのか? 貴様は帝国の面子をつぶして不興を買ったのだ。」


「そんな…市民はみんな困っていたのに。」


「民意など、ここでは関係ないのだ。俺のひとことでどちらにでもできる。死刑か、解放か。選べ。」


 相手はフードをゆっくりと片方の手で外し、顔を見せた。

 

「あ…! あなたは…。やっぱり、あの時のトラックの爆弾魔!」


 タマは鉄格子に飛びついた。

 男は冷笑で応じた。


「私は爆弾魔ではない。改革者だ。」


 タマは相手をさえぎった。


「あなたは何を言ってるの? それが小学校を爆破する理由になるわけ?」


 爆弾魔はタマを無視して淡々と続けた。


「幸いにして帝国王宮には無数に猫目石に関する文献があり、ゆっくりと調べる事ができた。あの爆発を生き延び、この異世界に来れたのは石の力だろう。隠してもムダだ。もう一度聞く、石はどこだ。」


 タマは逆に相手を問いただした。


「いったいあなたは何を企んでいるの? 犯罪行為なら、本官は警察官として全力であなたを逮捕するよ。」


 男は冷笑から哄笑に転じた。


「ははは! 警察官だと? 良いことを教えてやろう。私も元は警察官だったのだ。」


 タマはその言葉に衝撃を受けた。


「うそ…。元警官なのにどうして…。」


「…私は常に…子供の頃から…社会や他者から疎外されてきた。だが親も、教師も、学校も、役所も、誰も俺を救ってはくれなかった…。」


「あなたが言う『疎外』って…『いじめ』のこと?」


「そう思うならそれで良い。私は疎外から逃れるためには権力の側に立てば良いと考えたのだ。」


「…そんな理由で警察官に?」


「だが警察組織の中でも私は疎外された。だから…、私は…上司を拳銃で撃って逃亡したのだ。」


 その告白に、タマは更に激しい衝撃を受けた。ふるえる声でタマは聞いた。


「まさか…あなたが撃った上司って…?」


 男はまた冷笑しながら言った。


「もうそんな過去のつまらないことはどうでも良い。俺にはどうしてもあの石が必要だ。言う気はないか。まあいい、どうせ貴様の仲間が持っているのだろう。捕まえてしめあげてやる。」


 それだけ言い残すと、またフードを被り直し、男は去っていった。


 辺りが暗闇に戻る中、タマはその場にしゃがみこんでしまった。




「落ち込んでおるのか…? タミーの孫よ。」


 また老人の声がした。

 タマはヤケになって言った。


「今、落ち込む以外に何ができるの? それと、本官のおばあちゃんはタミーじゃなくて香箱タミエだよ…。」


 老人はタマの言葉を聞いているのかいないのか、喋り続けた。


「タミーの孫ならあのような者に負けるな! あやつを止められるのはお前さんだけじゃ! ほれ!」


 正面から猫目石が放り投げられて返ってきた。


「タミーは常にお前さんのそばにおる! それに、お前さんならきっと、心強い友がいるじゃろう! 友を信じて、明るくふるまえ! あきらめない者に、道は開くのじゃ!」


 タマは石を拾って慎重にポケットに入れた。


「そうだね、なんだか元気がでてきた! 本官は元気だけがとりえだもんね! ありがとう! おじいさん。ところでおじいさんは誰なの?」


「ワシか? ワシはな…」


 相手が何かを言いかけた時、また足音がして兵士が檻の前にやってきた。


 兵士はタマに冷酷に宣告した。


「軍事顧問殿の命により、これからお前を処刑場まで連れて行く!」

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