第6話

 脱獄中、どういうわけか警備も薄く何も騒ぎにならないあたり、やはりこのカーラという少女の力が恐るべきものだと認識できた。

 そして、それと同時にカーラがとてつもなく危険人物である事に恐怖を覚えた。そうして、脱兎のごとく逃げ延び、自宅付近まで来たところで足を止めた。


「なんだ簡単に脱獄できるじゃないか、何が最高戦力都市だ、所詮はこの程度のようだな」

「お兄さん走るの凄い早いね、びっくりしたぁ」


「当り前だ、俺は顔がないということ以外はパーフェクトな男だからな、これくらいの事は朝飯前だ、ほらもう自分で歩けっ」

「えー、もうちょっとふわふわしてたいよ」


「なにがふわふわだ、それにだ俺は犬の散歩に行くといって犬を抱っこしてやがるような奴が大嫌いなんだ、そして今の状況がそれに酷似している、だから一人で歩けっ」

「何言ってるかわからないよ、お兄さん」


「いいから家に帰るぞお前ら」

「え、ちょっと待ってお兄さん」


「なんだ?」

「私もお兄さんの家に帰っていいの?」


 カーラはきょとんとした様子でそう言い、だらしなく口をぽかんと開けていた。ここまでしておいてまさかもう一度捨てられるとでも思っていたのだろうか?


「おい、お前は何のために俺をあんな牢獄にぶち込んだんだ」

「え?」


「お前をまた家の外にでも追いやろうものなら、俺は牢獄どころかない首までも飛ばされかねんからな、しかたないからお前を俺の家に入れてやる、特別だ」

「素晴らしい判断ですね主様、主様はわかってくれる人だと思っていましたよ」


 唐突に俺を褒めた悪魔図鑑は、まるでホタテか何かのようにパタパタとしながら俺のもとへと飛んでくると、俺の手元に収まってきた。


「まるでホタテだな」

「主様、そこは華麗な蝶といってもらえませんか、表現力が迷子になっていますよ」


「うるさい、本なら本らしく黙っていろ悪魔図鑑、今の俺は少しおかしくなっているだけだ」

「そうですか失礼しました」


「あぁ黙っていろ」

「しかし主様、この悪魔図鑑、何度も主を変えてきましたが何でも願いの叶うという好条件、そしてこの珍しい悪魔辞典を簡単に手放す主なんて初めてでした」


「そうか、お前の初めての男になれてうれしいぞ悪魔図鑑、だがさっきの口ぶりはどうにも気に食わない、帰ったらお前を枕にして寝てやる」

「どうぞお好きになさってください」


「それから、カーラとやら」

「あっ、なになにお兄さんっ」


 名前を呼んだだけで嬉しそうに俺にすり寄ってくるカーラはニコニコとしていた。なつく理由がわからないが、サンドイッチをくれてやっただけでなつくというのなら、どうも危なっかしい奴でしかないな。


「名前を呼ばれたくらいで何を嬉しそうにしているんだ」

「嬉しいよっ」


「理解できないな」

「どうして、お兄さんだって名前を呼ばれたら・・・・・・ってあれ、そういえば私はお兄さんの名前知らないよ」


「そんなことはどうでもいい」

「えー、お兄さんの名前って何ていうの教えて」


「だからそんなものはどうでもいいといっているだろう」

「主様はどうしてかたくなに名前を教えてくださらないのですか、悪魔図鑑も主様の名前を知りたいです」


 黙れといったそばからこの喋り様、もう注意したところでどうにもならないのかもしれない、かといって口をふさごうと思っても、こいつの口がどこだかわからない、なんとも気に食わないやつだ。


「でしょ、図鑑ちゃんも知りたいよね」

「はいカーラ様と同じ気持ちです」


 そうしてカーラと悪魔図鑑は俺に向かって「知りたい知りたい」と何度も訴えかけてきた。カーラはまだしも、悪魔図鑑の奴までこんな子どもじみたことをするのかと苛立ちを覚えたが、これ以上面倒ごとを増やさないために俺はさっさと名前について教えてやることに決めた。


「そうか、そんなに俺の名前が知りたいのか」

「うん、教えてお兄さん」


「あぁ、教えてやろう、いいかよく聞けよ」

「うん」


「俺に名前などない、以上っ」

「えーっ」


「悪いがあまりこのことについて話たくないんだ、ほっといてくれ」

「えー、名前がないってどうして?ねぇ、どうして?」


「どうしてもくそもあるか、名前がないんだから無いでいいだろう、あともうすぐ8時を回ろうとしている」

「それがどうかしたの?」


「俺はいつも7時には必ず食事をとっているんだ、このゴールデンタイムに食事をとらなければ俺は気が済まない、だから早く帰るぞっ」

「え、えーっ」


 名前が無いのは意外にも不便だが、名前を呼ばれる生活をしてこなかったものだから気にもしなかった。

 今は、こうしてやっかいな少女とおかしな本に囲まれたせいで名前を必要とされているが、本当に名前がないのだからこの会話を成立させることはできない。

 その上、俺がどんな名前なんてのはまるで記憶にもないし、中二病のように自分で名前を考えるていうのも嫌だ。

 だから、今日の今日まで自らの事を名乗ることもしなかった。


 だがこれでいい、顔もないようなやつが名前なんてそれこそ笑いものだ、名前なんてのはないくらいがいいのさ・・・・・・特に俺のような奴はな。 

 自宅に戻ると玄関は兵士の足跡だらけだった。家の中も荒らされており、なんともはた迷惑な事件だったと思いつつ、キッチンに置いてあった晩御飯の食材は無事であり、俺はすぐさま料理を再開することにした。


 料理をしている間、妙に静かなカーラと悪魔図鑑は俺の視界に一度も現れることなく、料理が出来上がった頃にまるで待ってましたと言わんばかりカーラと悪魔図鑑が姿を現した。

 すると、現れたカーラの手には俺がいつぞやに買った被り物や帽子をたくさん持っていた。


「ねぇねぇ、お兄さんこの帽子は何?」

「おいカーラ、お前俺の部屋に勝手に入ったな」


 そういうとカーラは怒られるとでも思ったのか、少しぼうぜんとした様子で立ちつくした。その様子がたまらなくかわいかったのは口には出さないが、仕方ないから食後にプリンでも食わせてやろう。


「ご、ごめんなさい、でもとっても気になったから」

「そうか」


「う、うん、それでこれは何なのお兄さん?」

「あぁ、それはこの失われた頭部を隠す事で必死になっていた時、たまたま現れた「かぶり物専門の販売屋」が無理やり売りつけてきたものだ。訪問販売のセールストークがあまりにうまくてついつい買ってしまったのだ、そう気まぐれにな」


 決して気に入ったわわけではないという釈明を試みたが何やら悪魔図鑑が俺の事をジトッとした目で見てきているように思えた。そう、目なんてないはずなのにそんな視線を感じた。


「ねぇお兄さん」

「なんだ」


「私これほしいっ」

「は?」


 そこには黒い猫耳帽子をかぶったカーラの姿があった。とても似合うカーラを前に思わず呆然としていると、カーラは嬉しそうに歩み寄ってきた。


「えへへ、これはなかなかいいものだよお兄さん、私にしっくりくるよ」

「そうか」


 確かに似合う、カーラはまるで小さな魔女でありその様子はあまりにも愛おしく抱きしめたやりたくなる程だった。


「えへへどう?」


 カーラは嬉しそうに笑いながらその場でクルクルと回って見せた。


「お、お前にくれてやる、俺にはもう必要のないものだ」

「やったー、これもう私のお気に入りー」


 そうしてやたらと喜ぶローラと共に俺の奇妙な一日は幕を閉じた。


 この異世界へとやってきてから、ろくに出会いという出会いがなかっただけに、今日と言う日がようやく俺の物語のスタート地点なのかもしれないと思えた日だった。 


 翌日。

 

 目が覚めると後頭部から「おはようございます」という声が聞こえてきた。この世界で初めて体験するモーニングコールに、すかさず身体を起こした。

 枕元に目をやるとそこには悪魔図鑑があった、よもや、こいつから声が発せられているだなんて、世間ではいいふらせないだろう。だが、事実である以上俺はこの目も口も耳もないはずの本に朝一番から文句を言いたくなった。


「最悪のモーニングコールだ悪魔図鑑」

「ではどのようなものをお望みですか?」


「本のおまえがそんなことを気にするな、本なら本らしくおとなしく枕になっているかページをめくる美しい音色をたてていればいい」

「そうですか」


「あぁ、それから朝一番からこんな質問どうかと思うが、お前は寝ているのか?」

「勿論です、悪魔図鑑にも寝る権利はあります」


「そうか」

「はい」


 本当に早朝からする質問ではなかったが、そんな事より昨日の出来事が夢ではなかったことにとても残念に思っている。

 夢であればこれからも平穏な生活を満喫することができただろう、だが俺の視界には床で気持ちよさそうに眠るカーラの姿がしっかり映し出されていた。


 随分と寝相が悪いのか乱れた衣服からのぞくカーラの白い肌、その美しき肌をしっかりを目に焼き付けた後、お腹が冷えないように衣服を整えソファに寝かせた。

 こうしてやっても一向に起きる気配のないローラを横目に俺は朝食の用意を始めることにした。


 今日も天気が良く気持ちの良い朝だ。人間とは違い、いつも窓際へとやってきてくれる小鳥たちに朝の挨拶をしてパンくず与えていると、パンの匂いか小鳥のさえずりに目を覚ましたのか、カーラがぺたぺたと俺のもとへとやってきた。


「おはようお兄さん、なんだかいい匂いがする」

「そりゃそうだ、朝食のパンを焼いているのだからな」


「パン、私パン好きだよ」

「そうかそりゃよかったな、だがおまえの分のパンはないぞローラ」


 俺は最低限の食量しか備蓄していない。


 それこそ俺がいつでも居候の受け入れ体制を整える妄想野郎であれば別の話だが、独身の俺が誰かさんのための余分な食料は置いていない。

 つまり住人が増えたとはいえ、そいつの分の食料などはこの家に存在していない、これは決して冷たい人間とかそういうのではなく、普通に仕方がないの事なのだ。


「えぇっ、お兄さんだけ食べるの?」

「勿論だ」


「ずるいー、お兄さん昨日私にサンドイッチくれたのにどうして今日はくれないのー?」

「そんなものお前の分のパンを買っていないからに決まっているからだろう、俺は昨日まで一人暮らしだったんだぞ文句を言うな」


「えー、じゃあお兄さんが食べるの分けて欲しい」

「ダメだ、こいつは俺のだ」


 俺はローラにかまわず焼けたパンとコーヒー、ベーコンエッグにサラダを食卓に置いた。いつ見ても朝食というものはこうあるべきだと思える料理を前に俺はいつも朝食を始める。

 周りにうるさいやつが増えてしまったはいるものの、朝食がおいしいことに変わりはない、そう思いながら紅茶を傾け差し込む朝の日の光を眺めていると視界にローラが入り込んできた。


「なんだお前は、せっかくの朝食を邪魔するんじゃない」

「お兄さん私お腹すいた」


「お前の腹の具合なんてどーでもいい、静かにしていろ」

「また兵士さん呼ぶっ」


「なっ、この俺を脅すというのかお前は」

「ふふん、おどすよ、究極に脅すよ」


 カーラは俺の動揺を悟ったのか、まさに「してやったり」の表情を見せた。相変わらずこいつは子ども特有のいたずらごころを持ち合わせているようだ。


「こいつめ」

「さぁお兄さん、早いところその食べかけのパンを私に頂戴、そしたら兵士さんは呼ばないよーん」


「なるほどなぁ」

「ほらお兄さんはやく、パンパンパンパンパーン」


 うっとおしすぎる、今すぐにでもこいつの柔らかそうなほっぺをグニグニしながら教育してやりたい。

 あるいは俺の部屋にある鬼の仮面でもかぶって驚かせてやりたい。だが、せっかくの朝食を邪魔されたという事もあり、少々機嫌が悪い、甘っちょろいやり方ではどうも満足できそうになさそうだ。


「まぁ待てカーラ」

「え、何?」


「あれだ、こう見えても俺はこの朝食が終わったらお前の分のパンも買いに行こうと思っていたんだぞ」

「えっ?」


「それもとびきりおいしいやつだ、俺が食べているカチカチの奴じゃなくてお前が好きそうな甘くてフワフワのおいしーいパンを買いに行ってやろうと思っていたんだ」

「わ、私甘いの好きだよ、ふわふわも好きだよっ」


「そうだろう、しかし今のお前の態度ではそんな気分ではなくなってきたなぁ、今日は家でゆっくりと本でも読んで過ごすとしようかなぁ」

「えーっ、パン買いに行こうよお兄さん」


「でもなぁ、お前の今の態度は非常に俺を不機嫌にさせているのを分かってい無いみたいだからな?」

「えっと、えーっと、あ、私何でもする、お兄さんの言うこと何でも聞くからパンほしい」


「何でも?」

「うん」


「言ったなカーラ、なんでもすると」

「うん言った、だからパンを」


「ふはははは、では跪け跪くのだカーラッ」

「へ?」


「土下座して俺に懇願しろ「お兄さんパンがほしいですお願いします」とな、そうしたらお前の望む通り甘くておいしいパンを買ってやろう。

 ちなみに土下座とは地面に正座し頭を下げる行為だ、さぁ土下座しろ生意気な少女よ、そして俺に懇願するのだーっはっはっはぁ」


 おふざけが過ぎている事はわかっているが、どうにも気に食わないこの少女をからかってやりたい気持ちには逆らえない俺は高らかに笑った。


 自分でもおかしなことをしているとは思いつつもからかうことの楽しさはやめようと思ってもやめられないものだ。

 そう、それが例え幼女であろうともだ、だがそんな馬鹿な考えが神にでも伝わったのか突如として俺の腹部に何かがぶつかってきたのを感じた。


「ぐわぁっ」


 何かがぶつかってきた感覚と痛みに悶えつつ、一体何がぶつかってきたのか当たりを見渡すと、目の前にパタパタと飛んでいる悪魔図鑑の姿があった。

 どうやらこいつの仕業のようで悪魔図鑑はひらひらと俺をおちょくるかのように飛び回った。


「く、くそぉ、お前か悪魔図鑑」

「主様、少々おふざけが過ぎているのではありませんか?」


「どういう意味だ」

「少女を跪かせて喜ぶのはかなり悪趣味だと言っているのです」


「じょ、冗談に決まっているだろう、少しからかっただけだそんなこともわからないのかお前は、ちょっとした「しつけ」というやつだ」

「いいえ、カーラ様は本当に跪こうとしていますよ、しかも今にも泣きだしそうな様子で、ほら見てください」

「うぅ、土下座したら甘いパンを買ってもらえるんだよね」


 カーラは今にもその小さな身体をさらに小さくしようとしていた、その純粋すぎる姿に俺はすかさず彼女を抱き上げた。軽すぎる体を持ち上げるとカーラは涙目になりながら驚いた顔をしていた。


「分かった分かった今用意するから外に出る準備をしろ」

「え?」


「外に行く準備をしろ、お前のためにパンを買ってやるといっているんだ」

「ほんとっ」

「あぁ」


 俺の言葉にカーラは嬉しそうに笑った。そうして、せっかくの朝食をあっという間に済ませた俺はカーラと共に家を出る事になった。

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