第48話 あんただから

「女だから嫌われてるんじゃなくて、あんただから嫌われてるんだよ」






 高校生の時、クラスメイトに嫌な女がいた。

 そいつは一見、どこにでもいる、普通の女だった。


 だが、中身が最悪だった。


 どこからともなく噂を仕入れて、そいつに更に尾ひれをつけて、ところかまわず吹聴するのだ。


 中には完全に、彼女の思い込み――創作の噂話もあったに違いない。

 いや、もしかすると、彼女の捜索の噂話のほうが、多かったのではないだろうか。



 彼女いわく、自分はサバサバ系で、「黙らない女」らしいが、彼女のせいで、たくさんの人間が迷惑をこうむった。



「わたしが言ってるわけじゃないけどさ――」


 なんて、彼女が切り出し始めた瞬間、あたりの温度は一度下がり、ピンとした空気が張り詰めた。


 いわれのない罪で、指導室に呼び出された男の子の、なんと多かったことだろう。

 股がゆるいとかなんとか、彼氏に吹き込まれて、泣かされた女の子の、なんと多かったことだろう。



 彼女のせいで、不良のレッテルを貼られ、高校生活を台無しにされた生徒たちの、なんと多かったことだろう。



 おかげで彼女は、ついに孤立することになった。


 男の子はタバコを隠し持っていただとか、ケンカで他校の生徒を病院送りにしただとか言われてはたまらず、彼女を遠巻きにした。

 女の子はパパ活をしていただとか、彼氏の子供を身ごもって堕胎しただとか言われてはたまらず、愛想笑いしかしなくなった。



 彼女のまわりはまるでエアポケットのようになり、ほとんど毎日一人で過ごすことになった。



 それはそれで、ただの自業自得だ。

 これだけなら、ただ嫌な女が孤立しただけで、それだけだ。


 それはそれで、ただの自業自得だ。


 腫れ物を見ないふりすることで、学校に平和が訪れて、結構なことだ。



 だが、彼女はどこまでいっても最低の女だった。



 なんと、自業自得で孤立したのに、いじめられていると主張を始めた。



 わたしはなにもしていないのに、男子も女子も、クラスメイトが無視をするのだと言い始めた。



 そしてそれを、担任の先生が真に受ける。


 あろうことか、彼女は、先生たちには優等生として認識されていた。


 たしかに彼女は成績もよく、無遅刻無欠席を通していたが、よく化けたものだ。

 面の皮一枚ひん剥けば、根も葉もない嘘で他人を陥れる悪魔なのだが、その面の皮はいったいどれだけ分厚かったのだろうか。


 ロングホームルームで、彼女のいじめを取り除くべく、クラス会が行われる。


 本来はその時間は、文化祭の出し物決めるはずで、クラスは今年こそは喫茶店をやるんだと張り切っていたのだが、台無しになった。

 このままでは、地元の郷土史をまとめた、つまらない展示を文化祭でやらされそうだが、しかし誰も抵抗できなかった。



 なんとか仮初めの平和を享受していたのに、藪をつついて蛇を出す真似はしたくなかった。



「わたしが女なのに、間違ったことを黙っていられないからだと思います」


 いじめの原因を、彼女は分析し、言った。


 よくも言えたものだと、クラス中の人間が、思った。

 おまえが無視されているのは、嘘つきの性悪女だからだと、クラス中の人間が思った。


 しかし、先生は彼女の言葉を、真に受ける。


 だって、彼女は成績優秀で、無遅刻無欠席で、なんでも言うことを聞いてくれる優等生だからだ。



 だから先生は、このクラスにはいじめがあると、彼女が責任感があるばっかりに、クラスメイト全員から無視されていると、信じてしまった。



 しかしそれでも、先生は目がくらんでいても、まともなほうだったと思う。

 なぜならば、きちんとわたしたちにも、弁明の機会をくれたのだ。



 彼女がいじめられているのは本当なのか、本当なら理由はなんなのか、情状酌量の余地はあるのか、クラス全体に問いただした。



 しかし、誰も答えない。


 それはそうだ。


 誰だって、藪の中の蛇に噛みつかれたくはないのだ。

 しかもその蛇ときたら、毒を持っていて、毒が回ればどうなるかわからないのだ。


 男子は他校の生徒をケンカで病院送りにしたことにされ、女子はパパ活で妊娠して堕胎したことにされ、高校生活を台無しにされるのだ。


 誰だって、藪の中の蛇に噛みつかれたくはないのだ。



 しかもその蛇ときたら、毒を持っていて、毒が回ればどうなるかわからないのだ。



 高校生活を、いや、もしかしたらこれからの人生すべてを台無しにされ、一生暗がりで過ごすことになりかねないのだ。



 はたして、時間は過ぎていく。


 楽しみだった、文化祭の出し物は決まらず、しんとした中で壁掛け時計の音だけが響く。


 はたして、時間は過ぎていく。



 今年こそはと、張り切っていた喫茶店が遠ざかり、つまらない郷土史の展示が近づいてくる。



 彼女はというと、勝ち誇った顔だった。

 ほらご覧、わたしに逆らうからこうなるのよ――と、言外に言っていた。


 その顔は、優等生のレッテルが剥がれかけていたが、目のくらんだ先生には見えないようだった。


 しかし、彼女には誤算があった。


 クラスにわたしがいたことだ。


 わたしは目立たない女で、事なかれ主義だが、やるときはやる女だった。

 我慢強く、溜めこむ性格なのだが、いざダムが決壊したが最後、敵対者を徹底的に追いこむ女だった。



 彼女のことだって、いつか反撃してやろうと、狼藉の数々を、暗記だけは得意な脳みそに刻み付けていた。



 こいつめ、痛い目に遭わせてやる。


 これまでたくさんの男の子たちを、たくさんの女の子たちを酷い目に遭わせた、報いを味あわせてやる。


 こいつめ、痛い目に遭わせてやる。


 わたし自身は被害に遭ってはないが、仲良しの子がいっとき不登校に追い込まれたし、復讐するには理由は十分だ。




 なによりわたしは、郷土史なんか編纂したくないし、喫茶店をやるのを楽しみにしていたのだ。


「先生――」


 静寂を切り裂くように、わたしは挙手をする。


 一世一代の勝負を祝うかのように、わたしの背筋はピンとして、世界一美しい姿勢だったと思う。



 静寂を切り裂くように、わたしは挙手をする。



 先生に指名されるまでもなく、立ち上がり、まるでジャンヌ・ダルクのように口を開く。




「彼女が嫌われているのは、女だからじゃありません。彼女が彼女だからです」




 そしてわたしは、洗いざらいをぶちまけた。


 クラスの男の子が、喫煙したと停学になったのはでたらめだと、言い切った。

 彼はただ、不良生徒の吸い殻を見かねて始末しただけで、一度もタバコを吸ったことがないと証言した。


 そしてわたしは、洗いざらいをぶちまけた。

 クラスの女の子が、何度も堕胎したヤリマンだというのはでたらめだと、言い切った。

 彼女はただ、ダイエットのし過ぎで生理不順が来たことを愚痴っていただけで、産婦人科に駆け込んだことなどないと証言した。


 ほかにも様々な、校内のトラブルごとはほとんどが彼女が原因だと、ぶちまけた。


 そのせいで彼女は嫌われ、遠巻きにされているのであって、いじめはないと言い切った。



 彼女が真面目で責任感のある、「黙っていない女」ではなく、無責任にでたらめな噂を吹聴し、責任を取らないやつだと言い切った。



 彼女の顔は、だんだん蒼白になっていく。

 先生は目をしばたかせ、眼前の出来事への理解に必死になる。


 彼女の顔は、だんだん蒼白になっていく。

 わたし一人の証言ならば、彼女もまだ「嘘つきはおまえだ」と言えたが、しかし証言者は増えていく。


 わたしが堰を切ったことで、クラスメイトの積もり積もった鬱積が、怒涛のようにあふれてくる。



 さながら山間部の大型河川の鉄砲水のように、クラスの嫌な女の、心を、身体を、すべてを飲み込んでいく。




「わたし悪くありません――!」




 そう言って、彼女はとうとう泣き出した。


 わっ――と、机に伏して、ほとんど叫ぶように、嗚咽を漏らし始めた。


 彼女が泣こうと、喚こうと、誰も同情しなかった。



 むしろクラス中で、もっと泣けばいいのだと、感情が支配していた。



 あんたの悪事のせいで、陰でどれだけの人間が泣いてきたか、その分まで泣けばいいのだと、感情が支配していた。



 それがせめてもの、彼女の取れる責任の取りかただと、誰もが思っていた。



 あれほどすっきりしたことは、後にも先にも、二度とない。

 クラスの嫌な女は、それからすっかりおとなしくなり、いずれ不登校になり、学校をやめてしまった。


 あれほど好きっきりしたことは、後にも先にも、二度とない。




 わたしはきっかけに過ぎず、共通悪というのはいずれ撃退されるのだと、世の中まだまだ捨てたもんじゃないと、空を仰いだ。






 高校生の時、クラスメイトに嫌な女がいた。

 そいつは一見、どこにでもいる、普通の女だった。


 だが、中身が最悪だった。


 どこからともなく噂を仕入れて、そいつに更に尾ひれをつけて、ところかまわず吹聴するのだ。



 彼女いわく、自分はサバサバ系で、「黙らない女」らしいが、彼女のせいで、たくさんの人間が迷惑をこうむった。






「女だから嫌われてるんじゃなくて、あんただから嫌われてるんだよ」











 女を盾に使うヤツって、ろくなヤツがいないなと、女ながらにわたしは思う。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る