第47話 ことなかれ主義
離島の小学校に、新任の教師が赴任してきた。
離島の住人たちは、そのことを、大変に喜んだ。
なぜならば、本土から船便で半日以上もかかる不便なところにやってこようなどという、珍しい人間はなかなかいないからだ。
しかし、新任の教師には問題があった。
問題があるからこそ僻地に来なくては仕事がなかったのか、それとも僻地に来ることになったのでひねくれてしまったのかはわからないが、とんだ体罰教師だったのだ。
新任の教師は、四十がらみの、風体の冴えない男だったが、授業で児童がまごつくたび、手を上げたのだ。
ある日に、とうとう彼は児童が怪我をするまでぶってしまい、事態が発覚した。
怪我をした児童の保護者は、新任教師の彼を問い詰めたが、彼は白を切るばかりだった。
それどことろか、挙句の果てには、彼は開き直って、怪我をした児童の保護者にこう言い放った。
「なにを言っているんですか、みなさん。体罰なんてとんでもない、あれは愛情のこもった指導ですよ」
保護者達は、このままではらちがあかないと、離島の役所に助けを求める。
このまま暴力教師に子供たちを預けては、ちょっとの怪我どころか、もっととんでもない事態に陥りかねない。
赴任したばかりの新任教師の彼を、さっさとクビにして、また新しい教師を連れてきてくれと請願する。
しかし、役所の腰は重かった。
かんたんなことで、本土から船便で半日以上もかかる不便なところにやってこようなどという、珍しい人間はなかなかいないからだ。
新任の彼をクビにしてしまったら、今度はいつ、新しい教師が赴任してくれるかわからないのだ。
ただでさえ、離島の小学校は全学年をまとめたほんの十数人の一クラスしかなく、たった一人の先生ですべてをまかなっているのだ。
新任教師の彼が来るまでだって、なかなか次の担い手がいなくて、先任のおじいちゃん先生の退職を延長してなんとかしのいできたのだ。
教育の空白を生むことはなんとか避けたく、それでは役場としても、動くに動けないのだ。
そしてこの事実が、四十がらみの彼の体罰を、エスカレートさせる。
彼も自分の体罰により、保護者達が役場に駆け込んだことを知っていた。
いつなにがしかの処分が下るか、日々の授業を、彼はひやひやしながら過ごしていた。
そのあいだばかりは、いくらの暴力教師の彼も、体罰は控えた。
ところが、待てど暮らせど、処分が下らないのである。
そのうちに彼も、次の担い手がいないので、役場も自分をクビにできないのだと、思いついた。
児童になにをしたところで、なんの処分も下されないのだと、わかってしまった。
この瞬間に、彼は、小学校の王様になった。
いや、離島の王様――と言っても、きっと言い過ぎではないだろう。
彼の日々の体罰は、あからさまに頻度を増した。
以前までは、児童が授業でまごついたときにしか手を上げなかったが、ことあるごとにぶつようになった。
挨拶の声が小さいだとか、授業開始時に着席していなかっただとか、ただ腹の虫の居所が悪かったとか、理由は様々だ。
子供たちは委縮して、それがさらに新任教師を増長させ、体罰は毎日、誰かしらが怪我をするまでに悪化した。
もはや彼に怪我をさせられていない児童はいなくなり、全員が身体のどこかに消えない痣を作ったころに、いよいよ大事件が起こった。
児童の一人が、彼の体罰により、死んでしまったのだ。
しかしそれでも、新任の彼が動じることはない。
なにせ、なにがあっても、役場は自分をクビにはできないのだ。
自分をクビにしては、教育の空白が生まれ、子供たちは誰からも勉強を教えてもらうことができないのだ。
本土の小学校に通おうにも、船便で半日以上もかかるのでは通学は不可能だし、新任の教師が見つかるには何年もかかるのだ。
だからそれでも、新任の彼が動じることはない。
児童が一人死のうが、二人死のうが、そんなものは不幸な事故だ。
教育の空白を生むくらいなら、多少のことは目をつぶると、お墨付きをくれたのは役場なのだ。
それを証拠に、今度のことでも、役場は重い腰を上げなかった。
保護者達はさすがに我慢できないと、役場に押しかけ、何日も続けて抗議したが、それでもなにも変わらなかった。
新任教師の彼をクビにするどころか、ここ数年の教師探しで疲れてしまったのか、新しい誰かを探すことさえ首を縦に振らなかった。
しかし今度は、保護者たちだって黙っていない。
児童一人を見殺しにされ、腹の虫がおさまらないのもそうだが、次にまた誰が死ぬとも限らないのだ。
次に四十がらみの彼に殺されるのは、もしかしたら自分の子供かもしれないのだ。
だから今度は、保護者たちだって黙っていない。
役場が動かないのなら、自分たちで動くだけだ。
子供たちを守るのに、親の自分たちが守らなくて、ほかの誰が守るのだ。
役場が動かないのなら、自分たちで動くだけだ。
考えれば、こんな事態になる前に、もっと早くから、行動を起こしているべきだった。
あの王様気取りの冴えない男を、さっさと玉座から引きずり下ろし、放逐するべきだった。
考えれば、こんな事態になる前に、もっと早くから、行動を起こしているべきだった。
怒り心頭の保護者たちの行動は苛烈だった。
保護者達は、授業が終わった後で、すっかりいい気になって帰宅する新任教師の彼を襲った。
ほとんど拉致する格好で、もはや使われてない小さな工場あとで、彼を椅子に縛り付けた。
先生がいなくなってしまったからと、小学校を休校にしてしまい、毎日朝から晩まで、子供たちの仇とばかりに彼を痛めつけた。
ちょっとまごついただけでもぶったし、声が小さいだとか、椅子の座りかたが悪いとか、ただ腹の虫の居所が悪いだけでもぶった。
四十がらみの彼は委縮して、それがさらに保護者達をいらつかせ、体罰は毎日、彼が新しい傷口を作るまで続いた。
「どうしてこんなことをするんだ。おまえたちにいったい、なんの権利があるんだ」
ある日とうとう、日々の折檻に耐えかねて、彼は音を上げて、言った。
これに対して、保護者達は顔を見合わせて、一人が代表して、以前彼が言ったように、言った。
「なにを言っているんですか、先生。体罰なんてとんでもない、これは愛情のこもった指導ですよ」
数日後、四十がらみの彼の遺体が、離島の波打ち際に打ち上げられた。
彼の身体には、たくさんの暴行された形跡があったが、役場は事故死で片づけた。
なにしろここは離島なもので、こんな不便なところにやってこようという、珍しい人間はなかなかいないのだ。
暴力教師が保護者の逆鱗に触れて、殺されてしまっただなんて知られては、ただでさえ不便な場所だというのに、新任教師が来てくれなくなるではないか。
そんなことになったら、とても困る――。
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