第15話

 あまりにも忙しすぎた一日を過ごした翌日、俺は憂鬱な気分で目覚めた。


 昨日同様、俺の枕元には悪魔図鑑そして体の上で気持ちよさそうに眠るカーラがいた。もしも目覚めたときにこいつらがいなくなっていれば、俺は長い夢でも見ていたのだ、と、感傷に浸りながら再び平穏な生活に戻ることができたかもしれない。

 だが、こいつらがいるということは俺はもう混沌の世界へと足を踏み入れなくてはならないということだ。


 あぁ憂鬱だ。自ら混沌へと足を踏み入れるなど、その先に愛しい姫がいるくらいじゃないと割に合わない。

 もちろんだが、俺に愛しの姫などいないしかっこいいナイトでもない。顔のないただの野郎だ。


 そして、そんな顔のない野郎が悪魔図鑑とかいう、願いが叶うかどうかもわからないものに手を出そうってもんなんだから、どうかしている。

 だが、財産を失った俺にできる事といえば、就職活動か悪魔図鑑完成によるなんでも願いをかなえられる権利を得ることの二択となっているのも現実だ。


 勿論就職活動なんてやったところで意味がないのはこの半年で学んだ忌々しき教訓であり、俺に残されたのは悪魔図鑑の完成で顔か金銀財宝を手に入れることしかないわけだ。

 憂鬱だ、そもそもどれほどの悪魔がいるかすら知らされていないわけであり、肝心の悪魔図鑑とやらは記憶を失っているという始末。本当に俺はこいつを完成させるために動いた方がいいのだろうか?


「くそったれだなこの野郎」

「あの、なんと申したらよろしいのかわかりませんが随分なご挨拶ですね主様」


 思わず出た言葉に悪魔図鑑が反応した、どうやらこいつも起きていたようだ。そもそもこいつはどれくらい睡眠してどれくらいの時間に起床しているのだろうか。


「なんだ、起きていたのか悪魔図鑑」

「はい」


「なら俺に挨拶でもしたらどうだ、主に挨拶なしとは何事だ」

「私は主様の所有物というだけであって召使いでも何でもありません、ですから仰々しく挨拶するのはどうかと思われるのですが」


「ほぉ、じゃあ召使い云々は無しにしてこれからは普通に挨拶しろ」

「主様は挨拶というものにこだわりがあるのですか?」


「違う、お前の状態を少しでも確認を取りたいだけだ、つまり、今しがた口にした独り言をお前に聞かれたくないのだ、少しは察したらどうだ」

「そうですか、では挨拶はキチンとすることにします」


 二日連続朝から喋る本との会話、これから先この異常なやり取りが続くかもしれないと思うと俺は三度目の憂鬱になった。

 まぁ、カーラのかわいい寝顔を見れるお陰で、多少の口直しにはなっているが、こいつも目覚めるとそれなりに厄介なのがなんとも残念なところだ。


「そんな事より悪魔図鑑の完成だが、どうやって悪魔を見つける?」

「ご安心ください、この都で反応を示す悪魔のところへと案内します」


「悪魔図鑑というよりは悪魔発見機だな、記憶はなくとも悪魔がいるところはわかるというのか」

「はい」


 そうして、財産のほとんどを失った俺は悪魔図鑑の案内の元、この都にいるという悪魔を探しにとある公園にやってきていた。

 カーラはまだ眠っていたということと、あいつがいると色々と厄介なので家で留守番するようメモを置いておいた。


 あと、家の施錠をがちがちにして内からも外からも出られない状況を作り出しカーラの安全と自宅の安全を完全に確保した。

 もちろんカーラが快適に留守番できるようにおいしいパンやフルーツを取りそろえるという、まるで王に仕える側近の如く尽くしてやった。

 そんな万全の状態で乗り込んだ公園ではギャーギャーとやかましい声を上げる少年たちがいた、どう見ても悪ガキ集団だ。


 そんなうるさい奴らは、何やら小さな人を取り囲んでいた。


 見るからに少女に見えるそれは黒髪ツインテールでサングラスをかけていた。おまけに衣服は冬服マフラーやらなんやら着けており、とても暖かそうな服装だったが、春にあの服装は暑いだろう。

 そんな、背丈と恰好が異常に思える個性あふれるいい少女だが、この様子からして彼女は悪ガキにからかわれたりしているようだ。


「かわいそうに、今すぐあのクソガキを投げ飛ばしてあの子を助けてやらないと」

「お見事です主様」


 突如として声を上げる悪魔図鑑、こいつは外だというのに平然とでかい声を出しやがって、これでまた俺への印象が悪くなったらどうするつもりなのだろうか?

 ただでさえ顔がないやつだというのに今度は喋る本まで出てきたのかなんて思われたら、本当にこの都からつまみ出されそうだ。


「何を言い出すかと思えば、何がお見事なんだ?」

「とても素晴らしい洞察力ですね主様、まさか彼女が悪魔だとわかっていたのですか?」


「なにっ、あの子が悪魔なのか?」

「はい、私のスピンもといブックマークもといしおりがビンビンに反応しているでしょう?」


 悪魔図鑑はビンビンにそそりたつスピンを俺の顔に寄せてきた。どうやらこいつがそそりたつと悪魔がいるということらしい。


「あぁ、立派にそそり立っているな」

「えぇ、立派なものでしょう」


 なぜか自慢げに言う悪魔図鑑はよそにすぐに悪がきを一掃することにした。


 今日は悪魔図鑑と二人ということもあってスムーズに事が進むといいのだが、どうにも少年というのは非常に厄介なものである。

 動物に例えるなら犬、こいつらはワンワンギャーギャーとうるさいのだがいがいと人懐っこかったりしてかわいかったりかわいくなかったりと、どうにも甲乙つけがたい存在だ。


「おいガキども」


 悪ガキ集団に声をかけると少年たちは皆して俺を見上げてきた。ぽかんと口を開けて俺を見上げる少年たちは実にマヌケだった。そして子ども達は一斉に「うわぁっ」という声を上げた。


「で、出たなカオナシお化け―」

「お化けではないっ、黙れ小僧っ」

「うわっお化けが怒った、逃げろ食われるぞーっ」


 そういうと少年たちは一目散に俺の元から逃げて行ってしまった。何もしなくてもどこかへ逃げて行ってくれるのは非常にありがたいが、こんな言われ方をされては何ともつらいものがある。

 やはり顔というものは重要だな、望むべきは金よりも顔だろうか。そうすりゃ顔とこのスタイルで金くらいは荒稼ぎできそうだからな。


 いや今はそんな事よりもこの目の前にいる少女の相手だ。


「おい大丈夫か」

「大丈夫」


 厚着をした上サングラス、大の大人がすれば即刻事情聴取されそうな格好の少女は腹を空かせているのかグルグルと空腹を知らせる音を響かせた。

 まったく俺が出会う奴はみな腹をすかせているのはなぜだろう、だがグッドコミュニケーションを図るに最高の状況だ、なにせここに来るまでの間にパン屋で新商品のクリメロンパンを買ってきたばかりだからな、こいつをやればイチコロだろう。


「腹が減っているのか」

「うん・・・・・・あれ、お兄ちゃん顔がない」


 俺の事をお兄ちゃんと呼ぶ、これはつまり無条件的に天使という判断をするのが俺の中にある基準だ。カーラの時もそうだったが悪魔というやつは基本第一印象はいいやつなのだろうか?


「あぁそうだ、怖いか?」

「ううん怖くないの」


「そうか、そりゃあよかった」

「うん」


 まぁカーラも俺を見て驚きはしていなかった気がするが、悪魔というやつはこれくらいの事じゃ驚かない肝っ玉が備わっているのだろう。

 あるいは怖いという感情すら備わっていないというか悪魔だから生命の危機を感じないとかそういうものなのかもしれない。


「所で腹が減っているのか?」

「うん」


「お父さんやお母さんはどうした?」

「お父さん、お母さん?」


「一人なのか?」

「一人なの」


 口数は少ないが返答は真面目そのものだ、しかし恰好が少女のそれではなくどうしてそんな厚着をしている理由が全く分からなかった。

 ただ、厚着はしていても暑がっている様子はなく寒がっている様子も見えない、不思議が不思議をよび困惑が俺の脳内を支配していく中、とにかく俺は目の前の少女にメロンパンを与えることにした。


「そうだ、さっき買ったばかりのメロンパンがあるんだが食うか?」

「・・・・・・」


 少し警戒したのか俺とメロンパンを交互に見つつ最終的に俺をじっと見つめてきた。その反応は俺と出会った時にするべき反応なのだろう。


「どうした、いらないのか?」

「くれるの?」


「腹を空かせているんだろう、やろう」

「本当なの?」


「本当だ、こう見えても俺は優しく真面目な奴として世間で知れている、変なことはしないから安心しろ」

「でもさっきお化けって言われてたの」


「ち、違うお化けといっても俺は優しいお化けだ、腹をすかせた奴にパンを分け与えるそんなお化けだ」

「優しいお化け?」


「と、とにかく食え、腹が減っているんだろう?」

「うん、じゃあいただきますなの」


 すこし警戒されてはいるものの、空腹に耐えかねた様子の幼女はメロンパンを受け取った。

 そして、小さな口をめいっぱい開けてメロンパンにかぶりつきもぐもぐとかわいらしい姿を見せてくれた。そんないとおしい姿を見せてくれる幼女はよほど腹が減っていたのかもぐもぐと食事を進めあっという間に半分を平らげると突然食べるのを止めた。そして俺の事を見つめてきた。


「お兄ちゃん」

「なんだ」


「お兄ちゃん優しい、好きなの」

「・・・・・・な、なんだって?」


「お兄ちゃん優しいから好きなの」

「そ、そうかそう思ってくれるのなら俺もうれしいぞ」


 思わず口がにやけそうになったが左手にいる悪魔図鑑が俺の事を凝視しているようで俺は顔を緩めることができなかった。


「所でお兄ちゃん」

「なんだ」


「ミーは一人なの」

「あぁ」

「ミーは一人でここに来て、楽しそうな声がする方へいってみたら知らない男の子にバカにされて、とってもとっても・・・・・・」


 少し震えた様子を見せる少女、あぁこんなにもかわいいいきものがかつて存在しただろうか。こいつはカーラにも引けを取らぬ素晴らしき逸材だ、もう今すぐにでもこいつを養子にしてかわいい服や、頭が良くなる本を読ませてやりたい。


「あぁ怖かったんだなそうかそうか、それなら俺がお前を養子として受け入れてやるから心配するな」

「蹴り飛ばしてやりたかったの」


 何やらおかしな言葉が聞こえてきた。それは俺の耳が正常ならば確かに「蹴り飛ばしてやりたかったの」と言った。


「・・・・・・ん?」

「生意気なことばかり言うし今にも私の手足があいつらの頭を吹き飛ばすところだったの、本当に危なかったの」


「・・・・・・え?」

「もう少しで蹴り飛ばしてしまうところでお兄ちゃんが来てくれたからあの子たちは命拾いしたの、良かったの」


 そうだこいつは悪魔だったのだ。カーラという前例を知っていてしかも悪魔図鑑から悪魔認定をされていたはずなのに、どうにもかわいらしい姿に心を乱されていたようだ。


「あ、あぁそうだったのか、そうか蹴り飛ばしたかったのか」

「うん、でもよかったのあんまり暴力とか好きじゃないの」


「そ、そうなのか」

「うん、でもむかむかするとついやっちゃいそうになるの」


 ついやっちゃう、だなんてかわいい言い方にも聞こえるがこいつはなかなかどうして暴力女の素質があるようだ。こいつもまたカーラのように厄介な癖を持った幼女のようだ。


「あっ」


 と、ここで悪魔図鑑が声を上げその声に敏感に反応した幼女は俺の事を見つめてきた。少女の頬にはメロンパンの食べかすがついており、今すぐにでもそいつをつまみ食いしてやりたい。


「お兄ちゃん、今何か聞こえたの」

「い、いや何でもないが少し席を外す、今聞こえた声は気にしなくていいからそのメロンパンをゆっくり味わっているんだ、いいな」

「うん、ありがとうなの」


 ベンチから離れて突然話しかけてきた悪魔図鑑を少し小突くと、まるで痛覚が存在するかのように「痛いです」と言った。


「突然何をされるのですか主様、痛いじゃありませんか」

「本に痛覚なんてものがあるわけないだろう、バカめ」


「あります、それより彼女は悪魔ですから今すぐキャプチャーしましょう、これでミッションコンプリートです」

「待て、ここにいる少女は今パンを食べている、この様をみすみす逃すわけにはいかないに決まっているだろう、ほら見てみろ、あの小さな口で大きなものを貪る姿、あんなに美しい光景他にないっ」

「主様という人はどこまでもおかしな人ですね」


「おかしくないしキャプチャーとやらはもう少し待て」

「どうしてですか」


「いいか、急がば回れという言葉があるようにせいてはことを仕損じる。何事も慎重に安全に足元からじっくりと行くのが正解だ」

「そうですか、主様がそういうのでしたら」


「じゃあついでに聞くが、悪魔というのは一体とは限らないのか?」

「と、言いますと?」


「例えばだな豚という生き物がいるだろう」

「はい」


「あいつらは子孫繁栄を繰り返すから豚という存在が多数存在しているだろう」

「はい」


「つまり豚と同じくカーラのような悪魔が何体もいるということか?」

「いいえ、カーラ様は特別なので彼女は唯一の存在です」


「あれが特別?」

「はい、私の記憶の限りでは吸血姫は最上級の悪魔です」


「ふざけるな、あんな奴が悪魔の最上級に君臨してみろ世界から甘いパンがなくなってしまうぞ」

「・・・・・・それは知りませんが、とにかくカーラ様はオンリーワンです」


「じゃあここにいる少女はどうなんだ」

「分かりません」


「は?」

「キャプチャーしないことにはわかりません」


「あ、あぁそうだったな、お前は本のくせに記憶をなくす奴だったなこの役立たずめ」

「はい、なので今すぐキャプチャーをさせていただきたいです」


「だから、待てと言っているだろう悪魔図鑑」

「どうしてでしょう?」


「見てみろあの美しい光景を、あの素晴らしい光景を壊すなんて俺にはできないし何者にもさせない」

「あ、あのそろそろよろしいのでは?」


「いやだめだ」

「主様・・・・・・」


「あぁっ、見てみろ悪魔図鑑っ」

「な、なんですか突然」


「ほら見ろ、メロンパンというものは基本的にカリカリとした部分を楽しむためだけのものといってもいいものなのだ、分かるな」

「はぁ」


「だが、あの少女はその一番おいしい部分を残して食べるといういやらしい食べ方をするわけではなく均等に食べている、しかもあの小さな口でだ。

 あの小さな口を使って、まるで兎のようにモキュモキュ食べる姿というものは世界のどんな絶景よりも心癒される素晴らしき光景だ。

 そして、俺はあのような姿を見せてくれている少女にお前を投げつけ触手でウジャらせようなんてことはできないっ」

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