第4話


 そういえばこの異世界にやってきた時に、俺の顔面に覆いかぶさっていた中身が白紙だけの使い道の分からない本があった。

 ちょうどいい枕になるからソファーに常備していたが、まさかこの本が喋ったとか言わないだろうな?

 ドキドキするような展開の中、俺はゆっくりとその本へ手を伸ばそうとしていると、突如としてその本が開かれた。

 

 そうして勢いよく開かれた本は、どういうわけか数多の触手を発現させた。初めて見る光景にあっけにとられていると、その触手はソファーで寝ている少女を捕食するかのように絡みつき始めた。


「な、なんだっ」


 すさまじい光景を前に一歩の動くことのできない俺は、目の前で繰り広げられる少女と触手の素晴らしきコンビネーションに目を奪われた。

 しかし、どうやら捕食しているようではなくまるで少女の全身をくまなく確かめるように動き回る触手の動きに、眠っていた少女は目が覚めたようだった。


「むぇっ、な、ななな、なにこれなにこれーっ」

「おぉ、目が覚めたか、だがもう少し我慢しているんだ、絶対に抵抗したりするんじゃないぞっ」


「なんでっ」

「あぁ、なんという光景だこんな光景見たことがないぞ、これこそ異世界の真骨頂じゃないかっ、俺はようやく異世界にやってこれたというわけかっ」


「にゃー、早く助けろお兄さんっ」

「いいぞもっとやれ触手、どうやらお前は生きている本というやつらしいな、私がこの世界にやってきてからというものの、利用価値のないまっさらな本だったが、ここにきてようやく使えるようになったか、でかしたぞ触手本っ」


「ちょっとー、お兄さん聞いてるーっ」

「悪いな、どうかそのままでいてくれないか、これを機に画家になる決心がついた」


「画家っ?」

「そうだな、まずは画材を買ってきてすぐにでもこの素晴らしくももおぞましい光景をデッサンしなければならない」


 そうして今まさに家を飛び出そうとしていると、「ぷぎゃっ」という間抜けな声が聞こえてきた。その声にすぐさま少女の方を見ると、そこには先ほどまで触手を出していた本とお尻をさする少女の姿があった。

 そして、触手本は力尽きたかのように、地面で本らしく微動だにしていなかった。


「いったーい、あれ、うねうねどっかいったよ」

「なんだ、力尽きたのか触手本よ」


 せっかく期待を寄せていた触手本を拾い上げると、それはわずかに動いているように思えた、かと思えば本から咳払いが聞こえてきた。 


「コホン、コホン」

「ん?」


「キューケツキが登録されました」

「はぁ?」

「登録が完了いたしました」


 今度ははっきり女性と思われる声が聞こえてきた。それは我が家に帰ってきてすぐに聞こえてきたおかしな声そのものであり、俺は先ほどの声の正体がこの奇妙な本であることに気付いた。


「な、なんだっ」

「おや、どうかされたのですか?」


「お、お前喋れるのかっ」

「はい、悪魔図鑑は最初の悪魔が登録されると発声ができるようになります、それによりあなたに伝えるべきことが話せるようになりました」


「俺に伝えるべき話?」

「はい、あなたのその無い頭について話をしたいのです」


「おい待て、おいっ」

「はい、どうされましたか?」


「その言い方じゃあ、まるで俺がポンコツのように聞こえるじゃないか」

「わかりました、ではその空っぽの」


「そ、そいつもだめだ、どうやらお前はよっぽど俺を怒らせたいらしいな」

「いえ、そんなことは」


「そもそもどうしてお前のようなただの本が喋っているんだ、こんなこと今までなかったぞ」

「そんなことよりもお名前をうかがってもよろしいでしょうか?」


「お前、俺との会話をぶった切るというのかぁ?」

「お名前をうかがってもよろしいでしょうかぁ?」


「どうでもいいだろうそんな事、なぜそんなことを聞く必要があるんだ、本の分際で生意気だぞ」

「ですが、名前を聞かないことには私の所有者であるあなたを呼ぶときに困ります」


「所有者、この俺がか?」

「はい、この悪魔図鑑はあなたの所有物です」


「ほぉ、俺の所有物とな」

「はい」


「悪いが、俺はお前を所有した覚えはない、お前はただ俺がここで目覚めた時に俺の『失われし頭部』の上に乗っかっていただけのまっさらな本だったろう」

「はい」


「だろう、そうだというのに何を俺の所有物になった気でいるんだお前は」

「と、申しますと?」


「いいか喋る本、俺はお前を所有したつもりはない、俺はお前をこの部屋にごまんとあるほこりのひとかけらの様にお前を認識している。

 それはつまり、俺がお前を所有しているという事にはつながらないわけであり、お前はそもそもこの家の中にあるただの誰かの遺物だ、違うかっ」

「・・・・・・そうですか、では主様と呼びましょう」


 どうやら俺との会話をするつもりはないようだ。このやり取りがこうなってしまうのは、おそらくどちらか一方が悪いのだろうが、ここで俺が悪いだなんてことは口が裂けても言えない。いや言ってやるものか、これは間違いなくこの本が俺をコケにしているに違いない。


「どうかされましたか主様、随分としけた面をしていますが気分でも悪いですか?」


 俺の顔など見えないくせにしけた思いをしていたことを見抜くとは、なんとも気分が悪い。


「もういい、それより悪魔図鑑というは一体どういうことだ」

「悪魔図鑑というのはこの世界に存在する悪魔を記録する本、つまり私の事です」


「ほぉ、それはなかなかにようやく異世界としての本領が発揮されているイベントを提供してくれているというわけか、随分と遅かったじゃないか」

「ですが、私はとある理由によりこの本の記憶をすべて失ってしまったのです」


「記憶を失う、本であるお前がか?」

「はい」


「ふははははっ、おかしな話だ、例え人が記憶が失ったとしても記録として後世に語り継がれるもの、それが本という存在の素晴らしいところじゃないか、それがお前ときたら人間のように記憶もとい、記録を失うっていうのか?」

「はい」


「おかしな話だ、そりゃこんな世界に来たものだから、おかしなことが起こっても悪くはないが、それにしたっておかしすぎる、お前はおかしいの方向性がずれまくっている、愚かしいにもほどがある」

「私は悪魔を記録する本なので、もともと世界に存在する悪魔がこの本に記載されていたのですが、すべての悪魔が死を迎えると、自動的に記録が失われる仕組みになっているのです」


「なに、悪魔も死ぬというのか?」

「死にます、しかし悪魔というのは現象です、だれにもその現象を根絶することはできませんし、この世から悪魔が消えたとしても、悪魔は再び現れるようになっています」


「ほぉ、なかなか興味深いな、それはつまりどこかの誰かがちょこっとした理由で旅立つことになり、挙句の果てには魔王を打ち倒し、現存する悪魔たちを根絶やすことに成功したとしても、この世界のどこかで必ず悪魔が自然発生するというのだな」

「はい、その自然発生は新たな悪魔を作り上げることになり、さらには過去に存在した悪魔も再びこの世にあらわれることになっています」


「おもしろい、面白いじゃないかっ」

「そして今は悪魔の転生期なのです」


「転生期?」

「はい、今の世界では多くの幼魔、つまりは幼い悪魔たちが続々とその力を目覚めさせています。そして、主様にはその幼い悪魔達の保護と情報収集、さらには良き悪魔になるための導き手になっていただきたいのです」


「俺が導き手?」

「はい、それがあなたがこの世界へとやってきたときに与えられた使命であり、そしてこの悪魔図鑑が完成すれば、その時あなたの願いがなんでも叶う権利が与えられることになっています」


「願いがなんでも叶う?」

「はい、ちなみに主様の頭がないのもそれが関係していると思われます」


「面白い冗談だな悪魔図鑑とやら、そんなおとぎ話のようなことを俺が信じるとでも思っているのか?」

「信じないのならそれで構いませんが、図鑑を完成させれば主様の空っぽの頭が戻ってくるかもしれません」


「し、所有物だと自称する奴が主をたきつける気かっ、あと空っぽという表現はおかしい、失われた頭部と言え悪魔図鑑」

「わかりました、失われた頭部をもつ主様」


「よろしい、で、悪魔図鑑とやらが言うには、ここにいる少女は悪魔だと認識していいってことだな」

「はい、彼女は間違いなく悪魔であり吸血姫に分類されるものです」

「私は悪魔じゃなーいっ」


 唐突にしゃべりだした少女はぷんすか怒りながら俺をにらみつけてきた。


 決して俺が言ったわけでもないのにずいぶんと怒った様子の少女は、よく見るととがった犬歯を持っていることに気づいた。なるほど、よく見れば吸血鬼とやらに見えなくもないかもしれない。


「急にしゃべるな、それよりもお前はやっぱり悪魔だったじゃないか」

「違うったら違うっ、悪魔じゃないっ」


「何を言っている、ここにいる悪魔図鑑がそういっているのだ、お前は悪魔だ間違いない」

「違う、それにお兄さんは私の事天使って言ったでしょ」

 

 確かに言った、だが、それは過去の話でありたとえ目の前にいる外見だけは天使のようにかわいいやつであろうとも、こいつが悪魔であることに変わりはないのだ。


「過去の事などどうでもいい、俺は未来を信じて生きるタイプだ」

「よくわかんないっ」


 知識が足りないのか、怒った様子で頬を膨らませる様子もまた愛おしい。


「それより悪魔図鑑、ここにいる少女はもうお前に登録されたのか?」

「はい、閲覧されますか?」


「見れるのか」

「勿論です」


「見せてみろ」

「どうぞ」


 そういうと悪魔図鑑は便利にページをぺらぺらとめくりながら白紙だった本にいつの間にか追加されたページを見せてくれた。そこには今ここにいる少女のデフォルメされたかわいらしいイラストと共に、レーダーチャートが描かれていた。


「おい悪魔図鑑」

「はい」


「なんだこの図は」

「それは悪魔のパラメータを表すものです。体力、知力、魔力といった要素、そして将来性や性格、危険性といった要素が記録されています」


「ほぉ」


 どうやらここにいる少女は吸血姫きゅうけつきと呼ばれる悪魔らしく、レーダーチャートによると魔力、将来性、危険性が上限の値を示しており、その他はすべて下限の値を示していた。何ともふり幅の激しいパラメーターであったが、どことなく納得できそうな情報だった。


「それで悪魔図鑑、登録された悪魔はどうするんだ」

「それは先ほども申し上げましたように幼き悪魔たちの良き導き手になっていただきたいのです。ですが、必ずということはありません、なので主様の好きにされればよろしいかと」


「そうか」

「ちなみに、悪魔の登録には私が実際に識別することにより完了しますので、悪魔を発見されましたら私を悪魔に近づけていただく必要があります、そうすればいずれはこの悪魔図鑑が完成し、主様の願いが叶うことになっています」


「ほぉ、近づければさっきのように触手が出てきて悪魔をこねくり回すのだな」

「はい」


「そうかそうか、じゃあ、とりあえずこの少女はその辺に捨ててこようか」

「えっ、なにっ、なんの話してるのお兄さん、私嫌な予感がするっ」


 なんだか慌てた様子の少女は身の危険を感じたのか、俺の足に抱き着いてきた。いつどこでこんな抵抗を覚えたのかわからないが、とにもかくにも面倒くさいことばかりが起こってしまっているこの状況は、どうにも俺を興ざめにさせていた。

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